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第19話
「なんだ、あれは……」
「新たな鬼か?」
「弓の者は屋根を狙え!」
「陰陽寮は二手にわかれ、雷 と炎の準備を始めよ!」
新たな鬼らしき存在の出現に、御所は騒然となった。
陰陽寮は光榮 殿の指示で廊下と庭を走り回り、武士 たちも武具を手に走り出している。それぞれが同時に動き出したこともあってあちこちでぶつかり、怒鳴り合い、建物の中も外も大騒ぎになっていた。
「金花、少し動かすが大丈夫か?」
「……っ、ふふ、もう、大丈夫です、よ」
「何を言う、血が止まらないままじゃないか! どこが大丈夫だと言うのだ!」
思わず叫ぶと、「そこにいたのか」という声がすぐそばで聞こえた。それは間違いなく屋根の上から聞こえた声と同じで、全身の皮膚がぞわりと粟立つ。
屋根の上で話しているはずなのに、まるですぐ側から話しかけられたようにはっきりと聞こえる。それに恐れを抱きながら、同時に自分の体の変化に戸惑った。
「な、んだ、これは……」
体の表面はカッと熱くなっているのに、内側は真冬の雪に裸で倒れてしまったかのようにぐんぐんと冷えていく。手足の感覚がなくなり、気がつけばガチガチと歯が鳴っている始末だ。
「……最強にまずい奴が現れたな」
やっとの思いで見上げた師匠はしっかりと立っていたが、グググと歯を噛み締めているのが表情からわかった。俺も師匠もこんな状態なのに、離れた場所にいる大勢の者たちは何も感じていないのか、相変わらず騒々しく動き回っている。
「皆、気づいていないのか……?」
「ある程度の力量がなければわからないものがあるってことだ。ま、陰陽師の一人は感じているみたいだがな」
師匠の言葉に、廊下で指示を出していた光榮 殿へと目を向けた。たしかに遠目で見ても様子がおかしい。いつも冷静で人を見下したような態度ばかりを見てきたが、いまの光榮 殿は両手をだらりと下げ立ち尽くしているだけのように見える。
「ありゃあ、ただの鬼じゃない。昔、都を騒がせた大鬼、……それも、この髭切が斬った鬼と同じか、それ以上の大鬼だ」
「ほう、そこにあるのが髭切か」
またもやしっかりと響いた男の声に肩がぶるりと震えた。
「ということは、おまえが棘希 を斬った男、いや、人はすぐ死ぬんだったな。じゃあ子か孫ってところか」
「嗣名 の任に就いていたのは、俺のご先祖様だ」
「ほう、これはまたおもしろいことになっているじゃないか。あれの子孫に、そっちのからは侘千帝 の匂いがする。さらに我が兄弟ときたもんだ」
(……いま、なんと言った……?)
黒く大きな鬼は「我が兄弟」と言わなかったか。「あれの子孫」は髭切を持つ師匠のことで、侘千帝 云々はおそらく俺のことだろう。ということは、残りは金花しかいない。
(金花が、あの得体の知れない鬼の、兄弟……?)
