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第4話

「岩沙さん、ボスがお呼びですので、部屋までご案内します」 日本でも大きな組織のボスの家は、和洋折衷なモダンなデザインで敷地も広い豪邸だった。  蒼真が携帯端末を見ると、もう午前1時。随分失礼な時間になってしまった上に、未だ起きていて自分を呼ぶと言うことは、約束していた「ピュア」が気になってるんだろうなと申し訳なくなった。  ハラダの右腕とも言われる加賀屋が直々に案内をすると言うので、蒼真と翔は送ってくれたユージに礼を言って手を振った。  加賀屋もユージとは顔馴染みで、送ってくれて感謝する、といくらか握らせて屋敷に入っていく。  2人が心配なだけで送ってきたユージにしてみたら、貰う謂れがなかったが加賀屋のこういう細かい礼を欠かさないところが、この組を長く維持できている所なんだろうなと、ありがたく受け取って門扉を守っている下っ端の人にも挨拶をして敷地を出た。  部屋の前まで来て、加賀屋はドアを開け2人を中へ促し自分は最後に部屋へと入る。 「遅くなってしまって申し訳無かったです」  まず詫びると、部屋の真ん中に設置されている豪奢な応接セットの1人がけに腰掛けたハラダが 「宵の口だ」  と意にも介さず迎えてくれた。  40後半くらいだろうか。精悍な顔つきに似合わぬ笑顔は、こんな大きな組織をまとめ上げているボスには見えない。 「まず、こちらを。気を揉んでいらっしゃると思いますので、先に」  手に持った皮のクラッチバッグから、2つの真っ白な粉を取り出し、ハラダの座っている前のテーブルへ置いた。 「おお…これがピュアか…」  ほとんど出回らないピュアは、初めて取引した人が初めて見る代物である。  ピュアは幻覚剤の一種で、依存性は全くなく経口も粘膜摂取もどのような取り込み方でもOKなので、重宝がられているのも確か。しかも摂取後の感覚が、使ったことのある者に聞くと、性的ではない高揚感と視界が明るくなって、言葉でなんていっていいかわからないけど、ハッピーな気持ちになる。らしい。  常習性もないし、身体にそれほど害もないという薬だが、レアなモノ故に売値が異常価格になってしまい、2次的な犯罪が起こるので要注意な薬物となっていた。  そしてこれは翔にしか作れない秘密があるので、量産が出来ない物でもあったのだ。  ハラダは両手で持って、感触や重さなどを確認しながら嬉しそうに微笑んでいる。 「こんな時間になってしまって本当に申し訳ないです。届くのが遅くなってしまって、自分たちも少々焦りました」 「こうして手元に来たんだ、なんの文句もない」 「代金は確認しましたので、今この瞬間にはそれはボスのものです」  蒼真は営業の自分を演出して、プライベートで会っているものたちが見たら驚くほどちゃんとしている。 「それで、少々図々しいかと思うのですが、ハラダさんにお願いがあるんです」  蒼真はその営業スタイルそのままに、少し頭を下げた。  ピュアに気を取られていたハラダは、その言葉に顔を上げーまあ座りなさいよーと2人を促して加賀屋に飲み物を頼んだ。 「水割りでも飲むか?」 「あ、じゃあお願いします。翔は飲めないので、何かソフトドリンクで」  加賀屋は全て聞いて、部屋の隅のバーカウンターへ入ってゆく。 「で、願いというのは?」  ソファの上で座り直し、ピュアをテーブルに戻したハラダは前屈みになった。 「ハラダさんのお力を見込んでお願いするのですが…明日のできるだけ早い時間のイギリス以外のヨーロッパ便チケットは取れませんか」  ハラダの部屋にある時計を見れば既に1時30分。今からなど無理に等しい。だがそれでも頼まなければならない。1日でも早く日本(ここ)を出なければ。  昨日の酒場での男たちも、ハワードの力でもう釈放されているはずだ。明日1日だって待てない。 