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その後〝不法侵入を不問にする代わりに一斉の手助けをする〟という取り引きをジェゾと交わしたネバルは、喫茶店の雇われアドバイザーに就任した。
ネバルが一斉に持ちかけていた話の誘い文句。あれが決め手らしい。
販売計画がポンと浮かび、ドリンクの価値を理解し、万が一のトラブルにも対処できるネバルはアドバイザー向き。
悪賢さ皆無の一斉とツーミンは、意地悪い悪意に鈍感なのだ。
ネバルは二人に足りないところを補ういいアドバイザーになった。
意外と本人も乗り気である。
皇帝お気に入りで単独実力者のジェゾに逆らっていいことはない。むしろキチンと従い繋がりを持つほうが得だろう。
お得に弱いネバルはジェゾにゴマをするべくニッコリ承諾。
義流怪盗ネバル・マンボルト。
夢のつぐない喫茶スタートラインへ向けて、頼れる協力者が仲間になった。
「なにを描いておるのだ」
その日の夜。ベッドにあぐらをかいてボードの紙をこねくる一斉の手元を、背後から這い寄るジェゾが肩越しに覗き込んだ。
ぬぅ、と野性的な首を出されようと一斉は驚かない。
返事をする前に太い腕が腹に回り、あぐら状態のまま片足を立てたジェゾの足の間にたぐり寄せられても特に動じず、首を少しそらせてボードを見せる。
「喫茶店の完成図」
「ほう」
大きなステンドグラス窓。艶のある色の濃い木材と、落ち着いた深緑の壁、窓枠、カウンター。ダークウッドの床。
レンガの壁は奥の一面のみそのままに、大きな黒板を飾った。
立仲の案で、初めての客でも一目でわかるようレギュラーメニューをイラスト付きで載せるためにだ。
多様な種族を受け入れたい。
天井は高く、二階建て。立地はいいのだが、中央から天高く伸びた大木がネックで売れ残っていた建物である。
だから大木を囲むように二階への螺旋階段を作った。
天井を突き破って生い茂る大木により店内にもコケやツタがチラつく部分があるものの、それもまた共存だろう。
立仲は笑っていたしツーミンは面白がっていた。一斉も構わない。
立仲の記憶やツーミンの意見などいろいろ盛り込んだ完成図だ。
とはいえもうとっくに業者へ渡した完成図をなぜ今更見ているのかと不思議がるジェゾに、一斉は完成図の隣の空いたスペースをつついた。
「メニュー、考えてる」
「あぁ、馴染みのないドリンクを売る店にメニューがなければ困るな」
コクリと頷く。その通り。
一応メニューは決まっている。一般的な喫茶店よりだいぶ少ない品数だが、どれも素敵なものには違いない。文字とてグウゼンの加護によりのそのそ書ける。
ならなにに困っているのかというと、ドリンクの説明書きである。
説明自体はツーミン提案の図鑑説明丸写しでいくとしても、味や素材などは、現地人にわかりやすいイメージで伝えなければいけないと一斉は思う。故に悩んでいる。説明ってなんだ。
「どれ……メニューは見知ったものと、食事メニューの注文者のみアソヒ……この[ミルクコーヒー]とは?」
「ほぼミルクコーヒー」
「そうか」
[ミルクコーヒー]
ミルク多めのコーヒー。本場ではドリップコーヒーとミルクが「2:8」とされるが日本ではコーヒー牛乳に含まれるため定義がふやふや。最早全てを内包する度量の深い一品。ただしドリップに限る。
「[カフェオーレ]は違うのか?」
「それは、ドリップコーヒーのあんま苦くねぇやつ……に、ミルク半分。苦ぇのでもいいけど。ドリップだけ」
「なるほど」
[カフェオーレ]
ミルク感と軽い飲み口がたまらないコーヒー。コーヒーとミルクの割合が「1:1」とされるが、多少違ってもドリップコーヒーを使用していればカフェオーレ。表記はカフェ・オ・レ。
「[カフェ・ラテ]は?」
「エスプレッソに温ミルク。ミルクは細かく泡立てんだ。うまく作んの、すげぇ大変なやつ……鬼やべぇ」
「ふむ」
[カフェ・ラテ]
エスプレッソを主役にスチームミルクを合わせたバリスタの超絶技巧作。
最高のエスプレッソはもちろん最高のスチームミルクを作り、その上アートを描く意味のわからない一品。技術を問いすぎる問題児。コーヒーもミルクも濃厚でコク深く滑らかな口当たりが特徴。
「では[カプチーノ]とはなんだ?」
「エスプレッソにミルク。でも泡デカくて多い。泡でけぇと苦ぇから。泡ってなんか、同じでも味変わんだってよ」
「おもしろいな」
[カプチーノ]
カフェ・ラテに近いが、より泡の量が多くミルク感よりコーヒー感が強い。思ったより苦い。泡が楽しいヒゲタイプ。場所や作り手により定義が異なる。
「泡立ちが大きいと多く見える。空気が多い分口の中で均一に感じないが、細かい泡は舌に残る時間が液体より長い。似ているようで違うということだな」
「あぁ」
一斉を抱き寄せたまま頭に顎を乗せてボードを覗き込むジェゾが、メニューの一つ一つを指でなぞりふむと頷く。
壊滅的な説明だったが、ジェゾは当然のように理解した。
一斉もジェゾに伝わることに慣れているので平然としている。
説明力に自信はなくとも、本人は心からできていると思っているのだ。
ツーミンが起動していれば脳内ツッコミ大会がさぞ捗っただろう。
「うむ。コーヒーの苦味を緩和した種類を増やしたのはよい案だ」
「……あ、そうか」
「ん?」
ラインナップを見ただけで一斉の意図を察するできるジャガーの腕の中で、呑気にしていた一斉がふと声を上げた。
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