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第1話
「なあ……なあって……」
「……」
「……」
じめじめとした梅雨が明け、ようやくカラッと眩しい夏がやってきた。
「なあ……この学校で一番スク水が似合いそうな男子決めようぜ」
この教室の、隅以外は――。
「……は?」
「ちょっと、なんで反応しちゃうの猫谷 」
「俺はねえー……」
「勝手に話を進めるな太刀矢 」
三人寄ってもどうにもならん!
県立菊門高等学校一年B組の後方。そこのL字型に三席。一番後ろの窓側、いわゆる主人公席に座っているのが俺、模部 。俺の前の席に座っているイケメンが太刀矢で、俺の横に座っている真面目眼鏡が猫谷。そこが俺達の定位置だ。
「いや、意味わかんないし、普通に」
読んでいた本から視線を上げて、猫谷が言う。猫谷は学級委員のような見た目をしている保険委員で、部活は美術部。俗に言う眼鏡男子というやつで、真面目そうなメタルフレームの眼鏡をかけていて、髪はサラサラの黒髪だ。容姿だけでいったらそんなに「イケメン!」という程ではないが、確実に中の上くらいではある。「あれ? こいつ、良く見ると……可愛い?」となってしまう、隠れたガチ恋が多いイメージだ。
「しょうがねえじゃん。男子校なんだから」
そう言ってぶすくれているのは太刀矢だ。ワックスで軽くセットされた茶髪に、恵まれたスタイル。二重のパッチリとした目に、通った鼻筋、ニカッと笑う大きな口……と、一軍にいてもおかしくないほど整った容姿をしている。しかしその実、中身は割と幼稚なところがあって、教室の隅でのんびりしている俺と猫谷に、こうしてしょうもない話題をふってくる。
「なんでスク水なのさ……」
「え? いいじゃんスク水! 模部だったら誰のが見たい?」
席に後ろ向きで座りながら俺の机に頬杖を突いて、猫谷を見つめながら太刀矢はそう問いかける。いや、俺に聞いているなら俺の方を向けよ。別にお前に見られても嬉しくはないけども……。
「俺? 俺だったら福与 かなぁ……」
「福与って……。模部は、デ……ぽっちゃりした奴が好きだったんだな」
言葉をオブラートに包んだ猫谷だったが、二文字しかない単語の一文字目まで言葉に出ているので、あまり意味を成していない。
「え? いやいや、おっぱいだよ、おっぱい」
俺が虚空を揉むと、何故だか太刀矢が自分の胸を隠す。いや別にお前の胸は揉まねえよ。引くなよ。
「どうせなら、男のでも柔らかくてデカい胸揉みたいし」
「欲望の塊……獣じゃん……」
「完全に『スク水が似合う』から、『自分が触る』にすり替わってるのに気付いていないコイツがこわい」
猫谷まで自分の胸を隠した。だから、お前のは揉まな……いや、猫谷の胸なら何かちょっと触ってみたいかも……と思った瞬間に、脛を蹴られた。
「いっっった!」
「あ、ごめーん。俺、足が長いから当たっちゃったみたーい! ごめんね、足長くて」
「今すぐ縮めろ」
「それで、猫谷は誰がスク水似合うと思う?」
ナチュラルにスルーされてしまった……。
「え? そうだな……うーん、花香 とか? 可愛いし、中性的な感じで違和感なさそう」
「ふーーーーーーーーん……」
いや、「ふーん」長いな……。ああ、サッカー部って肺も鍛えられるのか? めっちゃ走り回ってるもんな。
「猫谷は可愛い系の子が好きなんだー? へぇー?」
「いや、スク水が似合うかどうかが前提なんだから、自然と中性的な奴になるでしょ……」
呆れたように溜息を吐きながら眼鏡を上げている猫谷だが、俺の方が溜息を吐きたい気持ちだ。
「そういう太刀矢は誰なんだ?」
「俺? 俺は……」
チラチラと忙しなく猫谷の方へと視線を送る太刀矢。そう、何を隠そう……まあ、あまり隠れていないかもしれないが、太刀矢は猫谷のことが大好きなのだ。けれど二人は付き合っていないし、なんなら猫谷は太刀矢の気持ちに気が付いていない。何故なら……。
「も、模部……とか、かな……?」
そう、この太刀矢という男……ヘタレなのだ。本当は猫谷の事が好きで好きで堪らず、この話題だって猫谷のスク水姿を想像しながら持ち掛けた筈なのに、肝心の所でいつもこうなる。
「そう……」
ああー! もう、ほら見ろ! この猫谷の複雑そうな顔!
