71 / 76

幕間 惑う②

「日本史には特徴的なことがある」    榮はまるで授業のように話し始める。図書室には二人の他に人影はない。 「男女の恋愛に関して、ひどく大らかだったということだ。隠すことではなかった。特に平安時代も含めて古代、非常に開放的だ。和歌にさえ詠むくらいだからね」  と、神妙な面持ちになっている一成に、含み笑いをしながら話を振る。 「ところで万葉集はどうだった、一成」 「……読みました、けれど……」  語尾がすーっと空気になっていく。万葉集は読んだ。読んだというか眺めた。眺めて終わった。 「よく、覚えていません……」 「いい回答だ。大切なのは正直なことだ」  一成はマンガのような赤面顔になるが、榮は大して気にも留めない。このようなシチュエーションは慣れた風である。 「万葉集にも恋愛を読んだ歌がたくさんある。相聞歌というが、様々な恋愛模様を歌に託している。その当時の人々の心の機敏(きびん)が知れるのは、とても興奮する」  榮は指先でページを軽く叩く。 「男女の恋愛だけではない」  一成は本のページを両手で押さえながら、忠犬のような従順さで榮の言葉を待つ。 「日本史では、男性同士も恋愛が許された。それは罪ではなかった」  榮はちらりと一成に視線を投げる。 「男性同士の肉体的な結びつきは、けして禁じられたものではなかった」  一成は戸惑ったように口を少しだけ開ける。何て言っていいのかわからない。 「むしろ女性は惑わすものとして、同じ男性と結び合うよう奨励(しょうれい)された時代もあった」  一成が両目をぱちくりさせているので、榮は「どう思う、一成」と楽しそうに投げかける。  「いえ、あの……」  一成はソワソワして落ち着きをなくす。いきなりそんなことを振られてもと上目遣いすると、榮の神秘的な色合いの瞳で見つめられて身体が固まった。 「なぜ、こんな話をしたのかと君は言いたそうだ」  一成が無言なので、榮が指先でページをまた叩く。 「ちょうど、それに類いする事柄が載っていたからだ」  え? と一成は榮の指先を追って読む。衆道(しゅうどう)という言葉がまっさきに目に入った。 「良い機会だと思った」  衆道とは肉体的だけではなく精神的な……と顔つきを難しくて懸命に字を追う一成に、榮は優しく囁く。 「私と君は男だから」 「……」  突然春風が吹いて頬を撫でられたように、一成はむくりとページから顔を上げる。そこにはテーブルを挟んで自分を見下ろす榮が、頬に満足そうな笑みを刻んでいた。 「つまり、からかってみただけだ」  ふふっと穏やかに綺麗な口元から洩れて、一成は別の意味で顔を赤くした。
0
いいね
0
萌えた
0
切ない
0
エロい
0
尊い
リアクションとは?
コメント

ともだちにシェアしよう!