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第一章① プロローグ
一仕事終えた帰り道、ゴミ捨て場で若い男を見つけた。
「おいおい、マジかよ」
男は全身傷だらけで、汚いなりをしていたが、恐ろしく美しい顔立ちをしていた。しかし明らかに堅気の人間ではない。獣に切り裂かれたような大きな傷が、左目に堂々と走っている。どこでどんな生活をしていたら、このような痕が残るのだろう。
いくら顔が綺麗だからといって、一目で危険と分かる人物と関わり合いになるべきではない。関わったら最後、面倒事に巻き込まれることは火を見るより明らかであった。
*
「お、やっと起きたか」
結論から言うと、彼は男を家に連れて帰った。絶対に面倒なことになるのに、馬鹿が付くほどのお人好しである。
「あ……? んだよ、おっさん。何見てんだよ」
彼のベッドで目を覚ました男は、不遜な態度で彼を睨んだ。
「命の恩人にその態度は感心しねぇなぁ」
「恩人? あんたが?」
「外見てみな」
白い雪が降り積もっていた。夜更けから大雪になるという、今朝の天気予報は大当たりだ。
「お前、あのままあそこにいたら凍え死ぬところ――っておい、何してんだ」
男はおもむろに窓を開け、ベランダに飛び出した。欄干に積もった雪を一掬い手に取って、ぱくりと口に運ぶ。雪と共に冷気が吹き込んだ。
「うは、マジで冷てぇ」
「バカお前、汚ねぇだろ!」
彼は男の襟首を掴んで部屋に連れ戻し、ぴしゃりと窓を閉めた。
「何なんだよ、お前。やっぱイカレてんのか?」
「はぁ~? あんたこそ何怒ってんだよ。俺なんかしたか?」
「いや、お前が……まぁいい。起きたんならとっとと帰ってくれ」
彼が言うと、男ははっとした後、不貞腐れたような顔をする。
「ねぇよ」
「あるだろ」
「またあのゴミ溜めに戻れってか」
「そうは言ってないだろ。家に――」
「んなもんねぇっつってんの!」
男はガラス窓の向こうを切なげな目で仰ぎ見た。
「おっさん、しばらく泊めてくれよ」
「嫌だよ。お前みたいな馬の骨」
「お礼はするからさ」
「はぁ? お前、金持ってんのか?」
「ちげーよ。アホなおっさんだな」
「おっさんおっさん言うな」
「おっさんはおっさんだろ。な、よくしてやるからさ」
男は床に膝をつき、彼の股座にいきなり頭を突っ込んだ。カチャカチャと慣れた手付きでベルトを外そうとする。彼は煙草をうっかり取り落としそうになった。
「ちょ、ちょ、ちょ、おい! 何してんだ!」
「何って、フェラ? おっさん、その歳でまさか童貞?」
「なわけあるかアホ! オレが訊きてぇのはんなことじゃねぇんだよ! いいから離れろ!」
「口でするなら男も女も変わんねぇぜ? 俺、これでも結構うまいんだ。試してみろよ」
「試すか! オレは男にもガキにも興味ねぇんだよ!」
彼は男の髪を掴んで無理やりに引き離した。男は残念そうに舌を出す。
「んだよ。もしかしてインポ?」
「何から何まで失礼なガキだな」
「おっさん、そのために俺拾ったんじゃねぇの?」
「バカも休み休み言え」
「じゃあなんでだよ」
「……」
どうして。そんなこと、彼自身にも分からなかった。ただの気紛れ、同情、お情けで助けた。男の顔があまりに綺麗で、今夜は大雪の予報で、ゴミ捨て場は烏と野犬が群がっていた。だから、ただそれだけだ。
「なぁおっさん。しばらく泊めてくれよ。帰るとこもねぇし、泊まるとこもねぇんだぜ、俺。カワイソーって思わねぇ?」
「いや……帰れよ」
「何でもするぜ? おっさんの仕事手伝ってもいいし」
「はぁ? お前、オレの何を知って――」
男はいきなり彼の手を握り、くん、とにおいを嗅いだ。そして、何もかもを見通すような目で、彼を見上げた。
「こんなんで隠せてるつもりか? 血のにおいがプンプンするぜ」
「――!」
彼は男を蹴り飛ばし、懐から拳銃を取り出して眉間に銃口を突き付けた。
「あは、すげぇ。本物だ」
男は少しも怯む様子はなく、むしろ余裕の笑みさえ浮かべている。
「お前、何だ……何者だ?」
「何者でもねぇよ。便利な犬だ。案外役に立つかもしれねぇぜ?」
「……目的は」
「飯と寝床」
「……」
男の眼差しは挑発的でありながら、悪意は感じられなかった。どちらにしろ、稼業を知られてしまった以上はただで帰すわけにいかない。
「お前、何ができるんだ」
「さぁね。それはおっさんが探してくれよ」
男は悪ガキさながらに笑った。改めて見ると、年齢は十代後半くらい。普通ならまだ学校に通っている年齢だ。そう考えると、彼をおっさん呼ばわりするのも頷ける。
「しかしおっさんはいただけねぇな」
「じゃあなんて呼べばいいんだよ」
「風間。お前は」
「鶫 」
どこの馬の骨とも知れない鶫と名乗る少年が、現役の殺し屋風間の家へ居候することになった。二人の物語はここから始まる。
*
「とりあえず今日はお前の適性を見る。足手纏いになるようなら即殺す」
「おーこわ」
「怖いと思ってる顔じゃねぇな」
都内雑居ビルの屋上にて、風間はスナイパーライフルを組み立てる。人殺しのための機械が、白日の下に堂々と晒される。