……実を言うと、猫谷も太刀矢の事が大好きで、本当は両想いの筈なのに、この二人はなかなかくっつかない。というのも、太刀矢はヘタレでこうして肝心の場面で俺の名前を出したり俺を頼ってくるし、猫谷も高飛車っぽい性格の割に自分に自信がないので、太刀矢の逃げを真に受けて、太刀矢は俺のことが好きなのだと勘違いしているから。
……本当にもう、勝手にしてくれという感じなのだけれど、席が二人に囲まれているせいで、逃げるに逃げられない。そして俺も割とお節介な性格をしている為に、この二人を突き放すことが出来ないのだ……。
「あ、そうだ」
猫谷が鞄から取り出したのは、いま正に話題に出ていたスクール水着で、俺と太刀矢は驚き目を見開く。
「……は?」
「え? いやいや、なんで猫谷がそんなもん持ってんの……? 猫谷のバッグ、四次元に繋がってる……?」
いや……もしかして、そういったご趣味が……?
「ああ、何故か今朝、僕のロッカーの中に入っていたんだ」
「はあ??」
こわい。太刀矢から今日一低い声が出た。確実に「〇麟です……」の人より低い声が出ていた。
「まあ、それは置いておいて、これを模部に着て貰えば良いんじゃないか?」
「置くな置くな! 戻して! 一旦戻して!」
「なに? ああ、もしかして、自分が着るの嫌だからって、話を逸らそうとしているんじゃないだろうね?」
……こいつの危機管理能力はどうなっているんですか、親御さん。ちょっと丁寧に箱に入れ過ぎたんじゃないですか。
「それどころじゃないって! なにこれ!?」
「いや、だから今朝ロッカーに……」
「誰から?」
「え?」
「だから誰がそれ入れたか分かんないのかって聞いてるんだけど」
一息で言った……。正直こわすぎて、太刀矢の方を暫く見られそうにない。親御さんが丁寧に入れたであろう箱から猫谷を出さず、更にもう一重の箱に入れて愛でているような男だ。俗世の汚いことから力業で猫谷を離し、蝶よ花よ猫よと可愛がって囲ってきたというのに……。
「そうだな……まだ読んでいないけど、手紙も一緒にロッカーに入っていたんだ。もしかすると、これに差出人の名前が書いてあるかもしれない」
猫谷が取り出したのは、白い便箋に赤いハートのシールが貼られた、今時珍しいベタベタなラブレターだ。
「ちょっと見せて」
「は? いや、駄目だよ。プライバシーの侵害だし。そんな晒し者みたいにしたら可哀想だろう」
勝手にスク水をロッカーに入れる変態なら、晒し者にされても仕方がないような気もするけどな……。
「太刀矢だって、模部のスク水姿が見たいだろうし……」
「いやそれは心底どうでも良い」
俺だって着たくはないが、心底どうでも良いと言われると複雑な気持ちになるぞ、太刀矢。
話し合いの末、猫谷が内容を確認しながら朗読するという形に落ち着いた。太刀矢はそれでも不服そうだったし、結果として、声に出して複数人の前で読むという一番晒し者になる形式だが……。
「じゃあ、読むよ……。えー……俺の猫ちゃんへ」
――バキィッ
太刀矢の組んでいた手から不穏な音がした。
「俺は毎日お前のことを思って、自分の、こ……股間を慰めて、いま……す」
――ベキィ
それ、どこから出ている音なの? 大丈夫なの?
「その時よく見ているのは、お前の写真……? や、眼鏡っ子モノの……エ、AVばかりで……最近見たスク水ものがとても良かったので、これを贈ります。……それを着たお前の……勃起、ち、くびと、チン…ン…が……スク水の、生地を、ツンと………あぅ……そ、そこに、俺の……俺の……猛った、いちもつを……こ、こすっ」
「わーーーーっ! もういい! もういいから! ストップ」
「ぐすっ……」
「泣くくらいなら途中で止めなさい!」
「ちが、大丈夫……! ちょっと、びっくりしただけで……! ちゃんと最後まで読める!」
「……」
ああ、太刀矢が興奮と怒りでフリーズしている……感情の許容量を超えてしまったのだろう……。かわいそうに……。
「俺、ちょっとトイレ……」
うん、そうだね。行っておいで。そのテント、どうにかしておいで……。
「お腹痛いのか? 俺、ついて行こうか? 保険委員だし……」
うん、太刀矢が痛いのはお腹じゃない場所だし、よからぬ患部の世話をさせられることになるから、お前は大人しく此処で待っていなさいね。
「良いのか? じゃあ、そのスク水を持って……」
「ストーーーップ!」
俺は確かにお節介焼きだし、友人達には早く恋仲になって欲しいが、どうかまずは清い交際からスタートして欲しい。その一心で、どうにか猫谷を席に留めて、猫谷の持っていた手紙をこっそり太刀矢に手渡した。
さり気ない動作で手紙をポケットに入れた太刀矢は、筆箱の中からハサミも取り出して、「じゃあ、ちょっと切って……行ってくる!」と爽やかな笑顔で教室を飛び出していった。
……切るのって、手紙だよな?
