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第1話

薄暗い師走の空に浮かぶ太陽が嘲るように見つめていたから、僕は目を細めた。 外に出た瞬間に寒さが頬を刺す。冷え切った家の鍵を握り、錠を落とす。幼い頃から何度と無く通ってきた駅への道も少し冷たい表情をしている気がした。駅に近づくにつれてだんだんと人が集まってくる、これだけ大勢の人間が世界のたった一握りでしかないなんていう事実が偶に嘘だと思えてしまう。これだけ大勢の他人がいて僕の求める人がそこにはいないのだ。 満員電車に揺られて数十分。電車の自動ドア開く。ぞろぞろと自分と同じ制服を着た奴らが降りてくる。未だに残る眠気を払いながら上に羽織ったダッフルコートのポケットに手を入れて黒い波にのまれて行く。学校までの上り坂、半分寝たような意識のまま緩々と進んで行く。 「よっ、泰親。おはよう。」 もうかれこれ6年近く付き合いのある友人顔を見つめる。 「おはよう。」 「どうした?まだ眠いのか?目が半分しか空いてないぞ?」 「眠いね。これで朝から英語の演習っていうんだから、全く受験生ってのは反吐が出るよ。」 受験生と区分されるようになって早8ヶ月。僕らがよく目にする歴史の年表で8ヶ月なんていうのは一行にも満たない。でもそんな行間で、何もないようで様々なことが起きていた。 遡ること9ヶ月前。実名登録のSNSの通知が鳴った。通知を寄越したのは僕の中学時代の同級生だった。 『東鴻一』 中学の頃に一度も話したことは無かったが、名前はよく知っていた。普段あまり喋らなかったり、かと思えば急に教室を飛び出して行ったり。髪の毛が派手な色だったりと、とにかく話しかけ辛い奴だった。だから、正直通知が来た時もどんな反応をすれば良いのかよく分からなかった。 結局通知を放置して数日後、今度はメッセージが届いた。 『久しぶり。俺のこと覚えてるかな?親の都合で大阪の高校に進学してから、東京の友達と全然関われてなかったからさ。久々に名前見て思わずフォローしちゃった。』 東が大阪に行ったことは人伝に知っていたが、まさか自分自身に連絡が来るとは思ってもみなかった。 『もちろん覚えてるよ。中学の頃はあんまり話せなかったけど。大学はこっちに来るの?』 当たり障りのない適当な事を書いたつもりだった。 『一応そうしようと思ってる。大学入ったらまた会いたいな。』 そんな会話が何回も続いた。メッセージを続けるうちに、LINEも交換した。そして、LINEを返しているうちに、通話をする事になった。なんだかんだ言って、会話をするのはこれが初めてかもしれない。 「もしもし……えっと……久しぶり。」 思っていたよりも優しい声だった。久しぶりなんて言ってはいるけど、感覚としてはほとんど、初めましてだった。 「久しぶり。元気してた?」 「まぁ……ね。少し、声低くくなった?」 「そう、かな。」 そこからは不思議な感覚だった。久しいようで、初めてなようで。面白いように会話が弾んでいった。中学の頃に見ていた尖った東とはまるで別人のようで、少しづつ興味を惹かれていった。 それから二週間ほどが経った。毎日のように通話をしているうちに段々と東の様子がおかしくなってきた。何か言いたい事を抑えるように言葉を飲む回数が日を追う毎に増えていった。 「なぁ、東。僕に言いたい事あるだろ?」 「え?うーん。まぁ、なくはないけど。」 「はっきりしないなぁ。」 「えっと……俺、鈴木の事、好き……なんだ。」 言っている意味が、最初は理解ができなかった。ろくに面と向かって話したことない奴に告白されるのも驚いた。でも、何故だか男に告白されたことに対する違和感や不快感は全く湧いてこなかった。 「それで?東はどうしたいの?」 もしかしたら話しているうちに東の気持ちを感じていたのかもしれない。いや、すでに僕は東に惚れていたのかもしれない。 「俺……おまえと友達じゃ嫌だな。」 「そういう時は付き合ってください。じゃないの?」 「そう……かな。あはは。」 僕としてはこの上なく最悪な告白だった。それでも僕の答えは決まっていた。 