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僕を好きになって
映画を観て、めちゃくちゃ泣いた。
神様って意地悪だ。あんなに思い合う二人に別れを選ばせるなんて。
映画が終わっても、僕はすぐには立ち上がれなかった。湿気たポップコーンとすすった鼻水と人生の不条理を口の中でぎゅむぎゅむ噛み締めていたら、突然大きな手とハンカチで目を塞がれた。
「うわっ! なに?」
「お、お前、泣きすぎ。泣きすぎだから、ハンカチあてておけ」
この映画を観ようと誘ってくれた同期の高嶺が、僕の両目にハンカチを押し当ててくれたらしい。洗いざらしの木綿の感触が、腫れたまぶたにちくちくする。
「高嶺じゃん。お疲れ」
その直後、僕がこの世でもっとも好きな人の声が聞こえた。入社式の日に一目惚れして、それからずっと大好きな人。
僕は目を塞がれたまま、元気よく返事をして手を振った。
「お疲れ、お疲れ!」
「トトもお疲れ。高嶺とデート?」
好きな人に誤解されたくないから、僕ははっきり否定した。
「デートじゃないよ、暇つぶし! 高嶺がこの映画を一人で観るのはツライから、一緒に観に行ってくれって。すっごいしつこくてうるさかったから、仕方なく付き合ってあげただけ」
僕は高嶺の手を振り払おうともがいたのに、高嶺は僕の両目を塞いだまま、早口で話す。
「ええと。げ、月曜日。月曜日に、また会社でな」
話を終わらせて別れようとする高嶺に逆らって、僕は両目を塞がれたまま叫んだ。
「せっかくだから、お茶しようよ!」
大きな手を両手でつかんで強引に引き剥がし、明るくなった世界では、世界一大好きな人が女性と手をつないでいた。しかも慣れた様子で、しっかりと恋人つなぎだ。
「うわあああああああん!」
僕は高嶺の大きな手を、再び自分の両目に押し当てた。
***
「なんで僕を好きになってくれないのーっ? バイセクシャルだよって言ってたのに。なんで女なんかと一緒にいるんだよおおお」
「バイセクシャルなら、女性と付き合ってたって不思議じゃないだろう」
「むきー! 滅せよ、女! 女なんか全部この世からいなくなれ! ゲイだけの世界になれ!」
「無茶言うなよ。男は全員、女から産まれてきてるんだぞ」
映画館は清掃の人に追い出され、大好きな人は恋人つなぎのまま立ち去り、僕は近くのカラオケルームで泣き続けた。
「鶏の唐揚げとポテトフライ! ハニトー、チョコバナナ! ビリヤニ! ガパオライス、パクチー大盛り!」
「パクチー大盛りは勘弁してくれ」
「やだっ、パクチー大盛り!」
高嶺にオーダーを入力させるあいだも僕は泣き続けた。借りたハンカチが水分を吸わなくなったので、高嶺が着ているネルシャツの裾を引っ張って、自分の顔に押し当てた。
「トト、やめろよ。このシャツ、お前が誕生日にくれたやつだぞ」
「だったら別にいいじゃん」
「このシャツは大切にしてるって言いたいんだ、俺は」
柔らかなネルで左右の鼻をしっかりかんで、ようやく目の前に置かれたハイボールを飲もうという気持ちになった。
グラスの結露をおしぼりで拭き取り、すっかり泡が消えた生ビールのジョッキに一方的に乾杯をして、一息に飲み干す。
「次、ジンジャーハイボールの濃いめ」
「自分で入力しろ」
「ジンジャーハイボールの濃いめ! 僕、今、失恋してるの! 優しくして甘やかして跪いて足をお舐め!」
高嶺は盛大なため息をついて、ジンジャーハイボールの濃いめをオーダーした。
「何度も言ってるけどな。トトみたいなワガママな性格で、あいつとやっていくのは無理だ。惚れた弱みでおりこうさんを演じたって、一か月ももたねぇよ」
「高嶺にワガママを言うから、平気だもん。僕、緑茶ハイも飲みたい。そんで、それを飲み終わったらその次は黒ホッピーを飲むっ」
「へえへえ」
逆らうことなく入力する大きな背中に、僕は話しかけた。
「さっき、彼女連れだった姿を僕に見せないようにって思って、目隠ししてくれたの?」
「まあな。悲恋の物語を観て泣いてるところに追い討ちをかけるのは、残酷な気がしたから」
「そんなに僕のことを考えて、優しくしたくなっちゃうほど、僕のことが好きなの?」
「まあな。さっさと失恋から立ち直って、俺と付き合おうぜ。付き合ったら、今よりもっとトトに優しくするし、セックスも尽くすし、サービスもする」
「今だって、結構尽くすじゃん、セックス」
「好きな人とするセックスは、大切にしたいのが人情だろ」
「終わったあとのキスがしつこい」
「事後のイチャイチャタイムこそ、セックスの醍醐味だろうが」
まだハイボール一杯しか飲んでいないのに、僕は高嶺の肩に寄りかかった。
「僕のことを好きだなんて、趣味が悪いよ」
「そうか? 素直で、表裏がなくて、純情で、愛しく感じるけどな」
「表も裏もいっぱいあるよ。猫をかぶるの得意だもん」
「俺と二人きりのときは、自分を飾ったりしないだろ」
「『そのままのトトでいい。俺はそのままのトトが好きだ』って言うからじゃん」
「その気持ちは今も変わってないぞ。お前はそのままでいい。そのままでいいから、いい加減、俺のことを好きになって、俺の隣に落ち着きなさい」
肩を抱かれ、そのまま両腕でぎゅっと抱き締められた。
僕も高嶺の背中に手を回そうかなって思った時、ドアが開いてドリンクとフードが運ばれてきた。僕たちは互いに飛び去って、その距離感のまま、食べて、飲んで、歌も歌った。
帰り道、高嶺が誰もいない小さな公園に入って行って、僕もあとをついて行った。まだ植えられたばかりの細い桜の木の陰で、僕たちは「よろしくお願いします」と言い合ってキスをした。
〈了〉
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