「今からか…難しいな。ちょっとまってろ」  ハラダは傍のテーブルから携帯端末をとると、どこかへ連絡を始めた。 「ああ、俺だ。無理を言って悪いんだが、今から明日のできるだけ早いヨーロッパ便の航空券取れねえかな。いきさき?ああ」  と言いながら蒼真の顔を見るので 蒼真は 「ドイツでもどこでも取れるところで」 「ああ、イギリス以外のヨーロッパならどこでもいいそうだ。よろしく頼む。取れたら連絡をくれ」 「お手数おかけします」  端末を置くハラダに礼を言う。 「いやいや、気にするな。俺もお前も取引の世界で生きている人間だ。それなりの物がないとは思っちゃあいないんでね」  探るような、この世界に生きる男特有の目で蒼真たちを見返したハラダに、蒼真は内心『来たな』と気を引き締めた。 「翔、もう遅いし眠いだろ。部屋へ戻らせてもらえ。あとは俺が話を付けとくから」  側でこの状況に不安そうな顔をし始めた翔に蒼真は優しくいう。  飲み物を今持って行こうと思っていた加賀屋は、用意したメロンソーダをカウンターの陰に置き、水割り二つを持って 「では部屋までお連れしますね」  と言いながら水割りをテーブルに置き一礼した。  交渉ごとは全て蒼真に任せていた翔は、ーわかったーと一言言って、案内の加賀屋に従って部屋を出る。  まあ実際、無垢な部分の多い翔には大人の込み入った交渉ごとは苦手だと言うこともある。  翔がドアから出てゆくと、蒼真はハラダとむきあい水割りを一口口にした。 「では、どんな取引をおのぞみでしょうか」  口先は丁寧につかっているが、目だけは負けないだけのものを蓄えた。 「金とかそういうものでしたら、チケット代の他にお出しいたします。今すぐには無理ですが、約束はいたします」 「なんで翔(彼)を行かせた?」  蒼真の話を逸らして、ハラダは薄ら笑いをしながらドアを見る。彼とはもちろん翔のことだ。  蒼真はここに来た時からハラダが翔を気に入っていたことはわかっていた。  今回のチケット代の取引材料に持ち出されそうな気がしたので先に戻らせたが案の定だ。  しかし、このハラダという人物はこの世界でやっていけるのかというほどストレートな性格だなと蒼真は感心する。翔を狙っていることを隠しもしない。 「どう言った意味でしょう?」 「どうって、そりゃ言葉通りだ。中々好みだ。側に置いときてえなあと思ってな」  ソファに寄りかかり、指で顎を撫でながら口元を歪めて笑う。  思っていた以上に素直なハラダの言葉に、相馬は好感を持ちながら同じくソファの背もたれに沈んだ。 「チケットをとっていただく代償が翔では、少し大きすぎる気がしますが…。それにまだチケットは…」  蒼真がそう言いかけた時にハラダの端末が鳴り、ハラダがニヤッと笑いながら通話を開く。 「そうか、わかった。ドイツ便だなありがとう。お前ももう休め」  端末を置いた手を見つめていた蒼真は、どうにか取れたことに安堵した。 「明日の8時半の便だそうだ。空港で俺の名前で押さえてあるから、後はお前たちの名前を言えば手続きしてくれるらしい」 「ありがとうございます。なんと言ったらいいか…」  蒼真は本当に感謝をしていた。なんとかまた逃げられる。 「おいおい、堅苦しいのは抜きだ。で、さっきの話だが、まさか俺だって今すぐ翔 くんだけをここへ残せとか言わんよ。ただ今夜だけ俺のそばにいさせてもらえないか」  蒼真はため息をつく。  確かにハラダには好感をもった。歳より若く見える容姿も、それが弱点どころか、ハラダの生きる世界では脅威にさえなる匂いを醸し出す。兵隊を使ってではなく自らが先頭に立って行動を起こすのだろうその体躯も酷く引き締まって、いざという時のけじめの付け方を本能で知っている男だとも思う。  しかし、それとは話が別だった。  翔は自分の手元から離すわけには行かないのだ。翔の一生は最後まで自分が見なければならない義務が蒼真にはある。