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その人は、背が高く、切れ長の目はナイフのように鋭く、縁なしメガネをかけている。そして、その立ち姿は堂々としていて自信に満ち溢れている。冷たさは感じるものの、見た人はイケメンだと称賛するだろう凛々しさもある。  着ているものも直生が着ているような全国チェーンの吊るしのスーツとは違い、仕立ての良いものであることが遠目からでもわかる。そして、中に着ているシャツは光沢のある濃いブルーで品がある。きっとシャツもスーツ同様高価なのだろう。  男は視線の鋭さや纏う雰囲気、着ているものから、その筋の人間なのだろうと思わせる。  サンダルウッドの香りがするのは、その男からのようで、直生はその男から目をそらすことができずにいた。すると、男も目をそらすことができないのか、直生をじっと見ている。  そのまま時間が止まったように感じた。もちろんそんなことはない。お互いに目を離せなかったのは数秒だったのだろう。それでも、もっと長い時間のように感じた。それくらい強烈だったのだ。とは言って声をかけることもなくすれ違った。  男とすれ違うと、ホッとするような、それでいて寂しいような不思議な気持ちになった。冷たそうだけれど整った顔をしていたし、オーラも半端なかったから、αなのだろうと思う。  よくαはオーラがすごいという。職場の上司にαがいるが、βやΩと違って確かに独特のオーラがある。稀にβでもオーラのある人間はいるが、αのそれには敵わない。それほどすごいオーラを持っているのがαだ。しかし、先ほどすれ違った男が纏っていたオーラは、そのαの中でも、もっと圧倒的な、今まで感じたことのないくらいの強いオーラだった。きっとαの中のαなのだろう。間違えてもβには見えない。  しかし不思議なのはあれほど強烈な香りをさせているのに、ラットを起こしていたわけではなさそうだ、ということだ。  αはΩのヒートに煽られてラットを起こすが、今周りにはヒートを起こしているΩはいない。ということはあの男もラットを起こしているわけではない、ということだ。大体ラットを起こすと冷静ではない。野生化した状態がラットなのだ。  そしてもう一つ不思議なのは、あれだけの香りを放っているのに、誰もそれに気づいている様子がないことだ。恐らく直生しかそれに気づいていないだろう。それがなぜなのかわからなかった。  それにしても、あんなに圧倒的オーラを持っていたら人生思う通りにいかないことなんてないだろうな、と直生は思う。自分とは大違いだ。  直生はΩでありながらも、Ωらしくなく身長もそこそこ高い方だし、愛らしくも美しくもない。間違えても寵愛を受けるようなタイプではない、と自分で思っている。だから、いつか番ができて、子供を産んで、なんて自分の人生の予定の中にはありえないのだ。  運が良くて、βの女の子と結婚するのだろう、と思うが、それも難しいな、と最近では思っている。こんな平凡な、どこにでもいる自分と恋愛してくれるような、結婚してくれるような女の子がいるとも思えない。それこそ、全ての運を使う気でいないと起こり得ないだろう。  一人っ子の直生に親は、いつか番ができて子供を産むのよ、と言ってきた。女の子と結婚して子供ができて、とは言わなかった。多分、それは直生がΩだからだろう。Ωは子を孕み産む性だから。  でも、番ができなければどうしようもない。両親は直生に番ができると信じて疑わない。こんな自分を見て、どうして疑わずにいられるのか知りたい、といつも思う。いや、そう思わなければ孫を見られないと思っているからかもしれない。  なぜならΩの出産率は高く、通常の番で70%。運命の番だと100%と言われている。だから、ヒート時に性行為をすればほぼほぼ間違いなく妊娠するのだ。  少子高齢化が進みすぎ、国が頭を抱えた頃、バース性の研究は目覚ましく進み、Ωの出産率が明らかとなり少子高齢化に歯止めをかけるために、妊娠・出産するΩを国をあげて優遇してきた。Ωが定職につき、ひどい差別を受けなくなったのはその頃からだ。Ωの出産率はそれぐらい高いのだ。  つまり、番ができて性行為におよべば高確率で妊娠する。だから親も孫を期待するのだろう。それに対して申し訳ない、と思う。平凡顔でも番はできるかもしれない。しかし、直生の場合はそれに人見知りと消極性が追加される。積極性もないのだから、自分からどうこうすることはできない。相手からアプローチされなければいけない。そこでひっかかるのが平凡顔と高身長だ。愛らしいΩを寵愛したいαなら間違いなくスルーする物件だ。  背が高くてももう少し愛らしい容姿をしていたら番もできて子供を産むという人生も用意されていたんだろうな、と思うとため息をつきたくなる。  運命の番がいる、と小学生の頃に学校で習った。しかし、とてもレアなことだというのがわかっている。世界的に見ても少ないとバース科の医者が言っているくらいだ。だから巷では「都市伝説」と言われている。  きっと親は、そんな運命の番もいるのだから、と思っているのだろう。しかし考えて欲しい。そうそう出会わないから都市伝説なのだ。そんな都市伝説が自分の息子に起こると思うのか、と言いたい。  そしてそんな都市伝説は自分の身には起こらないと思っている。平凡顔消極Ωは埋もれていくだけなのだ。  思うようにいかないのが人生だ、と直生は思っている。そしてそれは先程の男にはわからないことだろうな、と思った。それくらい対極にいるタイプだ。  そんなことを考えると落ち込んでくる。精神的に良くない。コンビニで美味しそうなスイーツでも買って帰ろう。そう思って家路を急いだ。  それにしても、先程の香りは良い香りで、とても落ち着いた。その日の匂いは何日経っても忘れられなかった。

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