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幕間 惑う②
「日本史には特徴的なことがある」
榮はまるで授業のように話し始める。図書室には二人の他に人影はない。
「男女の恋愛に関して、ひどく大らかだったということだ。隠すことではなかった。特に平安時代も含めて古代、非常に開放的だ。和歌にさえ詠むくらいだからね」
と、神妙な面持ちになっている一成に、含み笑いをしながら話を振る。
「ところで万葉集はどうだった、一成」
「……読みました、けれど……」
語尾がすーっと空気になっていく。万葉集は読んだ。読んだというか眺めた。眺めて終わった。
「よく、覚えていません……」
「いい回答だ。大切なのは正直なことだ」
一成はマンガのような赤面顔になるが、榮は大して気にも留めない。このようなシチュエーションは慣れた風である。
「万葉集にも恋愛を読んだ歌がたくさんある。相聞歌というが、様々な恋愛模様を歌に託している。その当時の人々の心の機敏 が知れるのは、とても興奮する」
榮は指先でページを軽く叩く。
「男女の恋愛だけではない」
一成は本のページを両手で押さえながら、忠犬のような従順さで榮の言葉を待つ。
「日本史では、男性同士も恋愛が許された。それは罪ではなかった」
榮はちらりと一成に視線を投げる。
「男性同士の肉体的な結びつきは、けして禁じられたものではなかった」
一成は戸惑ったように口を少しだけ開ける。何て言っていいのかわからない。
「むしろ女性は惑わすものとして、同じ男性と結び合うよう奨励 された時代もあった」
一成が両目をぱちくりさせているので、榮は「どう思う、一成」と楽しそうに投げかける。
「いえ、あの……」
一成はソワソワして落ち着きをなくす。いきなりそんなことを振られてもと上目遣いすると、榮の神秘的な色合いの瞳で見つめられて身体が固まった。
「なぜ、こんな話をしたのかと君は言いたそうだ」
一成が無言なので、榮が指先でページをまた叩く。
「ちょうど、それに類いする事柄が載っていたからだ」
え? と一成は榮の指先を追って読む。衆道 という言葉がまっさきに目に入った。
「良い機会だと思った」
衆道とは肉体的だけではなく精神的な……と顔つきを難しくて懸命に字を追う一成に、榮は優しく囁く。
「私と君は男だから」
「……」
突然春風が吹いて頬を撫でられたように、一成はむくりとページから顔を上げる。そこにはテーブルを挟んで自分を見下ろす榮が、頬に満足そうな笑みを刻んでいた。
「つまり、からかってみただけだ」
ふふっと穏やかに綺麗な口元から洩れて、一成は別の意味で顔を赤くした。
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