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自然豊かな景観の中、商業施設や文化施設も充実している、環境整備の整ったベッドタウンに隣慈学園はキャンパスを構えていた。
「高三の桐矢君。もちろん知ってるよ」
学園から車で十分程かかる自宅マンション、その近所にあるファミリーレストランで制服姿の皐樹は父親のカオルと夕食をとっていた。
「内部生なら、ほとんどの子が知ってるんじゃないかな」
カオルは隣慈中学校・高等学校の国語科の教員だった。息子である皐樹の受け持ちにならないよう、学園側から調整され、現在は中学部のクラス担任をしている。今年で四十二歳、わかりやすい授業と穏やかな物腰で多くの生徒から親しまれていた。
校内を一人で巡って帰りが遅くなった皐樹は、文芸部の部活指導を終えたカオルの車で帰ってきた。普段はバスで下校している。朝は一緒に登校し、キャンパスの裏口で降ろしてもらっていた。
「何か問題でも起こしたとか? 確かに毎日毎分起こしていそうだ、あの上級生」
「皐樹、桐矢君に会ったの?」
会ったというよりも遭遇したというか。校則違反にも程がある桐矢の過激行為は伏せておくことにして、皐樹は頷いた。
「桐矢君は友達思いの優しい子だよ」
「お父さん、アイツの担任したことあるのか」
「うん。まぁね」
向かい側で熱々のビーフシチューをのんびり食べていた猫舌のカオルは、湯気で曇った眼鏡をタオルハンカチで拭きつつ、にこやかに言う。
「やっと友達ができたみたいで嬉しいな」
「断じて友達じゃない」
隣慈への進学を勧めたのはカオルだった。
中学三年生のとき、皐樹は学校で「ある騒動」を起こし、精神的に萎えていたところに高校は隣慈にしないかとやんわり持ちかけられた。父親が教員をしている学校へ息子の自分が行っていいのか。心配した皐樹にカオルは問題ないと告げた。
『オメガのお父さんを迎え入れてくれた学園だよ。きっと皐樹も気に入る』
エリート階級を形成する非凡で貴重なアルファを上に。人口が最も多く平均的なレベルのベータを間に。人口比率の最も低い少数派のオメガを下に。
抗議活動や論議は日々行なわれながらも、旧態依然とした階層制が根底から変わることはなかった。しかしながらアルファ・ベータ・オメガの「第二の性」からなる階層は重要視しない、あくまで個人に重きをおくという隣慈学園の方針に皐樹の心は揺らいだ。
広々とした緑多きキャンパス。切妻屋根が特徴的な西洋風の校舎に、厳かな雰囲気の礼拝堂。手入れの行き届いた庭園。実際に入学してみて、他校とは一線を画す学びの空間を一人気ままに散策しては高校生活への期待に胸を膨らませた。
隣慈学園を選んでよかった。そう思い始めていた矢先に桐矢と遭遇したことで、期待値はだだ下がりする羽目になった。
夕食を済ませた父子はマンションへ帰宅した。3LDKの間取りで二人暮らし。平日の家事全般は皐樹が基本担っていた。
「今日はどの入浴剤にしようかな」
お風呂洗いを買って出たカオルは浴室へ、皐樹は登校前にベランダに干していった洗濯物を取り込んで和室に運んだ。
「ただいま、お母さん。今日はこれでもかっていうくらい最悪な上級生に遭遇したよ」
和室の壁際に置かれた仏壇。そこには皐樹によく似た母親の写真が春の花と共に飾られている。皐樹が十二歳の頃、オメガ性だった彼女は病気で他界していた。
――国内においてベータオンリーの家族構成が最も多く、「第二の性」が入りまじるパターンもざらにある。割合は少ないがアルファオンリーの家族、さらに少数にはなるがオメガオンリーの家族形態も見られる。一目見た瞬間に魂が共鳴するという、おとぎ話じみた「運命の番」として結ばれたアルファとオメガがいるかどうかは、公的な統計調査の範疇外であり、定かではない。
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