「なぜ、あなた様がここに……」
屋根より近いところからの声にハッとした。そうだった、ここには屋根の上の鬼だけでなく例の鬼もいるのだった。
視線を庭先に向けると、先ほどと同じ格好で赤い目の鬼が立っている。しかしこちらの様子もどうもおかしい。火柱の残り火に照らされた顔は金花と同じくらい青白く変わり、俺たちを圧倒していた気配は息を潜めていた。
「烏天狗たちが来いってうるさくてな。もうしばらく都に戻ってくるつもりはなかったんだが、ちょうど彼奴 の体も安定したようだし、ちょっとした里帰りってやつだ」
「それでも、急なお戻りとは……」
「烏たちがうるさいんだよ。烏たちは其奴 の育ての親みたいなもんだから、うるさいのは仕方がないとして、勝手に使うってのはなぁ。いままでは大目に見ていたが、やれやれだ」
「なるほど、ご不快で戻られたのであれば納得もいきます。えぇえぇ、そうでしょうとも。あのような下賤が鬼王 であるあなた様の使いを勝手に持ち出すなど、言語道断。此度 こそ処分されるのがよろしいでしょう」
赤い目の鬼の言葉に血の気が引いた。屋根の上にいる鬼は、鬼の王だというのだ。赤い目の鬼だけでも手に負えないというのに、鬼の王が現れては俺たちに成す術はない。
ちらりと見た師匠と、その奥に見える光榮 殿は赤い目の鬼をじっと見ている。おそらく俺と同じで鬼たちの会話が聞こえているのだろう。しかし光榮 殿以外の陰陽師たちや武士 たちは鬼たちが話している声が聞こえないのか、右往左往の大騒ぎのままだった。
(いまので光榮 殿に金花の正体がばれてしまった。それに師匠にもだ)
いや、光榮 殿にはここにいる公達風の男が鬼だとばれただけで、金花が鬼だとばれたわけではない。しかし師匠はここにいるのが金花だとわかっているようだし、どちらにしても金花が鬼だと朝廷に知られるのは時間の問題だ。
自分も生き伸びられるかわからない状況だというのに、俺は金花のことで頭がいっぱいになった。ほとんど動かない金花の体を片腕でぎゅうと抱きしめ、この先のことに思いを巡らせる。
すると、突然ずぅんと得体の知れない圧に体を押さえつけられるような感覚に襲われた。咄嗟に鴉丸 を地面について堪えたが、あまりの圧に鞘を握る右手がブルブルと震え出す。
「なぜおまえが言語道断なんて言う? 俺はそんなこと言ってないよな?」
「そ、れは……。烏天狗は、あなた様の使い。それを下賤が勝手に使うなど、あってはならないことで……」
「それはどうでもいいんだよ。勝手に使われると、俺がこうやって呼び出されるのが面倒だって言っているんだ。ま、彼奴 の体が安定すれば、いつ呼ばれようともかまわないんだがな。暇つぶしにはちょうどいい」
「そ、それでは鬼王としての示しがつかないでしょう! あなた様は気高き鬼の王、すべての鬼の頂点たるお方。そんなあなた様が薄汚れた血の混じる下賤に使いを汚されるなど、さらに呼びつけられるなど、そんなことがあってよいはずがありません!」
「そう思ってるのはおまえだろう? 俺がどう思っているかなんて、おまえごときがわかるはずもない」
「ひぃ!」
屋根からひらりと飛び降りた鬼の王は、そのままずんずんと赤い目の鬼へと近づいていく。それなのに相変わらず周囲の者たちは雷 だの炎だの弓矢だのと騒ぎ、鬼の王が屋根から降りたことにすら気づいていないようだった。
(一体どういうことだ? 皆には鬼の王の動きが見えていないのか?)
そう思っている間にも鬼の王は赤い目の鬼に向かって生き、ついに一人分ほどの間合いにまで近づいた。
あれほど俺たちを圧倒していた赤い目の鬼だったが、こうして見るとまるで大人と童子ほどの違いがあるように見える。陰陽寮が放った雷 でも火柱でも敵わなかった鬼が、なんとちっぽけな存在に見えるのだろう。同時に鬼の王の凄まじさを痛感させられた。このあと自分たちがどうなるのか考えるだけで血の気が引いていく。
「そういやさっきから下賤下賤と口にするが、それは俺の弟のことか?」
