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23:久しぶりのケイン

「ふぅ」  僕は綺麗に文字で埋まり切ったページを眺めながら羽ペンを置きました。なんだか、とても疲れてしまいました。窓の外を覗いてみれば、優しい月の光が微かに漏れ入ってきます。とても穏やかです。  戦争が目前に迫っているなんて、誰が思うでしょう。 ------ラティ殿下、貴方は何者ですか。  頭の中で、パイチェ先生が問うてきます。何度も何度も問われた言葉です。 「僕は、大国スピルの第四十七代、王太子です。将来は国王陛下の跡を継ぎ、スピルを治めます」  その問いに、刷り込みのように覚えさせられてきた言葉を口にします。僕は大国スピルの王太子。国を統べ、民を守る者。 「でも、僕は……名前も知らない国民の為には、頑張れない」  そう、僕は僕の為にしか頑張れない。落ちこぼれで、愚かな王太子。鞭に打たれるのもイヤ。バーグに行くのもイヤ。殺されるのはもっとイヤ。  バーグに行ったら何をされるだろう?  きっと「ようこそいらっしゃいました。ラティ様。こちらにどうぞ。温かい食事と、柔らかいベッドを用意しておりますよ」なんて言って貰えるワケありません。敵国の王子である僕を、バーグの者達は皆、憎しみを込めた目で見るでしょう。  だったら、生まれ育ったスピルで疎まれながらも、愚かで何も知らないフリをしながら生きる方がまだ…… 「マシ……なのかな?」  僕はどうして“此処”に居たいと思っているんだったっけ?  そうやってしばらくぼんやりしていると、突然、コンコンと部屋の戸が叩かれました。そして、次の瞬間、聞こえてきた声に僕の胸はパッと躍りました。 「ラティ殿下、言いつけ通り参りました」 「っケイン?」 「はい、ケインでございます」 「通してください!」  僕は扉に駆け寄ると、そこにはいつもと違い、訓練着の姿のままのケインが立っていました。 「このような格好で申し訳ございません。着替える間がなく」 「ゆ、許します!さぁ、中へ!」  僕は見慣れないケインの姿に少しだけドキドキしながら、部屋に招き入れました。バタンと戸が閉まり、部屋の中にはケインと僕の二人きりになります。あぁ、一カ月ぶりのケインです。僕は居ても立ってもいられず、ケインに向かって体を乗り出しました。 「ケイン!久しぶりだね、会いたかった!さぁ、座って」 「いや、今日は本当に顔を見に少し寄っただけだ。すぐ戻る」 「そんな……ちょっと、ちょっとだけで良いから座って話せない?」  諦めきれずに僕がケインの手に触れようとすると、スッとその手は引っ込められてしまいました。 「部屋が汚れる……それに、汗をかいているから、あまり近寄るなよ」 「そ、そんな事言わないで!僕、ずっとケインに会いたくて堪らなかったんだよ」  やんわりと僕から距離を取ろうとするケインに、僕は必死で周囲をウロウロしながらケインに触れる機会を伺いました。本当に訓練の直後に来てくれた事が、フワリと香ってくる汗の匂いで分かります。素敵な匂いだと、僕は思います。  すると、そんな僕にケインはフッと吹き出しました。 「……っくく、ラティ。まるでお前、犬みたいだ」 「そ、そう?」  クツクツと肩を揺らして笑うケインに、嬉しさのあまりもっとケインの周りをウロウロしました。出来る事ならケインに触りたい。あぁ、犬ならきっとケインが飼い主だったら喜んでペロペロと舐めに行く事でしょう!あっ、そうです! 「ケイン!どこか怪我しているところは無い?」 「は?」 「あ、ここ!ここに切り傷があるね!みせて!」  嬉しくて嬉しくて、僕がケインの腕に見つけた傷にいつものように「治療」をしようとした時でした。 「ちょっ、は!?何やってんだよ!今の俺が見えてないのか?」 「え、見えてるよ?」 「俺は訓練の後だ!もちろんシャワーも浴びてない!」 「うん?」  それは見れば分かります。僕はケインが何をそんなに慌てているのか、ちっとも分かりません。いつもならケインから「舐めろ」と言ってくれるのに。どうして今日はダメなのか。一カ月ぶりで、ケインの体に僕の知らない傷があるかもしれない。痛いかもしれない。  そう!僕はケインの体に触れたくてたまらないのです。 「ケイン、僕はキミが一体何を気にしているのか分からない。僕は君にとても触れたくて仕方ないのに」 「……っこれだ」  僕の言葉にケインは疲れたように頭を抱えました。チラリと覗くケインの耳は朱色に色付いていました。もしかして、耳も怪我をしているのではないでしょうか。 「ラティ。ともかく、今は治療は良い。さっきも言ったように、俺は少し顔を見に来ただけだ。明日も早いからすぐに戻る」 「そんな……」  来たばかりなのに。せっかく一カ月ぶりに会えたのに。  僕はケインともう少しだけ一緒に居たくて、賢くない頭で必死に考えました。どうすればケインは此処に居てくれる?あと少しでいい。僕はもう少しだけケインと一緒に居たかったのです。 「あっ、あ!ケイン、あの!ウィップがキミに会いたがっているよ!」 「ウィップ?」 「そう、キミに会えなくて……その、寂しがってるから!」  僕は、ともかくケインと共に居たいが為に、ウィップをダシに使う事にしました。お喋りできなくても、ケインがこの部屋に少しでも長く居て欲しい。だって、次はいつケインがここに来てくれるか分からないのですから。 「っふ。じゃあ、少しだけウィップに会っていくとするか」 「うんっ!そうして!」  苦笑しながら頷くケインに、僕は急いで机の上からケインを取って来ました。ケインは「汚れるから」といつものようにソファに座ってくれなかったので、入口で立ったままのケインにウィップを連れて行きます。  汚れるのなんて、僕はちっとも気にしないのに。 「ウィップに会うのも久々だな」 「一カ月ぶりだもんね。ほら、このページからだよ!ゆっくり読んで!」  少しでも長く一緒に居られるように。ウィップを嬉しそうに目を細めて読み進めるケインの隣に立って、ただただケインの傍に居られる喜びをかみしめたのでした。

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