友人が犯罪者にならないように祈りながら、俺は必死に猫谷の意識を逸らした。
◇
「どうにかして、猫谷がプールに入らないように仕向けたい」
「はあ?」
猫谷が購買に飲み物を買いに教室から出た瞬間、太刀矢はそう言った。
「なんで……?」
「なんでってお前……! どう考えても危険だろう! 猫谷だぞ!? あの変態ホイホイの猫谷の胸を……ち、乳首を、不特定多数の目に晒すことになるんだぞ!?」
なんでわざわざ乳首って言い直したんだ……。手をわきわきと動かしながら、急に饒舌になった太刀矢に少し引きながらも、友人として一応理解しようと頭を働かせる。
「駄目だ……全く分からん」
「なんでだよ! ただでさえこの間、超ド級の変態にスク水贈られてるんだぞ!?」
「ああ、いっそスク水着させればいいじゃん。胸隠れるし」
「はあ!? そんなの逆にエロくて駄目だ!」
顔を真っ赤にしながら怒っている太刀矢……。おそらく猫谷のスク水姿を連想したのだろう。しかし、そのあと急にスンと真顔に戻って、「スク水姿の猫谷を想像してヌいた奴がいるという事実を思い出して、怒りで死にそう」というので、早く大きい病院を紹介してあげたいなと思ったが、恋に付ける薬はないと聞く。本当にないのかな。こんなに重症なのに……。
「普通に生活していてそんな変態が湧くんだ。プールなんて入った日には……」
「ただいまー。なんの話?」
「あっ、おかえり、猫谷」
先程までの百面相は何処へやら。爽やかなイケメンフェイスで猫谷を出迎えた太刀矢。
「あれ? 猫谷、首の所に絆創膏付いてるけど、どうしたの?」
首の所をツンツンと突くと、猫谷は恥ずかしそうに頬を赤らめた。
「ああ、これ? 昨日の夜、蚊に刺されちゃったんだ。同室の先輩寮生に『キスマークついてるよ?』なんて揶揄われたから恥ずかしくて……」
そうやって絆創膏で隠した方が逆に如何わしい気もするが……。ゲン〇ウ風のポーズをしている解説の太刀矢さんはどう思うだろうか……。
「猫谷の部屋に、百匹の蚊を放とう」
「なんで!?」
「めちゃくちゃに吸わせよう」
「やめて!?」
話の流れを知らない猫谷がただただ純粋に驚いている。それはそう。これは百パーセントで太刀矢が悪い。
「そうでなければ俺が吸おう」
「ずっと何言ってるの!?」
いい加減、流石に猫谷が可哀想だ。助け船を出してやらなければ……。
「えーっと……ほら、この間、猫谷にスク水贈った変態が居たでしょ? だから、太刀矢がこれから始まるプールの心配をしているんだよ」
「え? この間のはそういう冗談じゃないのか? 確かにちょっとビックリはしたけど……大丈夫だよ、プールくらい」
「……」
「……」
そうだ。猫谷は極端に自己評価が低いんだった……。よくこれで今まで無事だったな。
「あ、でも昨日胸も刺されちゃったんだった。プールまでにここの腫れ引くかなぁ……」
――ペロン
不意に捲り上げられたワイシャツ。そこには首と同じように絆創膏が貼られた片乳首。
ゴッと鈍い音がしたのでそちらを見たら、太刀矢が自分の頬を思い切り殴っていた。
「太刀矢!?」
「何してんの!?」
「己を戒めている……来世は蚊に生まれたい」
「全然戒められてない!」
太刀矢がこれほどまでに自分の欲望に弱いとは思わなかった……! そんな太刀矢の動揺を知ってか知らずか、猫谷は「気にしないようにしてたのに、思い出したら痒くなってきちゃった」と、絆創膏越しにカリカリと乳首を掻き始める。
「あッ…♡」
「おぅ……」
太刀矢が喘ぐのはおかしいだろう。しかも洋風に。見まいと顔面を両手で覆っているようだが、本能が勝るらしく、目の位置にガッツリ隙間があいてしまっている。それでは丸見えだ。まるで意味がない。
男子生徒が二人程、股間を押さえながら教室を出ていったが、彼らにはきっと後で何かしらの不幸が起こるだろうな……。
「こ、こら猫谷くん、はしたないですよ」
「なんで敬語?」
「ああーーーーどうすればプールって中止になるんだーーーー!」
その後、綿密な話し合いにより、なるべく福与の後ろをキープする、猫谷か太刀矢か俺が手で隠すなどの作戦が挙げられたが、何故か再び戻って来た梅雨によって、プールの授業は丸々潰れ、猫谷の乳首は守られた。……猫谷の乳首は守られたってどんな文面だよ。
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