「それは……! 鬼王であるあなた様の名を汚す者など、処分してしまうのがよろしいのです。汚すどころか人に手を貸すなど、なんと愚かなことか。鬼として存在すべきではありません! あなた様も、これまで下賤のことなど気に留めていらっしゃらなかったではないですか!」
「そうだなぁ。気にしているかと問われれば、いまでもまったく気にしていない」
「では、この場で処分されるべきかと……!」
「しかしな、彼奴 が『兄弟は大事ですよ』などと言うからなぁ」
「な……っ! そのようなことを、あなた様は鬼王なのですよ!? それに鬼王たるお方が人ごときの言葉に踊らされるなど……!」
「人ごときとは、彼奴 のことを言っているのではあるまいな?」
鬼の王の気配が一段と濃く、それでいて氷のように冷たく鋭いものに変わったのがわかった。直接対峙しているわけでもないのに鋭く尖った刃で体中を貫かれるような感覚に襲われ、再びぐぅっと奥歯を噛み締めながら二人を見る。
「それ、は……ッ。ひぃ……!」
「やれやれ、愚かな奴とはおまえのような小鬼のことを言うのだな。そもそも棘希 が死んだとき、都は誰の下にも置かぬと言ったはずだ。人を攫い食らうのはよいが、誰か一人の所有にはせぬと、しっかり言ったはずだよな?」
「ひっ」
「それなりの鬼であれば、人の頂に立つ者の血肉を食らいたいと思うのは仕方ない。なにせ神の血を引く一族だからな、その気持ちはよくわかる。俺だってそういう気になったから彼奴 に手を出したんだが……いやはや、さすがは神の子孫と言われる血筋だ。俺でさえ惑い、いまじゃ側に置いてしゃぶり尽くす日々だ」
鬼の声がうっとりとしたものに変わった。まるで恋文を読むような声色に聞こえるが、俺の本能は死の危険を感じたままでじりじりと脂汗がにじみ出る。
「だがな、それと都を独り占めするのは別の話だ」
「……ひ、ひぃ……」
「都を鬼の所有物にしないと、俺は彼奴 に誓った。それを違えさせようとは、おまえ、俺に変わって鬼王になりたいとでも思っているのか?」
「ひ……ッ」
優劣はもはや一目瞭然だった。赤い目の鬼はガタガタと震え、ついには言葉さえも出なくなっている。一方、鬼の王はニィと口元に笑みを浮かべてはいるが、残り火に照らされている目は笑ってなどいなかった。
「烏ども、遠く都まで足を伸ばし腹が減っているだろう? それ、思う存分食らうがいい」
「ひィ……!」
鬼の王の言葉と同時に真っ黒なつむじ風が現れた。黒い渦が赤い目の鬼を包んだかと思えば、あっという間に御所の壁を越えてしまう。鬼が立っていた場所に鬼はおらず、鬼の王が「やれやれ」と言いながら首の後ろを撫でているだけだった。
「さて」
鬼の王がこちらを見ている。師匠が髭切を持つ手に力を込めたのはわかったが、俺の右手は地面を押すばかりで鴉丸 を構えることすらできない。
「我が弟は、そのまま死にたいのか?」
その言葉にハッと胸元を見た。鬼の王が現れたときにはまだ薄く開いていた目は硬く閉じられ、口から漏れる息は随分弱くなっている。顔はますます青白くなり、左肩に押し当てていた着物はぐっしょりと赤くなり吸った血が滴り落ちそうなほどだ。
「ふむ。おまえ、血を食らっていないだろう。だからその程度の傷すら塞がらないんだ」
「…………まさか、あなたに心配、される日が、こようとは、」
「金花!」
ゆっくりと瞼が開き、いつもより力のない黒目が鬼の王に向けられた。
「俺が心配などするはずがないだろう。ただな、ここでおまえが死んでは彼奴 に叱られかねない。それは少々困る」
「……なるほど」
「で、おまえは死にたいのか? 生きたいのか?」
鬼の王の言葉に金花を抱く腕に力がこもった。もし金花が死を選んだとしたら……一瞬そんなことが脳裏を横切る。
人なら生きたいと願うのが当然だが、鬼である金花がどう思うのかわからない。それに金花は相当長く生きてきたはずで、人のようにこの世に未練がないかもしれない。
もし未練がなく、俺を救ったことに満足していたとしたら……。もし、それで死を選んだとしたら。
(それだけは……それだけは駄目だ!)