「俺が撃つのか?」
「経験あるか?」
「あるわけねぇじゃん」
「もし撃ち漏らしたら、分かってるな」
「無茶言うなよ」
風間は拳銃も狙撃銃も何丁か所持している。その中でも今日は特に愛用のものを選んで持ってきた。軍の払い下げ品で少々型落ちではあるが、扱いやすさはナンバーワンだ。
「照準は合わせてやるから、お前が引き金を引くんだ」
「できっかな」
「やるんだよ」
風間はスコープを覗きながらライフルの高さや向きを微調整する。今日のターゲットはとある会社の御曹司だ。情報によれば、隣のビルの喫茶店で午後のティータイムを過ごすことが日課になっているそうだが、果たして今日も来るだろうか。
「……おっさん」
風間の隣で黙って銃の扱いを見ていた鶫が、おもむろに口を開いた。
「逃げた方がいい。下から誰か来るぜ」
「なんでそんなことが分かるんだ」
「分かっちまうんだからしょうがねぇだろ」
「ビルは閉鎖されてるはずだぞ」
「一人……いや、二人か。階段を上がってくるぜ」
鶫が真剣な表情で囁く。
「どうすんだよ、おっさん」
*
スーツ姿の男が二人、拳銃を構えてスチールドアを蹴破った。
「目標C! 空振りです!」
男の一人が無線機に向かって話す。
「クソッ、またかよ! ガセネタ掴まされたんじゃねぇか?」
「ガセならそれでいいです。次の現場に急ぎましょう」
「あ~あ、坊ちゃんの護衛も楽じゃないねぇ」
スーツ姿の男二人は屋上を一周して屋内へ戻った。
「……」
「……」
「……っぶねぇ~~。しくるとこだった」
風間は安堵の息を漏らす。
風間と鶫は、間一髪で隣のビルに飛び移っていた。
「警察ならまだいいが、あんな厄介そうなのを雇ってたなんてな。誰が情報洩らしたんだ」
「しっ。また来る」
鶫が言い、風間は再び息を潜める。
スチールドアが再び蹴破られた。スーツ姿の男が拳銃を構えて周囲を見渡す。
「……やっぱいねぇか。ったく、無駄足もいいとこだ」
そうぼやいて、男は去っていった。
しばらく、風間と鶫は飛び移ったビルの屋上に身を潜めた。
「……」
「……」
「……たぶん、もう大丈夫だぜ」
鶫に言われ、風間はいよいよ大きく息を吐いた。どっと疲れが出て、仰向けに寝転んだ。白い雲に覆われていた太陽がゆっくりと姿を現す。それが眩しくて、風間は目元に手をかざした。
「お前、マジで何者なんだよ」
「さぁな。呪われた犬畜生だ」
「犬よりも勘がいいぜ。どこで習った。どうして分かった」
「だから、自然と分かるんだよ。習うようなもんじゃねぇだろ」
こいつは使える、と風間はほくそ笑んだ。思いがけず幸運な拾い物をした。
*
鶫の第六感は目を見張るものがある。身体能力も申し分ない。品の良さはまるで感じられないが、案外頭は回るようだ。あとは銃の扱い方さえマスターさせれば、風間の手足となってうまく働いてくれるかもしれない。
「つーわけで、これからお前をビシバシ鍛えるからな」
「おー? おっさん、やっと俺を飼う決心がついたか」
「人聞きの悪いことを言うな。オレとお前でバディを組もうっつってんだ。二人でがっぽり稼ごうぜ――って、人の話を聞け!」
「聞いてるっつーの。年寄りは話が長くていけねぇ」
「そこまで年寄りじゃねぇわ!」
ここは風間がいくつか所有しているセーフハウスのうちの一つ、地下倉庫である。薄暗くてカビ臭いが、騒音対策はばっちりだ。
「で、ここでヤんの? そーいう趣味?」
「誰がヤるか! お前にも銃を使えるようになってもらわなきゃ困るんだよ。じゃなきゃ仕事にならねぇ」
まずは拳銃の構え方からだ。風間は鶫に一から基礎を叩き込んだ。教えられたことを鶫は一発で呑み込んだ。
ピストルがある程度扱えるようになったら、次はライフルの撃ち方を仕込む。これも鶫はすぐに自分のものにした。
わざわざ山へ行って、鹿や猪を狩った。目がいいからか、第六感が冴え渡っているのか、鶫は獲物を見つけるのが異常に上手かった。銃の弾道も正確で、すぐに屍の山が積み上がった。
ただし、羆と対峙した際は一目散に逃げた。勝てないと判断した敵からは即座に撤退する。そんな勇気も時には必要である。
近接戦に必要な体術と刃物の使い方も教えたが、鶫にはほとんど必要のないことであった。刀の扱いには随分慣れているようだったし、体術に関しては風間を上回っていた。
「っしゃ、また一本! おっさん、もう三回死んだぜ」
「いちいち得意がるな。嫌味か!」
コンクリート打ちっ放しの地下倉庫で、鶫は今日も訓練に励む。というか、どちらかといえば風間の修行になっている。
「くっそ、十年前ならオレだってなぁ」
「負け惜しみすんなよ、おっさん」
「はいはい、オレの負けですよ。ったく、そろそろ歳か?」
「がんばったご褒美にうめーもん食わせろよ。俺ピザがいい! ピザ取れ!」
「ピザくらいよく食ってるだろ」
じゃれ付く鶫を、風間は軽くいなす。
「ご褒美は、最初の仕事を成功させてからだ」
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