なので言い方は悪いが、たかがヤクザの親分さんに渡すわけには行かない。 「ハラダさん、ご迷惑をおかけしておいて本当に申し訳ないのですが、翔はたとえ1分でもお預けするわけには行かないんです。それはあなたでなくても、どこの誰でも同じことです」  蒼真の強い意志が目から感じられる。原田も諦めざるを得ないと感じたのか 「そうか…残念だな」  と一見あっさりと諦めた風に言い放った。元より無理強いする気は毛頭なかったのだからそれは仕方のないことだ。  蒼真は蒼真で、随分あっさりと諦めてくれて肩透かしを食ったような気分だ。 「もっとごねるかと思ってました…」  つい口をついて出てしまった言葉に、ハラダはワハハと笑い 「俺は無理強いしない主義なんだ」  と、少し結露したグラスを一気に煽った。  やっぱこの人好きだな。ハラダへの好感が上がってしまい、蒼真はどうするか悩む。この場合の代替案は…あれしかないか、やっぱり… と内心で覚悟をし、ハラダへと再び目を向ける。 「じゃあこうしましょう」  蒼真は立ち上がってハラダの方へ向かい、ハラダの座る椅子の肘掛けに腰掛けた。 「俺たちがドイツへついたあと、今回と同じ量のピュアをお約束します。これは絶対に」 「本当か?」  全世界を飛び回っているバイオレットとコンタクトを取るのは至難の業だ。今回ハラダが蒼真たちと取引できたのも3年越しの結果だ。  各組織は世界中に情報網を張り巡らせ、それにぐうぜんバイオレットの情報が引っかかるのを待つのみだ。 しかし実際は、全部蒼真が情報を操作し次に取引するところは自分たちで選んでいた。  それほど害はないピュアだが、問題になっている2次被害を起こさないような組織を選んで取引をしている。  酒場でも圭吾にドヤっていたが、蒼真の頭脳は計り知れないほどで今現在全世界のネットワークを蒼真は把握していると言ってもいいほどだ。  大体のシステムが、蒼真が12.3歳の頃に構築したプログラムが元になっている。まあ、そのメンテナンスも毎日怠ってはいないから、日々進歩をしているネットワークを全て理解はしていた。  実際その気になればネットを通じて世界制覇もできそうな勢いだが、蒼真には全く興味のない話なので、その力は今はバイオレットの取引にのみ使われているのだが。  そんな訳で、ハラダにとってこの申し入れは非常にありがたい話であって、チケットの取引要素としてはあまりあるものだ。 「翔の代わりとしてはいかがでしょうか?」  肘掛けに座ったままハラダの顔を横から覗き込んでにっこりと笑う。 「願ってもないな。いや、翔くんと比べる訳ではないが、チケットの代替としてはあまりある」 「喜んでいただけて光栄です。それと」  微笑みを蓄えたままハラダへと顔を近づけ、ハラダの唇に軽く触れてすぐに離した。 「こういうのもお付けしますが、如何ですか?翔には劣るかもですが」  艶然と微笑んで、今度はハラダの座っている足をまたぎ向かい合って座る。  その腰にハラダは腕を回し、引き寄せてもう一度唇を重ねた。  他人(ひと)の好みは様々ではあるが、蒼真はその個人の嗜好さえ凌駕してしまう不思議な雰囲気を持っている。  一目見ただけでは、童顔のただの小僧にしか見えないが、話をして1時間以内に蒼真を求めてこなかった人間に、蒼真自身まだ会ったことがなかった。その自信が蒼真にはある。ハラダとて例外ではないと。 「わかった、こちらもありがたくいただこうか」  蒼真の唇を舐めて抱き寄せ腰を撫でる。  数時間前に出会った圭吾(おとこ)との(良さ)は忘れるしかない。今までも、生き残るために良いことも悪いことも忘れてきたはずだ。 「よろしくお願いします」  蒼真はそう言ってハラダの手を取り立ち上がった。

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