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第81話

(終わった…)  ついに、全ての入試が終わった。先月受けたセンターも良い結果を収められ、かなり余裕がうまれていた。今日受けた本入試も、手応えもかなりあり、心配する結果にはならないだろう。それでも本番はやはり緊張して、息を吐いて、背もたれに身体を預ける。視線を窓外に映す。小さな四角の窓の外は、もうすっかり雲の上だった。どこまでも澄んだ青が染める世界。  本入試を終えた僕は、今、ニューヨーク行の飛行機に乗っている。  手元でかさり、と今日のチケットを指でこする。これは、先月、送られてきたものだった。  彼と再会したあの日から、たまに、プレゼントが送られるようになった。最初は、図書館のカウンターだった。紙袋の中には、僕の好きな紅茶が入っていて、受け取ったという谷口さんの風貌を尋ねると、背の高いアルファらしい男だったことや見た目の特徴から、彼が僕に持ってきたものだと判断した。しばらくすると、今度は自宅に名無しで送られてくるようになった。それは時に、本だったり、お菓子だったりと小さいものだったが、毎回送られてくるそれに、彼からの好意を感じていた。お礼に連絡をしようと何度も、メッセージアプリを起動したが、いざ目の前にすると、送信ボタンが押せずに何度も、合格するまで我慢しよう、と誓っては、机に向かった。  センター入試を終えた頃に、今日のチケットが届いた。飛行機のチケットともう一枚は、ホテルのチケットだった。そのホテルは、以前彼が渡米した際に過ごしていた町の中心部にあるもので、高級ホテルだった。それを無碍にしてしまうのも申し訳なかったし、何より、彼からのメッセージを感じていた。 (会いたい、って、ことだよね…?)  二枚のチケットを撫でて、僕は息をつく。自惚れかもしれない。  けれど、ちら、と光を集めて、主張するピンクゴールドに目を細める。右手の薬指にはめたそれを、指先で撫でる。触るだけで、彼がそばにいてくれるような気がして、嬉しくて、身体の奥から、じわ、と熱が溢れて、涙が出そうになる。 (さくと別れてから、僕、頑張れたよ)  心の中で、指輪を見つめながら唱える。  約半年。彼と離れていた時間。その間、僕は、頑張れた。結果は出ていないが、よほどのことがない限り、僕は彼と同じ大学に進める。さらに、国内でも最難関と言われる法学部に。司法の勉強も順調だった。法律は平等で心地が良かった。いつか、この知識で誰かを救えたり、もしかしたら彼の力になれたりするかもしれないと思うとさらにペンは進んだ。  そして、図書館という社会と触れ合って、僕は色々なことを学んだ。県立図書館という世界だったけれど、色々な考えをもった人がいて、その人にはその人の世界があって、時間があって、考えがある。それに触れると、新しいことばかりで、毎日、人と話すことが関わることが楽しかった。  その中で、よく個人的な話を受けることもあった。休日に入るとそれは多かったが、よく男の人に声をかけられた。最初は積極的に声をかけてくれることが嬉しくて楽しく対応していたが、同じ職員の人たちに「あれは下心があるから関わるな」と言われた。けれど、僕なんかにそんなことがあるわけない、と思っていたが、そういう人たちは連絡先を知りたがったり、出かけようと頻繁に誘ってきたり、なんとなくボディタッチが多い気がした。その度に、岩立さんに、「あなたのせいで図書館の風紀が乱れている」と厳しく注意された。最初は、僕が何かおかしいからだと悩んだが、休日になると岩立さんは僕の近くにいてくれて、そういう男の人たちを牽制してくれた。 「あなたは隙がありすぎる。自分のことをもっとちゃんと見るべき」  溜め息混じりに言われて、その時に僕は、岩立さんが僕を守ってくれていたことに気づいた。貸出カウンターに出ると、若い男の人たちによく声かけられる。困っていると、岩立さんが替わってくれて、谷口さんと共に準備室で本の修繕や管理表の確認の業務にあてさせてくれた。 「申し訳ありません…」  気を遣わせて、迷惑をかけていることを谷口さんに謝ると、優雅に笑われてしまった。 「見た目がいい人ってのは、それだけで損なこともあるんだねえ」  誰のこと?と視線で訴えかけると、無自覚なのは嫌味になるから気を付けてね、と優しく諭されてしまった。  僕は、今まで自分の容姿が優れているだなんて一つも思ったことがなかった。けれど、ここで働いていると、よく見た目について言われた。実際に何人にも声をかけられたし、連絡先をもらったり、はっきりと好意を伝えられることもあった。初めて、僕は自分の容姿が、褒めてもらえることを知った。  彼からつけろ、と言われた指輪をつけてから、あまりそういうことはなくなった。時に、熱心に「二番目でも良いです」とか「彼氏さんよりもいい思いさせます」とか言われることがあって、とても戸惑うことが増えたけれど。  そうした出来事は、周りの人たちに申し訳ない気持ちも強かったが、見た目的には、彼には及ばないけれど、そんなにひどいものではないのかもしれないと、肯定的に自分をとらえられる良いきっかけでもあった。 (あの時より、彼の隣に立ってもいいって、思えるようになった)  窓に反射する自分に心の中で訴える。自然と口角があがっている自分に、ほ、と胸を撫でおろした。  あの時は、世界に彼しかいなくて、彼がいなければ僕自身もいなくなってしまうようだった。けれど、周りの人に恵まれて、少しずつだけれど前に進めた。今は、僕には僕の世界がある。それは、人と比べるとちっぽけかもしれないけれど、僕にとっては大切な、僕だけの世界なのだ。  受験のため、出勤回数は減ったけれど、図書館のアルバイトも頑張れた。採用は三月いっぱいの契約だったけれど、館長から四月からもぜひ働いてほしいと言われた。自分の少ない力をちゃんと認めてくれる人が世の中には複数人いるのだと知って、その日は何もかも輝いて見えた。大切な場所が、いくつかできた。図書館、公園、それからあの小さな喫茶店。それだけでも、今の僕には、胸を張れる大きな要因だった。 (今なら、好きって、言ってもいいよね…?)  窓枠から空を覗くと、より濃い青になっていった。彼と同じ色だ。  今の自分なら、思いを伝えられる。そう思って、飛行機に飛び乗った。けれど、ふ、と気を抜くと、まだ負の津波にあっという間に簡単に攫われそうになってしまう。その度に、僕は指輪を握りしめて、うずくまるように思いを唱える。 (好きって言ったあとは、考えない)  返事が返ってこなくても、自分の思う結果にならなくても、それでもいい。 (絶対、さくを好きにさせる)  彼がそうしてくれたように。  今度は、自分が、彼に愛を返せるように。  引き寄せるように。  愛しあえるように。

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