1 / 1

青春地獄

 つい今しがたまで腕に絡まっていた温もりは、まるで俺の腕が存在しなかった様にするりと消えてしまった。  まだ暑さが残るとは言え、秋草が生い茂る川辺り、夕方、虫の声、向かいから来るランニングの男。 「あ、真面目スポーツマン」 「友達?」 「そーお前あんま学校来ないもんな。バスケ部の主将だよ」 「へー」  ランニング男はこちらに気が付くと、フードを外して爽やかに笑った。 「おつかれ、部活後まで走ってんの?」 「ああ、今日は部活軽めだったからな」  爽やか男は目線を下げると、制服姿の華奢で青白い肌の男を目に入れて、息を呑んだ。  その顔を向けられた、華奢な男も息を呑む。  恋が通じ合う瞬間を見た。  恋人であるはずの男と、クラスメイトの男の。 「あ、悪い、マジでごめん。俺忘れ物したわ。悪いんだけど、ランニングついでにこいつ家まで送ってやってくれない?」 「え、あ、ああ……良いよ……」 「だ、大丈夫だよ! 待ってるし!」 「いや、ダメ。まだ暑いし。具合悪くなったら困るし。明日も学校来いよ」  心はもう木枯らしだ。  でも、きっと、恋を優先する奴は、恋人という契約をしていても恋を優先する。  こうやって。  きっと、数日後には、手を繋いで神妙な、辛そうな顔で言ってくる。   「話がある。俺を殴ってくれ」 「ごめん……僕が好きになっちゃったから……悪いのは全部僕で……」 「ははは、まあ、良いんじゃねえの。しょうがねえし、引き止めたって怒ったって、人の心は変えられねえだろ」 「ごめん……」  ぼたぼた流すんだ、涙を。  初めてセックスしたときに、俺に向かって好きと言いながら溢していた涙にそっくりだ。  恋をする人間はいつだってこうだ。    そして、何年も経って、何人もとセックスをして、薄まって、好きだと言われて微笑んで、俺もだよと返す。  本当は、健康で、金に困って無くて、四肢が長くて、背中が広くて、しょうゆ顔で、足が臭くなくて、ちんこのでかい、恋をしない男と、家族になりたいだけだ。  健康で、金に困って無くて、四肢が長くて、背中が広くて、しょうゆ顔で、足が臭くなくて、ちんこのでかい、恋をしない男の俺は、そう思う。   「いや、いや、ずっとお互いに恋し続けりゃ恋したって良いんじゃないかな……」 「そのずっとが信用ならねえってなるわけよ」 「まあ、それもそうだけど。もうお尻痛くないの?」 「めちゃくちゃ気持ちいい」 「俺もお前の中気持ちいい。俺は恋しないけど、お前に愛はあるんだよ」 「ああ、愛って手があったか」 「それから、情もある」 「愛が冷めても情は残りそう」 「一緒に住もうよ」 「考えさせて」    同窓会で見かけた奴等は、それぞれ女と結婚していた。恋なんて本当に信用がならないものだ。  少し照れた顔で、あの頃はありがとう、なんて言い合っている二人には、いったい相手が何に見えているのか。  春の川辺り、桜が漫然と咲き誇る。微かな甘い香りと淡く雅やかな色合い。  そして、激しい花粉。  目を腫らして鼻を啜る。 「抗ヒスタミン剤のデリだよ」 「何でいる」 「だって、テーブルに飲み忘れてたし。高校の同窓会なんて、ノンケは結婚してるし子供居たりして、心細くなるんじゃないかと思ってさ。人としてほっとけないよ。よく行くよね」 「いや、ほんと、行かなきゃ良かった……」 「そうだね。かえろーよ」 「うん」 「腕組んじゃお」  絡みつく腕は暖かい。  

ともだちにシェアしよう!