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第18話

 翌日、翼弦は家人を引き連れて湯治に向かった。  宝物庫で留守番の九曜は一人業を煮やしていた。  幻以こと木龍も随行することになったからだ。  女官たちから木龍の噂を聞いてからというもの、九曜は木龍を徹頭徹尾無視していた。  幻以から理由を聞かれても、九曜は答えることはなかった。  九曜は幻以が純粋に自分を助けにきてくれたのだと思っていた。まさか救出劇の最中に不実な真似をしていたとは思いもしなかったのだ。  腹が立つのは翼弦の随行など断ればよいものを、幻以が女官たちと一緒に出立してしまったことだ。 (長い月日をかけて築き上げてきた関係なのに、やはり女の方がよくなったのか、幻以)  九曜が悶々としているうちに、やがて夜になった。  生ける彫像になっている九曜は、宝物庫のカーテンが少し開いているに気が付いた。  今朝訪れた留守番の侍女の一人が物臭で、掃除の後に換気をするために開けていた窓を閉めたが、カーテンの閉め方が少々おざなりだったのだ。  細い月光が徐々に移動して、もう少しで九曜のところに届きそうだ。  九曜は手を伸ばしたい気持ちになった。 (もう少し……もう少し……)  月の光を浴びれば、九曜は自由を得られる。  そして、ついに淡い光が九曜の肌に触れた。  九曜の肌が震え、次第に関節が動き始めた。九曜は深く吐息すると、脚をよろめかせながら棚に手を付いて、何とか転倒を回避した。  次に九曜はカーテンを取り外した。  空には丸い月がまぶしいほど輝いていた。  月の魔力が翼弦の呪術を解除してくれているのを肌で感じた九曜は、少しでも動けるよう、しばらくの間、月光を全身に浴び続けた。  琥珀色の瞳が思案気味に青白い光に包まれた宝物庫を見わたす。  月光を反射している革紐が付いた円形の小さな鏡を見つけて、九曜はそれを手に取り、首にかけた。 (これは使えそうだ)  カーテンを身にまとった九曜は宝物庫を飛び出した。そして使用人の衣服が収められている部屋を訪れ、下男の衣服を拝借して身に付けた。  再び九曜は部屋を出る。行き先は女官たちの宿坊だ。  木龍に関する話を聞けるかもしれない。  建物をつなぐ外廊下を歩きながら、九曜は月光が途切れたら先ほどの鏡を懐から取り出して反射させては肌に浴び続けた。  まだ女官たちが床に就くには早い時間だ。  かといって、凌雲山の弟子や仕えている使用人の大半が出払っている。使用人の仕事量は少ないはずだ。  案の定、九曜が窓の外で耳を澄ますと暇を持てあました女官たちの談笑が聞こえてきた。 「仕事がなくて楽だと思っていたけど、この状態があと十日ほど続くとなると、どうやって暇をつぶせばいいんだか」 「本当ねぇ。ああ、繕い物はどうなってる?」 「そんなの六花(ろっか)に全部押しつけたわよ」 「木龍さんから気に入られていつも優しくしてもらっているんだから、いいでしょそれくらい」  九曜の耳に入ってくる意地の悪そうな古参の女官たちの言葉の中に、聞き捨てならないものがあった。  木龍から気に入られている。  優しくしてもらっている。  六花。  自分の知らないところで。  九曜の鼓動が乱れる。  おぼつかない足取りで、九曜は女官たちのいる部屋を通り過ぎた。  これ以上女官たちの話を聞いていたら、平静でいられなくなりそうだからだ。  外廊下の角を曲がろうとした時、人の気配に気づいて九曜は壁に身を潜め、直角になった壁からそっとのぞく。  そこには籠に山ほど衣類をのせて運んでいる娘がいた。こちらへ近づいてくる。    

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