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第1話 二人の皇子

 人魚。それは上半身が人間で、下半身が魚という神秘的な生き物。他には長い髪と美しい声が特徴だろうか。  人魚は大抵、女性の姿で描かれるが、実は男性もしっかり存在していたりする。女性型の目撃例が多いのは、あちこちに連れ立って観光に行き、やれアカペラで合唱だの、やれ人間の男を誘惑してみたいだの、何だかんだと煩いせいだ。俺は、そう分析している。  その一方、男性型の人魚は大人しいものだ。海の底で静かに暮らして、繁殖期以外は何らかの研究に没頭したり、歌や音楽などの創作活動に勤しむ。  俺は前者の研究者タイプで、その対象はずばり『人間』だ。人魚の身体の半分は人間を模しており、興味が出るのも当然と言えよう。  なので俺は、ちょくちょく浜辺まで人間の観察に行く。季節は現在――夏が一番いい。何と言っても居る人間の量が違う。  俺の父親が第九十八代皇帝という存在のせいで、俺自身も皇子だのトニアラン殿下だのと呼ばれる立場である為、なかなか監視の目は厳しいが――俺は割と頭が回るので、特に何の問題も無い。  その日、俺はいつも通り、浜辺に行こうと移動していた。だが、あいにくの天候で海は大荒れ。出発時は海底に居るから気づけず、こんな事もある。  これでは到底、目的の人間観察は出来ない。俺は帰ろうと尾びれを動かした。だが、そこに見たこともないような豪勢な船底が見えたので、すいすいと引き返す。『こんな船に乗っているのは、一体どのような人間だろう?』と興味を惹かれたからだ。  俺は船から少し離れ、水面に顔を出す。甲板では妙に偉そうな服装をした人間たちが、激しく右往左往していた。そこで俺は理解する。この船は今にも沈みそうなのだ、と。  その騒ぎの中、一人の指揮官を見つけた。甲板に転がる樽や飛んでくる縄を素早く避けながら、腕を振り上げ大声を出している。その男は、叩きつける様な雨に濡れていたけれど――穏やかな茶色の髪と翠の瞳、胸元に付けた羽飾りだけは何とか見て取れた。  その時なぜか、俺の心臓がどくんと弾む。発情期に多い症状だが、今は季節も違うから不可解だ。  俺が戸惑っている間に、船はぎしぎしと大きな音を立て始める。この船は、もう限界だ。それを理解している人間たちが、次々と荒れた海に飛び込む。もちろん、あの男も。  このような嵐の中で、人間は一人残らず溺れ死ぬだろう。  そう思ったら、俺の身体は勝手に動いた。一目散に指揮官を助け、水面に浮かべる。間近で見た男は、かなり可愛らしい顔立ちをしていた。童顔とでも言うのだろうか。船上では非常に厳しい表情を見せていたので、却って落差にどぎまぎする。  俺は男の無事を確認したくて声を掛けてみた。しかし、返事は無い。なので慌てて胸の音を聞くと――俺の耳に規則的な鼓動が伝わって来たから、取り敢えずだが安心する。どうやら気を失っているだけらしい。多分、水を飲んでしまったのだろう。俺は男の症状がこれ以上悪化しないよう、身体全体で守りながら浜辺へ向かった。  やっとの思いで辿り着いた浜辺は、沖合いよりは穏やかな状態でホッとした。俺は少しだけ海から上がり、男を横たえる。今は瞼を閉じているから、あの翠が見えない。とても残念だ。俺の中には、この男と話をしてみたい、そんな感情が浮かんでいる。  俺は男の頬をそっと撫でてみた。ああ、熱い。人魚とは全く違う体温だ。人間に触れた事が無いから知らなかった。なぜなら人魚が人間の前に姿を現すのは禁忌で――しかし女性陣は好き勝手にやっているのに罰せられないから、俺だって少しくらい許されるだろう。  俺は男の髪も撫でてみる。これは人魚よりかなりフワフワで柔らかい。人魚の髪は水中でも邪魔にならない様、かなりの直進性を持っている。だから、とても面白い。俺の研究心が掻き立てられた。  次に俺が目を付けたのは、男の下半身だ。これが人魚と人間の最大の違いと言ってもいいだろう。俺は邪魔な布切れを脱がせに掛かった。これのせいで、何も見えないからだ。特に腰周りの革製品には大変苦労する。金具が留まっている構造を解くのには時間が必要だった。しかし、苦労の甲斐あって、布切れを脱がせる事に成功する。そこには立派な脚が二本と生殖器が存在していた。  俺は感動で何も言えなくなる。まさか自分の手が届く範囲に、この様な素材が現れるとは。  俺は早速、研究を開始した。最初にするりと脚を撫で、頬と温度が変わらないのを確認する。