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29 好きなのは一人だけだ
翌日。天音との待ち合わせにバーに向かっていると『悪い。残業になった。ちょっと遅くなる』と天音から連絡が入った。
約束の日に残業なんてめずらしいからよっぽどなんだろう。今日も帰すつもりは無いし『焦んなくていいよ。マスターと楽しく待ってるから』と返信しながら、好都合だなと笑みが漏れた。
天音が来る前に何かトラブルが起こったことにして『俺のセフレみんなが危険に合うかもしれないから今後は出禁になった』と言うつもりだった。
俺は、天音よりも先にバーに着くよう急いでいた足をゆるめる。残業なら安心だ。
昨夜は帰宅してから、今日のためにポトフを作った。
天音をマスターに会わせたらすぐにバーを出て、俺の家に連れて行くつもりだ。
今後、バーでは待ち合わせをしない。それなら天音の会社から近い俺の家でいい。ならもう今日から連れて行く。ホテルなんてもう使わなくていいだろ。そう思ってポトフを作った。具材をいっぱい入れれば作りすぎた振りがしやすい。圧力鍋で肉をトロトロにして野菜は後入れ。久しぶりの母さんの味。天音の口に合うといいな。
気もそぞろにバーのカウンターで一人酒を飲んで天音を待つ。
マスターと軽く会話をしながら、ここで飲むのも今日で最後かと思うと少し寂しくなった。
明日からは、このバーでの時間が恋しくなるかもしれないな。
そんな感傷にひたっていると、そばに男が駆け寄ってきて突然バンッとカウンターを叩いた。
ハッとして見ると、その男はヒデに要注意だと言われた真だった。真が険しい表情で俺を睨みつけてくる。
昨日も今日も何度も電話をかけたが、結局真とは話ができずじまいだった。
「どいつっ?」
「なに?」
「どいつだよっ、冬磨を独り占めにしてる奴はっ!」
「おい、落ち着け。ちゃんと説明するから」
天音が残業でよかった。ホッとするよりも心臓が凍った。
残業じゃなかったら、もし俺より先に来いていたらどうなってた?
想像して青くなる。
俺はどうしても、一日でも早く他のセフレとの関係を終わらせて天音に会いたかった。天音に言えるわけでもないのに、少しでも誠実な男になりたいという気持ちから、今日天音に会う前にセフレを整理しようとした。前日なら大丈夫だろうと思った俺が間違ってた。
「落ち着け? 落ち着けるわけねぇだろっ! 冬磨はみんなのものなんだよっ! 抜けがけは許さないって決まりなんだよっ! みんなずっとそうやってきたんだよっ! どいつだよっ、ルール守んねぇ奴はっ! どうせ待ち合わせしてんだろっ?!」
やっぱり今日なら天音に会えると狙ってきたんだな。
「真、聞いてくれ」
キッと俺を睨みつける真の目は、俺を好きだという目には見えない。今までも真からそう感じたことはなかった。だから、どうしてここまで真が激高してるのかわからない。
「俺が勝手に好きなだけなんだ。向こうはセフレとしか思ってない。好きだってバレたらたぶん切られると思う」
「はぁ?! なんだそれっ。なんでそんな奴っ。だったら俺でいいじゃんっ! 俺を選べよっ!」
「……ごめん。それはできない。俺が好きなのは一人だけだ」
「そいつを選んだってセフレでしかないんだろっ?!」
「そうだよ」
「俺なら恋人になれるっ!」
「真は……俺が好きだったのか?」
その質問に、真はさらにキッと俺を睨みつけた。
「好きになるなって言っといてそんな質問ずりぃだろっっ!!」
「真……」
「冬磨とどうにかなるなんて期待すらできなかったっ。だから最初から諦めてたっ! こっちには期待すら奪っといて自分はセフレを好きになったとかふざけんなっ!!」
「……だな。ほんと、そうだよな。……ごめん、真」
真の言う通りだ。正論すぎて耳が痛い。相手には制限しておいて俺だけ自由なんて、ほんとふざけんなって話だよな。
そう思って謝罪すると、真はグシャッと顔をゆがめて背負っていたリュックで俺を叩き始めた。
「謝んなよっ!! なんだよっ!! 急に人間臭くなるなよっ!!」
「……ごめん。ほんと、ごめんな真」
「謝んなーっ!!」
そのあとは一瞬だった。マスターが慌ててカウンターの外へ出ようとしていた。他の客が真を止めに入ってくれた。その瞬間、リュックがカウンターの奥に並んでいる酒瓶に当たり、大量の瓶が落ちて派手に割れる音が店内に響き渡った。落ちた瓶のすぐそばにマスターがいた。
「マスター! 大丈夫かっ?!」
「……お、おお、無事っぽい」
真は数人に抑えられてしゃがみこみ、グズグズと泣き出した。
カウンターから出てきたマスターが、俺を引っ張って奥へと連れて行き耳打ちしてくる。
「冬磨、天音は? 足止めした方がいい」
「あ、ああ、でも……」
真を他の人に任せたままでいいのかと躊躇したが「ひとまずお前は足止めっ」そう言われて急いで天音に電話をした。
もうすぐ着くところだと言われて冷や汗が流れる。とりあえず駅に戻ってコーヒーショップで待つように伝え、俺は真の元に戻った。
大惨事になった店は今日はもう営業はできないと判断して、大半の客には帰ってもらいドアにはクローズの札を下げた。真と、片付けを申し出てくれた数名だけが店内に残る。
「本当はわかってるだろ、真」
椅子に座らされた真は、自分のしでかしたことに青くなっていた。マスターが真をなだめるように背中を優しく撫でる。
マスターの指示で、俺は割れた瓶や濡れた床の始末のほうにまわった。
「今日久しぶりに会ってみて、真も感じただろ?」
「…………なに……を……」
片付けながら二人のやり取りを見守ることしかできない。もどかしい。
「冬磨、変わっただろ? 表情も、雰囲気も、今までとは全然違うって気づいたよな?」
沈黙が答えだと言うように、マスターは続けた。
「全部、一人の子がそれをやってのけたんだよ。誰にもできなかったことを実現させたんだ」
「誰にもできなかったことって……」
「冬磨の心を救うことだ」
「冬磨の心……」
「冬磨はさ、色々あったんだよ。ずっと救いを求めてた。でも、冬磨の硬い殻を破ったのはその子だけだった」
「お……俺だってっ。わかってれば俺だってっ」
マスターは静かに首を横に振った。
「その子は何も知らずに成し遂げたんだよ。しかも、そんなすごいことをやったなんて本人は何も気づいてない。あれはさすがの冬磨でも落ちるよ。だからもう諦めな」
マスターの言葉が伝わったのか、真はそのまま黙り込んだ。
まだ納得した顔ではなかったが、真は一応落ち着いた。警察沙汰にならずに済んでよかったと、俺は胸を撫で下ろす。
弁償は俺がするから、と真に伝えた。「どうして冬磨が」「ダメだ」「嫌だ」と首を振り続ける真を、「嫌な予感がしたんだよ。来てよかった」と駆けつけたヒデが連れて帰ってくれた。
「ごめん、ほんと俺が弁償するから」
マスターはそんな俺の言葉に苦笑した。
「まぁ、じゃあ半分もってもらうかな?」
「いや、全部もつよ」
「それくらい真に払わせればよかっただろ」
「……いや。悪いのは俺だから」
「ま、とにかく、半分でいい。早く天音のとこ行ってやんな。心配してるよきっと」
店内の混乱は大方片付いていた。
俺はマスターの言葉に感謝しつつ、急いで天音の元に向かった。
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