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狼は瞳を開く(5)
俺の尻尾は絶望を表して垂れ下がっていた。
無邪気に伸びた身体は俺の腕をすり抜けて背中側に落ちていく。
はっとして身体をひねるとメリーを捕まえた。だが、力を使い果たした身体では、うまく支えることが出来ない。素早くメリーの身体の下に身体を滑りこませ、一緒に倒れこむと衝撃を吸収した。
俺の上に乗ったメリーが遊びなのだと勘違いして笑い声をあげる。
そして、微笑みながらオレを見た。
曇った水色の目の顔がふにゃりと笑う。
その目を見てどうしようもなく涙が浮かんだ。
「愛してる」
囁くと、メリーが首を傾げる。
わたしもだと囁き返す甘い声を聞くことはない。
それでも……メリーの側を離れることなど出来ない。頬を涙が伝う。
メリーの笑顔がすうっと消えて、ぼろぼろと流れる涙を細い指先がなぞる。されるがままに触らせていると、メリーの眉が寄った。
「あ~」
違うというように、メリーが首を傾げる。
「う~?」
指先がまた頬に触れる。もごもごと何かを口の中で呟いている。
「ろー?」
はっとしてメリーを見つめた。メリーの顔がぱっと明るくなった。
「ろー」
メリーの細い身体を掻き抱く。抱かれたメリーが幸せそうな鼻声を出して、俺の胸に顔をすりつけた。
「あなたは本当に賢いな」
こんな風になってもメリーは賢くて、俺を幸せにしてくれる。
そんなメリーと離れることなど出来ないだろう。
どうしたらいいんだ。
メリーの兄達がそんな俺たちを見てぐすりと鼻をすすって、お互いの顔を見合わせて頷きあう。そして、父である妖精王に向き合うと真剣な顔で語り始めた。
「父上……モリオウ殿を我が国に招きましょう」
「メリーにはモリオウ殿が必要です」
「メリーが正気に返って、モリオウ殿がいなかったら、父上も我々もは一生口をきいては貰えませんよ?」
「もし、世界を救うのに戦士が必要ならば、我々が戦います」
「われらメリーの兄が揃えばモリオウ殿に引けは取らない戦力となります」
「メリーに父上が2人を引き離したと告げ口しますからね」
「お前たち……」
口々に言い募る王子たちに妖精王が頭を抱える。
「今回の件で、闇の国の復活が明確になり、奴らの動きは監視されることになりましょう」
パトリック先輩に寄り添いながら王が助言をする。
「開戦の沙汰があればオオカミの手を借りることになるでしょうが、それまでにはまだ猶予もあるとは思われませんか?
ヒトの国もメリドウェン王子の為に尽力するとお約束します。
すべての書庫を掘り返し、必要であれば教会の奇跡に頼ることも……
私からもオオカミをお連れくださいとお願い致します。愛するものと引き裂かれることは悲劇しか産みません。
メリドウェン殿はオオカミを心の底から愛しておられた。
回復にはオオカミが必要だと……私はそう思います」
妖精王が俺たちを見下ろす。
俺の上でメリーが幸せそうに微笑んだ。
眠くなったのか、オレの胸の上に頭を預けるとうとうとと目を閉じる。
「モリオウ殿……私から貴方にお願い致します。
メリドウェンと共に我が国を訪れていただきたい」
妖精王が胸に手を当てて頭を下げた。王子達が手を打ち合わせる。
喜びに身体が震える。
「ありがとうございます。妖精の王」
「礼は我らが言うべきであろう」
メリーを起こさぬように慎重に抱き上げた。
エルフ達が討伐に使っていたグリフォン達が次々に闘技場に降り立つ。
「急ぎ参ろう」
妖精王が言うと、兄君達が頷く。
別れの挨拶は慌しかった。
ルーカス王の指示でばたばたと人がやって来て、支度があっという間に整う。
すっかり破れ、汚くなってしまった服が取り替えられた。
ざっと顔を拭われ、エルフとは食べ物が違うだろうと干した肉や魚を詰められた袋がグリフォンに積まれる。
寝ているメリーをオレが一瞬でも腕から離さないことがわかると、飛行中に絶対に落ちないように大きな布で赤ん坊のように前に固定された。
まゆに包まれているようにオレの前で丸くなって寝ているメリーはとても可愛い。
「起きてしまわれた時には、布に座っていただいて前抱きにすれば落ちることはありませんので……」
メリーから目を離さずに頷いた。
「お疲れであろうが、一刻も早く国に着きたい」
悲嘆にくれた妖精の王が言う。それはそうだろうとオレは頷いた。
辺りには夕暮れが近づいていた。
「夜を飛ぶと眠気が心配です。寝てしまわれるようでしたら、兄の誰かがモリオウ殿の後ろに……」
「大丈夫です」
メリーに危険が及ぶようなことはするつもりがない。
「馬と同じ乗り物ならば、軽い方が速く飛べるのでは?」
「いかにも」
「ならば俺とメリーだけでも負担がかかるのでしょう。
俺は寝ない。出発しましょう」
パトリック先輩が近づいて来た。布をめくるとメリーの顔をじっと見る。
「よく寝ている────お前にも、メリーにも礼を言わねば」
「気持ちが悪いと言うのか……してやったと笑うのか……どっちなんでしょうね」
「さあ……どちらなのか」
パトリック先輩が皮肉な笑みを浮かべる。
「全くおれたちは反りが合わなくて……喧嘩ばかりだった。
石頭のおれと自由を愛するメリドウェンでは合うところなどなくて……」
パトリック先輩がギリっと歯を食いしばると言葉を吐き出す。
「メリドウェンに救われていた。
望みの無い恋に溺れて……それでも足掻くメリーの恋が叶うならと……おれと陛下の恋に重ねて。
こんな風に巻き込むつもりはなかった。おれが、あの人が生き延びて……メリーが……」
パトリック先輩の拳が震える。俺と形は違うが、パトリック先輩もメリーを愛していたのだと気づく。
俺がアーシュを見ていた間、メリーの側にいたのはこの人だ。
そして、メリーもまたパトリック先輩に救われていたのに違いない。
パトリック先輩がメリーの頬に触れた。
「おれは必ず方法を探す……待っていてくれ」
青い瞳が俺を見た。厳しい冬の岩山の空を思わせる瞳が光っているのは気のせいなのか。
「メリドウェンを頼む」
俺は頷いた。差し出されたパトリック先輩の手を握る。
手が離れると、エルフたちとグリフォンの待つ場所に向かって歩いた。
離陸は静かだった。
勝利の喜びは失われたメリーの前で消えてしまった。葬列を見守る列のように皆は静まり帰っている。
グリフォンは力強く飛んだ。
沈む夕日がメリーの青白い頬を柔らかく彩っている。
彩られたメリーはとても美しかった。
とてもとても、美しかった。
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