それから生殖器。その形態は、男性型人魚と同じような物だった。ただ、人魚の生殖器は発情期以外、格納されているので――この男が現在発情中なのか、それとも人間とはいつも生殖器が露出されているのか、更に調べる必要がありそうだ。  俺はツンツンと男の生殖器をつつく。すると生殖器は反応し、どんどん大きくなってきた。これも人魚のそれと近い。  その時、女の悲鳴が聞こえた。桃色の長い髪をした人間の女だ。こちらを見て大層驚いている。俺は慌てて水に戻った。すると女は男に駆け寄り、介抱するつもりなのか手を伸ばす。だが、男の下半身を見て再び悲鳴を上げた。そのまま女は両目を覆って一目散に去っていく。なので俺は、気を取り直して先程の作業の続きをした。生殖器の様子は刻々と変わるから、この先に何が起こるかを知りたいのだ。  そこに、男のうめき声が響く。表情を見れば、眉をぎゅっと寄せていた。そろそろ目覚めてしまうのかもしれない。男が人魚である俺を見て、どういう反応を示すのか判らないため、俺は目覚めてくれるなと祈ってしまった。だが、無情にも男は瞼を開け――だから、あの翠が真正面から俺を射抜く。途端に胸がどきりとし、発情期に似た状態になって動けなくなった。これは船の上に居たこの男を見た時と同じ症状だ。 「き、君は……? 僕、船に乗っていた筈で……」  男からは甘くて優しい音が紡がれる。こんな風に聞こえてくるのは何故だろう。夏の浜辺で他の人間を観察した時に、幾らでも声を聞く機会はあったけれど、このような気持ちになるのは初めてだ。今ほど人魚と人間の言語が同じで良かった、と思えた事は無い。そんな俺に男は微笑む。 「君が助けてくれたんだね、ありがとう」  それは事実なので、こくこくと頷いた。男は俺をじっと見つめてから、砂浜に手を着く。どうやら身体を起こしたいらしい。俺は男が消耗していると思い、慌てて手を貸した。 「……だ、大丈夫、か?」  俺の声を聞いた途端、男が瞳を丸くする。それから、俺のことを頭のてっぺんから尾びれの先まで眺めた。 「すごい、君は人魚なのか……! 目覚めた途端に君の顔が見えて、何て綺麗な人だろうと思っていたけど……やっぱり声も言い伝え通り、とても魅力的だ……!」 「いや、俺の声など、女性型に比べれば全然――」 「そんな事ないよ! あの、ええと……すごく素敵だと思う! 声だけじゃなくて、その流れるような黒髪と同じ色の瞳と鱗も、真っ白な肌も!」  男に褒められると、俺の頬がかあっとしてくる。なので俺は目を逸らした。それなのに、男が俺の頬をそっと引き寄せる。やはり男の手のひらは、とても熱い。 「……人魚って、ひんやりしてるんだね」  俺と逆の感想を言う男。面白くて思わず噴き出してしまった。 「あ、笑った!」  男は嬉しそうに言ったあと、そのまま俺に口づけした。ああ、唇も熱い。その舌だって。  男が俺を貪るたび、俺の呼吸が乱れた。はぁはぁと息を吐く俺に、男は困ったような表情を見せる。 「参ったな……君は可愛くて、綺麗で、積極的で……」  男が自分の下半身を指さす。そこには俺がつついた時よりも立派になった生殖器が見えた。 「これ、脱がせたの君でしょ? 助けるだけなら必要ない行為だ。つまり、君は――」 「すまん、興味があって研究しようと思ったんだ。俺の研究対象は人間だからな」 「じゃあ、もっと知ってみる?」  男が俺を、ぐいっと抱き寄せた。そして、俺を砂浜に押し倒す。俺の視界が男で一杯になり、そのせいで俺の心臓が暴れまくった。発情期以上の反応だ。 「お、俺、何かが変だ……お前が居ると、おかしくなる」 「うん、僕も同じだよ……」  男の手のひらが、つうっと俺の身体を撫でる。熱さの移動に驚いていると、男はちょうど俺の下腹部でぴたりと止まった。 「あのさ、君って、その……アレはどこに?」 「アレとは何だ?」 「ええと、僕のコレみたいなもの」  男が俺に、生殖器を握らせる。それでやっと理解した。 「お、俺の生殖器なら、発情期以外は仕舞われているんだ。そういうお前はどうなんだ? 今は丁度、発情期なのか?」 「人間は毎日発情期だよ。あと、生殖器を仕舞う事も出来ない」  それを聞き、俺は驚いた。これでは人間が地上に増えるわけだ。 「人間とは不思議だな!」 「君こそが不思議だよ! ……ああ、そんな君の事を、僕はすっごく抱きたかった……」 「お、俺と交尾するつもりだったのか? 俺は男性型だぞ?」 「男性なのは知ってるよ! でも、今は生殖器が無いんだよね――君も気持ち良くなれないんじゃ意味ないし、我慢しなきゃ」  男は心底がっかりしているようで、少し乱暴に俺を抱きしめた。