「いいよ。」 それから、9ヶ月。所謂遠距離恋愛の壁は厚かった。いくら好き合っていても受験生の僕らに会う暇は無かった。幾度と無く立てたデートの計画も全てご破算となった。東は家の事情もあって段々と通話をする機会も減っていった。虚しくLINEの緑色の画面を見つめる日々が続いた。話さない間に余程僕は東鴻一という男に惚れていたのだと気付かされた。 これがこの9ヶ月の出来事。 「まぁまぁ、あと数ヶ月の辛抱だ。頑張ろうぜ。」 巧の言葉がずしりと感じた。東と連絡が薄弱になって約一カ月。その間で随分と神経をすり減らされているのに、それがさらに倍以上も続くのかと思うとそれだけで胃が痛くなった。 「まぁ、寝ないように辛抱するよ。」 乾いたように笑った時には、もう教室についていた。 十二月二十一日(土) 黒板にいつものように書いてある日付。そんなものを見るのも辟易する。あいつと前に通話してから何日。付き合い始めてから何日。あいつに会えるまで何日。そんなことばかり数えてしまう。 「泰親。久々にどっか寄ってこうぜ。」 「あ、うん。いいぜ。昼飯でも食って帰るか。」 あいつと一緒にまだデートだったしたことないのに。そんなこと思いながら、一日が過ぎてゆく。今日も一日連絡が来ずに終わってしまうのではないか。話せない間にあいつの気持ちが離れてしまうのではないか。もう、次の連絡はないんじゃないか。そんな風に悪いほうに考えてしまうのは、僕の悪い癖だろうか。 都会の学校に通う僕らは、不味い学食は殆ど利用しない。一歩外に出れば様々なチェーン店やラーメン屋、小洒落た安いランチを提供してくれるイタリアンや少し高いけど和食のお店もある。確かに学食は安いけど、私立校のせいか友達は皆、午前中で授業の終わる土曜日には、外に足を伸ばしていた。色とりどりのイルミネーションが飾る都会の街を見る僕の目は、羨望の眼差しと呼ぶのだろうか。もう直ぐクリスマスの休日ということもあってか人が多い。一緒に服を選んだり、食事したり、いっそ並んで歩くだけでいい。隣にいるのが巧じゃなくてあいつならなと、申し訳ないことを思ってしまう。 「泰親、どこ行く?」 「この間行った、パスタのお店。あそこのランチがいいな。」 恋人と二人でイタリアン、なんていうのも憧れだな。 それでも、その後食べたパスタは少し塩気が足らない気がした。 ご飯を食べたあとも、結局近くのゲームセンターでお菓子のクレーンゲームをしたりとはしゃいだ結果、随分と疲れがたまっていたようで、今日は早めに寝ることにした。朝起きたら、あいつから連絡はあるだろうか。そう思いながら、特に通知の入っていないケータイを見る。そうか、明日は、楽しみにしているドラマの日か。 12月22日(日) スマホのスクリーンに映し出された表示。あいつのではない通知が並ぶ。寂しいようで、少し苛立つ。今日が二十二日で、明日が祝日。明後日が終業式でクリスマス・イブ。そして明々後日がクリスマス。これからは特別な日が続くなと、カレンダーを見ながら色々考える。 そして、ふと、思い出す。これからは特別な日?違うそうじゃない。今日から特別な日なんだ。今日はドラマの日なんかじゃない。今日は……あいつとの記念日じゃないか。毎月、特に祝ったりはしないけど、今までの事を思い出したり、これからしたいことを話す、小さな記念日。僕は話さない間に、そんなことも忘れていた。なんだか自分が物凄く薄情になったようで、物凄く不愉快な気分だった。でも、そんな特別な日にあいつはきっと帰ってこないのだろう。不貞腐れるようにベットに沈む。なぜ、悲しい時に隣にあいつがいてくれないのだろうか。そう思うことは多々あった。でも、今日ばかりは寂しさがそっと励ましてくれているようだった。 結局、その日と翌日の祝日は一歩も外に出ることはなかった。外に出るだけで、また太陽に嘲られる気がした。そして、その二日間の間も、あいつからの連絡は一切なかった。 12月24日(火) 今日も、スマホの通知はあいつからのものではなかった。おまえじゃない、おまえじゃないと思いながら、一つづつ消化していく。スマホを握ったまま洗面所に行き、眠い顔を洗う。