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第49話『ユタカの車』
白河紙書店のバックヤードから裏口に出ると、ワゴンタイプの小振りの車が止まっていた。
「後ろに乗って」
ユタカが言うと、後部座席のドアが開いたので、サキは乗り込んだ。
突然のヒートの予兆に動揺したが、ひどくなりそうな気配はしなかった。身体は火照っているが、家に着くまでに乱れるようなことはなさそうだった。
ユタカに醜態を見せずに済みそうで、サキは内心ホッとした。
ユタカが運転席に乗ったとき、サキの携帯が震えた。画面を見ると、レイからだった。ユタカと自分宛で『電車で帰ります』とあった。
「住所、教えてくれる?」
ユタカに言われ、レイのマンションの住所を口にすると、
「かしこまりました」と、機械音声で車が答えた。
フロントガラスに3Dマップが浮かぶ。車内から見える実際の道路の上に、ナビゲーションの矢印が出た。
この世界では、車は完全自動運転だった。それでも人は運転席に座らねばならない。
住宅街などギリギリの車道を通るときは、車の人工知能である〈CAR=AI〉は危険と判断して、停まってしまう。
ゆえに細い道を通るときは手動に切り替え、人の手で運転されていた。今もユタカがハンドルを握っている。
数分も経たずに道幅の広い道路に入ると、自動運転に切り替えたのか、ユタカが振り返った。
「サキくんは今日、ヒート予定日だったの?」
「あ、いえ。予定より四日早いです」
「そうだよな。でなきゃ、出かけたりしないよな」
「抑制剤は四日分飲んでるので、まだましでよかったです」
サキが苦笑しながら言うと、ユタカは身体を正面に戻してつぶやくように言った。
「ヒートって、ずれるんだな」
「え?」
サキはユタカのつぶやきにフロントガラスを見た。バックミラーにユタカが映っている。
「いや、ダイチのヒートは三十日周期で一定だからさ。ずれるって話は聞いたことがなくて」
「そう、ですか……」
サキはユタカの言葉に内心、動揺した。
(ふつう、ずれたりしないのか?)
サキはオメガの身体になって迎えたヒートのうち、何度かずれていた。早まったのは今回で二回目だったが、遅れることもあった。
遅れる分にはいいのだ。薬を飲み続ければよいので、それほど問題はない。
だが、今回のように外出先で急に予兆が出たりするとなると、困ってしまう。こういうときは、皆どうしているのだろうか。
(今までなんとかなってたから、深く考えてなかったけど……。もっと調べなきゃな)
窓の外に目をやりながら考えていると、ユタカが口を開いた。
「オメガの身体のことなら、じいちゃんに訊いてみたら?」
サキはフロントに目を戻した。
「白河さんに?」
「うん。じいちゃんならオメガ歴七十年だし。ネットに出てこないようなことも、知ってるかもしれない」
「……そうですね。考えてみます」
サキは再び車窓に目を向けた。車は車間を取り、安定した動きをしている。
それからユタカは話しかけてこなかった。
大通りを右折すると、見覚えのある光景になった。サキが暮らす街の駅前だ。人通りも多くなり、ユタカは自動運転から手動に切り替えた。
ショッピングセンターやスーパーが見えた。いつも行くスーパーの駐車場にユタカは車を止めた。
「ちょっと待ってて」
と言って、スーパーに駆け込んでいった。
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