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第71話『目撃者』

「今の、まずくないか?」   運転席にいる恋人が低い声でつぶやいた。 立石ハルキは咄嗟に構えた携帯の動画撮影を終了させ、会社員の彼氏に言った。 「まずいなんてもんじゃない! ヨウちゃん、あの車を追って!」   彼はうなずくと、〈CAR=AI〉に指示を出した。 「追跡モード、前方の車、ナンバーは……」   ハルキは焦った手で、レイに電話をかけた。しかし、コール音のみで繋がらない。   ハルキと彼の恋人は偶然見てしまった。 ハルキの彼の家に帰る途中、前方停止している車が邪魔で、少し離れたところで止まり、動くのを待っていた。 ハルキは車から降りて来たのが久我で、近くにいるのは泉サキだと気づいた。   レイには、泉が記憶喪失でもまた裏切るだろうから、すぐに追い出せと言ったのだが、 「今のサキはそういうことしない」   と一点張りで、ハルキの言うことなど聞かなかった。 説得すればするほど、頑なになっていき、最後は喧嘩別れした。   レイは大切な友人だ。傷つくことがわかっているなら、見過ごせなかった。   その泉が、レイのマンションの近くで久我と一緒にいた。   ほらみろと思い、証拠動画を撮るつもりだった。 ところが、陽が陰り始めた薄暗い中で、何かが光ったのが見えた。 すると久我は泉を車に押し込んでいた。 泉はまるでマネキンのようで、車に乗る意志も拒む意志も感じられなかった。 「追跡できそうだけど、どうする?」   運転席の彼が言った。ハルキの乗った車は大通りを出て、信号で久我の車を見失っていた。 だが、〈CAR=AI〉はその車を「見せ」、ナンバーまでわかると、追いかけることができる機能を持っている。 「拉致されたんなら助けたい」 ハルキはレイに動画付きのチャットを送った。何も訊かない大人な恋人にハルキは端的に説明した。 「車を運転してる奴な、ちょっとやばいアルファなんだよ。乗せられてた奴はレイの元彼だ」 「レイくんね。アルファの親友だっけ?」 「うん。泉のことは気に食わないけど、あいつオメガだから。もしかしたら久我になんかされるかも」   高等部時代、生粋のアルファの強烈な匂いを嗅ぎ、発情したハルキは抵抗できず、久我に犯されそうになった。   ハルキはレイの過去を教えてほしいと頭を下げた泉のことを思い浮かべた。 もし彼がレイの言うように以前の泉と違うのなら、危険が迫っていると思った。 暗くなった街の中を車は勝手に進んで行く。 ハルキは携帯画面を見つめ、チャットが既読になるのを待った。 もう一度電話を掛けてみたが、空しいコール音が聞こえるだけだ。 「レイ、出ねえ! あいつなにやってんだ!」   ハルキはいらつきながら、右足を小刻みに動かした。

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