強い力だ。なので全身に熱が浮く。これはきっと男の体温のせいだけじゃない。  俺は自分における身体症状を一つ一つ数える。その結果、性器が仕舞われている以外は全てが発情の傾向を示していた。 「……俺もお前と交尾したかったらしい。とても残念だ。思えば船の上でお前の瞳を見た時から、俺は――」  皆まで言わせず、男は俺に口づけた。ぬるぬると絡む舌が心地よい。それを受け、俺は自然と男の生殖器に手を伸ばしていた。 「……っ、君、どういうつもり? せ、せっかく我慢してるのに……!」 「わ、判らない、人魚同士の繁殖は性器を繋ぐだけだから――なんで俺は、こんな」 「……そう、じゃあ人間のやり方を教えてあげる。人間は色々な方法で繋がるんだ。例えば、こんな風に」  男が俺の後頭部を優しく押し、自分の生殖器まで連れて行く。 「ね、舐めてみて?」 「あ、ああ、解った、未体験だが努力してみよう」  俺は男に言われたとおり舌を這わせた。すると男は俺の髪を撫で、愛しそうに微笑む。 「嬉しいな……ちょっと咥えてくれれば、すぐ出ちゃうかも」 「咥える? こうか?」 「そうそう、上手いね本当に……口の中の様子も、少し違う……ぬるつきが……!」 「お、お前に褒められると、俺は嬉しい。だから、もっとやってやる」  俺の口内が気持ち良いらしいと理解できたので、俺は男の生殖器をなるべく深く収めるよう努力した。その結果、俺の息が詰まるくらい咽喉の奥を使う事になってしまったが――その過程で男の余裕が無くなったのに気づき、じいんとした幸せを感じる。  やがて男から、何か勢いのある液体が何度か放出された。それは咽喉の奥にそのままぶつかり、俺の中に落ちていく。 「なんだ、これ……? 咽喉にお前の味がする……」  俺が不思議がっていると、男がまた俺を抱き寄せた。 「……あー、僕はもうすっかり君にやられちゃったよ! これじゃあ、どんな釣書もゴミみたいなものだ!」 「つりしょ?」 「お見合いの身上書の事。僕、これでもこの国の皇子なんだ。だから、毎日毎日すごい量のそれが届く」 「偶然だな、俺も父親が皇帝だから皇子だ……!」  互いが互いに驚いて、思わず顔を見合わせる。 「すごい、この境遇が合う人なんて、なかなか居ないよ?」 「ああ、俺もそう思う」 「やっぱりこれって運命だよね! あの、ええと、僕はエドワード=ラ=アスター! 十七歳! 気軽にエドって呼んで! 君を愛してる!」 「俺はトニアラン=ヴィ=シーキング! こちらも十七歳、トニーと読んで欲しい! 心がお前に発情中だ!」  俺の発言にエドが笑った。その笑顔はくすぐったくて、少し眩しい。  それから、俺とエドは抱きしめ合いながら二つの約束をした。週に一回この浜辺で逢う事と、俺が本当の発情期に入ったら今度は俺を気持ち良くさせる事だ。  俺は約束の証に、黒い鱗を一枚剥いで渡した。これはとても痛みを感じる行為なのだが、暫くすれば新しく生えてくるし、エドにだったら渡してもいい。それに、魔除けの効果もあるから、きっとエドを守ってくれるだろう。エドはいたく感激して、胸元に付けていた羽飾りを寄越した他にも、嬉しい約束を追加してくれた。 「この浜辺は僕と君以外は立ち入り禁止にして――あと、そうだな。波打ち際に別荘を建てるよ。君が海から、そのまま家に入れるような屋敷を。そうすれば落ち着いて逢えるよね?」 「その家は、俺がこの浜辺に来る度に、だんだん出来上がっていくのか?」 「そうだよ、楽しみにしていて」 「ああ! 絶対に約束だぞ!」  その時、遠くからざわざわと沢山の人間の気配がした。エドは自分の家臣が探しに来たと言っている。一応人間に姿を見せるのは禁忌、さすがにこの頭数に存在を晒すのは不味い。俺はエドにそれを伝え、海の中へと戻る。するとエドが名残惜しそうにばしゃばしゃと水中まで追いかけて来て、俺に何度目か判らない口づけをした。 「トニー! また来週――ここで!」 「必ずだぞ、エド!」  きりが無いし、本格的に家臣の姿が見えて来たので、俺は海に潜る。少し経ってから寂しくなり、水面に顔を浮かべたら――まだエドがこちらを見つめていたので、ひどく幸せな気分になった。来週が本当に楽しみで、今から待ちきれない。  俺は自分の屋敷に戻ったあと、エドから貰った羽飾りを宝石箱に仕舞った。とても嬉しく、幸せな気分だ。

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