「金花、死ぬな! おまえは俺の妻なんだ、勝手に死ぬなど許さん!」
思わず叫んでいた。隣で師匠がふっと小さく笑ったような気がするが、そんなことに気を取られている余裕はない。
「いつも側にいたいと言っていただろう!? 俺だって同じだ、これからもずっと側にいろ! おまえが鬼だろうが関係ない! おまえはおまえで、俺の奥方、ただそれだけだ!」
俺の必死に言葉に、金花の青ざめた唇がわずかに動いた。それは声にはならなかったが、俺の耳にはいつもの声で「かわいい方」と聞こえたような気がした。
「ほう。おまえ、人の嫁になっていたのか。なるほど、精だけはたんまり食らっていたようだが、血は望まなかったというわけか」
「…………旦那様は、鬼を、嫌って、いるんです」
「それはおまえのことじゃない! おまえ以外の鬼は嫌いだが、おまえのことは好いている!」
「……ふふ、……本当に、……っ」
「金花!」
眉がぐぅっと寄り、次の瞬間、ごぽりと口からどす黒い血を吐き出した。慌てて口元を拭ったが、ますますぐったりとした金花の様子にドクドクと心臓がうるさくなる。
「金花!」
「あぁ、さっきの愚か者の蠱毒にやられたのか」
「毒、……肩の傷か!」
気がつけば、辺りがうっすらと明るくなりつつある。空が明け始めたことで高灯台や火柱の残り火で見ていたときよりも、はっきりした輪郭と色が見えるようになった。
おかげで、金花の左肩の出血が思っていたよりもひどいことがわかった。色は赤というよりも杉染色 にも黒橡色 にも見える黒々としたもので、口元についている血の色も同じだった。
「鬼の毒など、陰陽寮にも解毒の薬があるか……」
「人には解毒できぬだろうなぁ」
鬼の王の言葉に、ぐぅっと唇を噛み締める。
「蠱毒を浴びてすぐならまだしも、体中を巡ってしまってはどうにもなるまい」
愕然とすると同時に、ぐわりと腹が煮えるような熱が湧き上がった。ぐつぐつと煮えたぎる熱が臓腑を燃やし、気がつけば頭までその熱に覆われいる。熱のせいで深く考えることができないまま、俺は思ったことを言葉に出していた。
「金花を、助けてくれないか」
俺の言葉に鬼の王はわずかに目を見開き、すぐさまニィと笑った。
「ほほう、人が鬼王たる俺に願い事とはな」
「……俺は、金花を助けたい。死なせたくない。そのためなら、たとえおまえが鬼の王であっても乞い願う」
「……ふふ、ふはは、ははははは! これは愉快! なんとおもしろいことだ!」
笑い声は御所中に響き渡るほどの大声だったが、やはり周囲の者たちには聞こえていないようで誰一人として鬼の王を見るものはいない。ただ赤い目の鬼が消えたことには気づいたらしく、武士 たちは塀の外へと走り出し、陰陽寮の者たちは御所内を走り回っていた。
その中でぽつんと立ち尽くす光榮 殿が視界に入り、一瞬「鬼に願う姿を見られてしまった」と焦った。しかし、いまは金花の命のほうが大事だ。後々俺が罰せられることになったとしても、金花が助かればそれでいい。
「金花を助けてほしい」
「いやはや、なんとも愉快、久しぶりに都まで来た甲斐があったな」
「金花を救ってくれるなら、俺はどうなってもかまわない」
師匠がやめろと言うようにぐいっと肩を掴んだが、これが俺の本音だ。金花が助かるなら俺は何だってやるし、鬼に何かされることも朝廷で罰を受けることも大したことじゃない。
俺は必死に鬼の王を見つめた。金花を助けてほしい、それだけを願って見つめ続けた。
「その目、彼奴 によく似ている。同じ血が流れているというだけなのに、人とはおもしろいな」
そう言った鬼の王は、音も立てず一瞬にして俺の目の前に立った。あまりの素早さに師匠すら動くことができなかったようで、傍らでぐぅと唸るような声をあげている。
「さて、おまえも生きたいと願うか?」
ぴくりとも動かなかった金花の腕が、ゆるりと持ち上がった。慌てて掴むと、きゅっと俺の手を握り返す。それがまだ生きたいと言っているようで、大丈夫だと伝えるようにぎゅうぎゅうと柔い手を握り返した。
「なるほど。ならばその願い、叶えてやろうではないか」
そう言った鬼の王が、ずいと左腕を伸ばした。咄嗟に金花を庇うように抱きしめたが、どうやら俺の考えたことは杞憂だったらしい。
