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Prologue

 幾らこの手の調査は専門外の己でも、ちょこちょこっとグーグルに打ち込む位は可能だ。モンフォルテ、綴りは少し自信がない。口頭で伝えられた内容を急いで殴り書きしたメモ帳の字は、自分の筆跡なのに恐ろしく読み辛かった。  両親が育った、鄙びた寒村を思い出させる(写真でしか見たことが無いので、これはあくまでも想像上の記憶だ)からりと乾いた気候。オレンジ色の素焼き瓦を敷き詰めた白い農場風の建物は、中庭へ続くアーチの輪郭を囲う形で線を入れたり、壁に菱形や三角形をした色とりどりのタイルを貼り付けたり、ムデハル様式なんて呼ばれているらしい。 「いや、これは本国のマヌエル様式の影響が強いな」  そう嘯くゴードンは、大学の副専攻が建築学だったと言う。ビジネス・スクール行くか建築士になるか、最後まで迷ってたんだよなと、以前酒の席で自慢げに話していたのを思い出す。 「何だか全体的にアジアっぽいし、この中庭に面した壁のゴテゴテした装飾……貝の間で緊縛されて悶えてるおっさんの彫刻、カーマ・スートラかね」 「ラオコーンだろ」  分かってる癖に、とぼやくヴェラスコも、既に独自で調べている。彼らがパソコンのモニターを覗きに来たモーへ手で示してくれたのはヴィラの写真。本来の持ち主のSNSに掲載されているらしい。ポルトガルの田舎にあるこの土地は、一番人気の保養地からは少し離れている穴場なのだという。 「どうしてまた、ハリーはこんな所の別荘を借りられたんでしょうね」 「持ち主は大学の同期って言ってるけど、まあ元セックス・フレンドだろう。本人はここ数年行っていないそうだ、最近あの辺りは、長期休暇の観光客を狙った誘拐が多発してるらしい。恐ろしいね」  そう他人事のような口調で嘯く間に、エリオットはリマインダーをチェックし、昼食時中華料理屋から余分に貰ってきた割り箸へ数字を書き終えた。 「彼は2週間の休み一杯、あちらへ滞在する。私達はその内の3日ずつ招待を受けた。移動時間を入れたら大体4日。皆特に希望日は無いんだね?」 「どうせ休みでもゲームしてるか掃除してるかだし」 「ワーキング・バケーション扱いになるんだろ? 決まったらその日を挟んで残りの休暇申請出すわ」  ヴェラスコとゴードンに続いて頷いたモーを確認して、くじは差し出される。  引いたのは3番目だが、書き込まれた数字は1。覗き込んだゴードンが肩を竦めた。 「一番槍か。最大限に元気な時の彼に付き合わされるんだ、せいぜい禁欲しとけよ」 「僕は最後だから、日光浴する余裕位あるかな。水着買おうと思うんだけど」 「何言ってんだ、最終日の奴は帰宅も一緒だ、空港からそのまま自宅へ連れ込まれるぞ」  わくわくと通販サイトを開き始めたヴェラスコの手が止まったのを横目に、モーはこそっとエリオットに尋ねた。 「礼服を持っていった方が良いでしょうか」  モーが入力する時の三分の一以下の時間で、エリオットはリマインダーを更新する。画面を閉じてから見上げてくる焙じ茶色の瞳は、相手が突然目の前で烏の首を食いちぎったかのような色を湛えていた。 「ハリーにプロポーズでもするのかい」 「いえ、そうではなくて……その、レストランなども、きちんとした店へ行ったりするべきかと……」  去年の夏は何だかんだと、結局全員が半分近くの日を休日出勤に宛てた。この役職について以来、初めてのまともな休暇だ。しかも、ハリーと2人きりで、一つ屋根の下過ごす3日間。  世慣れた彼にとって、己の考えるエスコートなど、鼻で笑ってしまう程垢抜けないものに違いない。それでも、礼儀は尽くすべきだと思ったのだ。何せ彼はハリー・ハーロウ。イーリング市の市長。それだけの扱いを受けるべき人物だったし、己は彼に仕えている。それこそ24時間365日。  沈黙に竦み上がっているモーをまじまじと眺めて、真顔が氷解するまでに、この優秀な男にしてはかなりの時間を要する。結局エリオットは苦笑し、緊張の抜けない肩を叩いた。 「そんなに気張らなくて良いさ。寧ろ彼はのんびり気楽に休暇を楽しみたいんじゃないかな」 「ですが、せめて一回位は」 「分かった、分かった。英語が通じる、周辺の良さそうな店を幾つか調べて、後でアドレスを送っておくよ。一つ貸しだからね」 「怖いなあ、エルの貸しなんて。死体を埋めるのを手伝えとか言われるかも」  ヴェラスコの揶揄など屁でもない。誠意は日々の行いの積み重ね。そう言う意味で、己は彼らの数歩先を歩いている。  滅多にない休みをハリーが満喫出来るよう、全力を尽くそう。3日の逢瀬が一瞬で過ぎたと思わせるような、もっと共に過ごしたいと願わせるような。  おかしな話だ。彼らは肩を並べて戦う仲間で、対抗意識を持つ必要などちっともないのに。  近頃少し、欲深くなっている。聖書が説くように強欲が罪かは分からないが──それを悪徳だと認めたくない己がいる。 「日光浴なんぞしなくても、スプレータンに頼ってる癖に」 「頼ってない、それはあんただろゴーディ。とにかく僕は何がなんでも水着を着るんだ」  水着か。ハリーは一体どんなものを着るのだろう。件の別荘にはプールがある。彼の水着姿を目の当たりにするのも己が最初だと思えば、奮い立つ。冗談抜きで、禁欲する必要があるかも知れない。 「恩にきます。お礼に何か土産を買って来ますよ」  今度こそエリオットは呆れた顔を隠しもしない。 「私も君と入れ替わりに行くから、お気遣いなく」 「見えるぞ見えるぞ、頭の中にピンク色の靄が掛かってやがる。今から色ボケしてたら保たないだろが」  ゴードンがからからと笑い、背中を思い切りばしんと叩いた。普段からどんよりしているかピリ付いているか、或いは疲弊し過ぎて放心したような空気が漂っている市長付職員オフィスも、心なしか浮かれている。今年の夏はヨーロッパに行くんだ。子供の頃ならきっと、自らだって学校中で触れ回っていたに違いない。 「少しは現地の言葉を勉強していきます。ポルトガルって何語を喋るんでしたっけ」  固い決意と共に頬を火照らせ、そう宣言したモーに「ポルトガル語」と即答したのは一体誰だろう。複数の声が被ったので、聞き分けることができなかった。

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