本当は髪を整えるのも面倒だが、流石にクリスマス・イブに粗雑な格好で外に出るのも癪に障ったので、いつもより多めにワックスを手に取った。 外に出ると今日の太陽はいつも以上に嘲笑っていた。憎むように目を細めてやっても、奴は余裕の表情だった。いつものように感化雑踏に飲まれて行く。 「どうした、腹でも痛いか?」 学校に着くと巧が声をかけてくる。 「いや、別に?」 「眉間に皺よってるぞ?」 からかうように僕の眉間をグリグリと抑える。違う。そこを触っていいのはおまえじゃない。 「大丈夫。へーきへーき。」 片手を上げて制するように巧の腕を払う。 「本当か?」 「本当に……大丈夫だから……」 気が付いた時には目から涙が流れていた。 「泰親……?」 「大丈夫っ……大丈夫だから。」 僕には最早その言葉を繰り返すことしかできなかった。なんでこんなことで涙が零れたのかは自分でもわからない。もしかしたら、二日も他人と触れ合っていない中で触れた優しさが、あいつの優しさでは無かったことが嫌だったのかもしれない。別に巧のことは嫌いじゃない。でも、おまえはあいつじゃない。そんなぼっとした意識のまま、クリスマス・イブという特別な時間は流れていった。 日が暮れる直前、僕は塾の自習室にいた。いつもなら終業式の後は巧と何処かによるのだが、昼間の出来事の所為か今日は特にどこかに行くことはなかった。かといって家に帰る気分にもなれず、塾の自習室で、半分不毛とも思える時間を過ごしている。時計の針の音がよく響いた。 そんな時、唐突にポケットのバイブレーションが鳴った。一旦席を空け自習室の外に出る。願うように、いや、そうであるはずだと念じて、スマホのボタンを押す。 『東鴻一』 待ちわびていた名前がそこにあった。もう、二週間以上も待っていた名前だった。呼吸が浅くなる。 『しばらく連絡できなくてごめんね。それで、チカちゃんは今まだ学校?』 取り留めのない文面が、今はとても愛おしい。 『ごめん、今塾なんだ。まだ通話できそうにないや。』 直ぐに既読がつく。それが繋がっているようで、気持ちが高揚する。 『いいよ。全然大丈夫。塾かぁ。チカちゃんってどこの塾行ってるんだっけ。』 『家の近くのS塾。』 『S塾かぁ。俺K塾だからなぁ。あんまりわからないや。勉強頑張って』 『うん、頑張る。』 次の既読は付かなかった。でも、上の空だった気持ちもスッキリとして、再び自習室の机に戻る。些細な事だけど、今日がとても特別な日なった気がした。 それから2時間、ちょうど夕食に間に合うぐらいの頃合いで帰り支度を始める。久々に、捗ったような気がして上機嫌で外に出る。刺すような冷たさが今は心地よい。浮かれた気分で顔を上げると随分と久しぶりに見る顔がそこに立っていた。髪の色が思い出と違うせいか、知っているようで、知らないあいつがそこにいた。 「チカちゃん」 待ちわびた声が聞こえた。 「鴻一……なんで……」 「えっと……大学の下見行くとかいろ いろ理由つけてこっち来たんだ。どうしても……チカちゃんに会いたかったから。」 欲しかった言葉が聞こえた。 「えっ……えっ………」 いつかこんな日が来たらなんて妄想はしていた。でも、欲しかった言葉を言ってくれたあいつは、今、目の前にいる。 「ずっと……そこで待ってたの?LINEした時から?」 「チカちゃんの最寄り駅で待ち伏せしてれば逢えるかなって。」 「2時間もここで待ってたの?」 「うん。」 「LINEすれば、下に降りてきたのに。」 「驚かせたかったし、チカちゃんの邪魔しちゃ悪いと思って。」 「ばかっ………ばかっ………」 立ち竦む僕に東がゆっくりと近づいてくる。そうしで僕はゆっくりと東の胸の中に収まった。欲しかった温もりがここにある。 「ずっと……ずっと待ってた。会えるのずっと待ってた。……すごく……嬉しい。」 今朝まで僕の事を笑っていた太陽はどこにもいない。今日、二度目の涙を月は優しく見守ってくれているだろうか。 欲しかった感触が僕の唇に触れた。

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