俺を見てニヤリと笑った鬼の王は、伸ばした左の手首に己の右手の爪を当て、そのまますっと爪を引いた。あとには赤い筋が現れ、じわりじわりと滲む量を増していく。その様子を見ながら、鬼の王も人と同じ赤い血なのだなとおかしなことを思った。
「舐めろ」
鬼の王の声は抗うことのできない圧倒的なものだった。思わずぶるりと震えた俺の前に、なんと鬼の王がしゃがみ込んだ。驚き動けない俺など気に留めていないのか、鬼の王は血の滲む左手首を金花の口元へと近づける。
すると、金花の唇がわずかに開き隙間からすぅと舌が伸びた。いつもは濡れて赤く艶のある舌だが、いまは吐き出した血のせいか黒ずんで見える。その舌がぬぅと伸び、鬼の王の手首にぴたりと触れた。
ぺろ、ぺろりと滲む血を舐めるその姿は、まさしく鬼そのものだった。きっと俺以外の人が見れば恐ろしい鬼だと震えることだろう。人とはまったく違うその様子に、俺はそうっと視線を逸らした。
金花には助かってほしい。それが本音ではあるが、同時に金花が鬼だと認識させられる姿に戸惑ってしまう。
(……いや、いまは金花が助かることだけを考えるのだ)
そう思って金花の肩を抱く手に力を込める。そうしてわずかの時間が過ぎ、鬼の王がすっくと立ち上がった。
「さて、これ以上の俺の血はかえって毒になる。まぁ久しぶりの血だろうから、しばらくは寝込むかもしれないがな」
「……これで助かるのか」
「鬼にとって鬼の血肉は力を増すものだ。鬼王である俺の血は、神仏に願っても手に入れられないほどの妙薬だぞ?」
内容に顔をしかめたくなったが、いまは鬼の王の言葉を信じるしかない。
「さて、帰るとするか。彼奴 もそろそろ目が覚める頃だろうしな」
鬼の王の声に、ゆっくりと視線を上げる。まだ体の震えは止まらないが、先ほどまでよりは冷静に鬼の王を見ることができた。
(……鬼の王とは、なかなかの美形なのだな)
不意にそんなことを思った。赤い目の鬼と対峙していたときには全体的に黒々しく見えていたが、いまは白い肌に黒髪黒目という、見目のよい大男のように見える。これほど美しい金花の兄弟なのだから然 もありなんということか。
「……先ほど、体調が安定したら、と言っていましたが、もしや」
「金花!? 気がついたのか!」
「……ふぅ、急に動かさないで、ください」
「あ、あぁ、すまない」
まだつらそうに眉を寄せながらも俺ににこりと微笑んだ金花は、笑みを消して鬼の王に視線を戻した。
「もしやと思っていましたが、……あの人に、鬼を食わせましたか」
金花の言葉にギョッとした。誰の話をしているのかはわからないが、鬼を食わせるなど尋常な言葉じゃない。
「食わせた。勘違いするなよ? 鬼を食らうと決めたのは彼奴 だからな」
「……そう、ですか」
「さて、俺はもう帰るぞ。あぁ、礼なら彼奴 の好きそうな菓子でも持って来い」
「……そのうちに」
「ふはははは! あぁそうだ、おまえもその男を手放したくないと思うなら、さっさと鬼を食わせることだな」
「朱天 、……っ」
急に声を荒げたのが堪えたのか、金花の眉がぐぐっと寄り唇が苦しそうに歪んだ。慌てて地面に金花を横たわらせ、すぐさま視線を上げたときにはすでに鬼の王の姿はなかった。
朝もやのように霞む御所の庭で、俺は金花が助かったことへの喜びをじわりと感じていた。それと同時に、師匠や光榮 殿に金花の正体を知られてしまったことへの不安で頭がぐしゃりと混乱する。それに、鬼の王の最後の言葉がやけに耳に残った。
(鬼を食わせるとは、……俺に鬼を、ということだろうな……)
恐ろしい言葉を投げかけられたのに、想像できないからか他人事のように思える。それよりも、金花が最後に口にした「朱天 」という言葉が気になった。
(朱天 とは、たしか……)
覚え違いでなければ、侘千帝 の親王であった敦皇 様を攫った大鬼の名だ。その後敦皇 様は二度と姿を見せることはなく、鬼に食い殺されたと言われている。
(一体どういうことだ……?)
いや、まずは金花を屋敷に運ばねば。すべては金花が癒えてからだ。俺は再び力を失った金花を抱え、慌ただしくも騒々しい御所をあとにした。
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