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第1話

 俺、弥汲佑哉(ヤクミユウヤ)は浮かれていた。  今日は久しぶりに、憧れの人とアプリでネット通話をする日。  オンラインネットゲームで意気投合し、それ以来ゲームの中といえども数年以上の、親友と呼んでも差し支えないほどの間柄で。 (飲み物、つまみ…っと、今日はどこかに行くんだったか。ギルドで特に告知はなかったと思うけど……いちお掲示板見ておくか)  ギルドとは、オンラインネットゲームで故意に作られるグループ団体の総称だ。自ら立ち上げる者もいれば、誰かが立ち上げたギルドに賛同して加入していく者もいるし、無論脱退も自由。  加入したギルドによっては活動内容が決まっていたりもするが、俺の加入しているギルドは目的とかはなく、いわゆる雑談ギルド。それでも時折、ギルドリーダーが週二回の間隔で何かしらのイベント事を立案していて、それなりに面白い団体で俺にとっては居心地がよかった。  今から通話する人もそのギルドで知り合った人で。  ゲーム内での第一印象は、的確な人。  なにをするにもそつがない、完璧な人。  ギルド内での会話でも、その人から話題を振る事はあまりないのだが、場をしらけさせる事もなく、それなりの回答をして場を和ませてしっかりと締める。  そんな人と、ひょんな事からお互いが共通のアプリIDを持っていることが発覚し、今では週一間隔で先に日付と時間を決めて通話をする間柄になった。  電源が入り、スタンバイ完了なデスクトップパソコンの前にあるゲーミングチェアを後ろにひいて、腰かけたのちに少しだけ手前に座りながら、器用に椅子を前進させる。明るいデスクトップモニタを眺めつつ、マウスとキーボードを使用してインターネットブラウザを立ち上げて目的のページへ辿り着き内容を確認する。 (うん、特に集合はないみたいだな。……よかった)  別に集合があってもそれを一緒にクリアしに行けばいいだけなんだけどさ。  今日だけは彼を独り占めしたい自分がいて。  ──ふと。  左腕につけた腕時計で時間を確認する。  約束の時間まで。あと数分。  今日は寒いからとモスグリーンのタートルネックにスモーキーベージュのジーンズ。  カメラなぞ設置しているわけではないのだが。  何故か彼との通話には、それなりの格好で臨んでしまう自分がいて。  飲み物やつまみ的なお菓子等、己の周りの配置物を再確認し椅子にもたれかける。  もういちど腕時計に目をやると、ちょうど午後一時半になったところで。本日の通話予定時刻は午後一時四十五分。俺側は既にログインしているので、あとは相手方がオンライン表記になるのを待つばかり。    つまみをかじりながらその時を待つ。  数分後。  相手方のプロフィールアイコンがひょっこりと顔を出す。  オンライン状態。つまりあちらも準備完了。 「おっ」  もちろん俺はそれを見逃さない。すぐさま相手のプロフィールアイコンをクリックして、チャット画面を開きコンタクトをはかる。  *セカイさん。おはようございます。  「セカイ」とは俺が先程からずっと待ち望んでいた相手方のハンドルネームだ。  だがセカイさんからの返事がなかなか来ない。  席を離れているのだろうか。それともパソコンの不調なのだろうか?  実は、彼のパソコンは何故かと思うほど本当によく不調を起こす。別にスペックが悪いとか初期不良とかそういうものではないのだから不思議だ。  だから今このような事があっても俺はそんなに動じない。またかな?程度。  そろそろ返信くるかな?と思った矢先。  *おはよー。ごめんなちょお待って。  *おkです。  「おk」とはそのものズバリ「OK」の略。  シフト長押しや英数変換など、ひと手間をかけて文字を打つ作業というものは、一分一秒を争うネットゲームの世界においてはよく省略されてしまうものなのだ。 (セカイさん起きたてなのかな。珍しいなぁ昼から起きるなんて。昨日よほど仕事忙しかったのかな)  俺も彼もそうだが、立派な社会人である。そのため、今日のような事前予約の通話の日は、たいてい休日が選ばれる。もちろん今日は休日だ。明後日は仕事だ──ええぃ思い出させるでない。  待てと言われてから五分以上が経過。  ネットの世界において五分以上相手を待たせる場合は「待って」ではなく「離席」などの席を開ける単語が放たれる。  もう少し時間がかかりそうだなと流れを読んだ俺は。  *コーヒー作ってきます。準備完了したら教えて下さい。  と入力し、ひとまず台所へ移動した。  数十分後。  大きめのステンレスタンブラーにアイスコーヒーをたくさん入れてデスクトップモニタの前に戻ってくる。  ……が。 (あれ、返答すらなし?)  チャット欄には俺が最後に入力した文章から次の文章は表示されていなかった。 (なんかあったのかな?)  セカイさんに何かあったのか。不安になった俺は駄目元で通話を促すようチャットを入力してみる事にした。  *セカイさん。通話こちらからかけていいですか?  これに対しての返信が、これまた長かった。  *おk  俺はそのチャットが来るやいなや、即座にヘッドセットを装着し、セカイさんへの通話開始ボタンをクリックする。  ツー…。  ツー…。  ツー…。  ツー…。    十回以上のコールののち、彼はやっと通話に出てくれた。 「セカイさん!?どうしたんですか!?なんかあったんですか!?」  俺の心配加減が声量にも如実に現れていて。  セカイさんの事が心配になりすぎて、ヘッドセットのマイク越しについついまくし立ててしまった。 「…お前声でかいねん。鼓膜破れるかと思たわ」  方言で分かる通り、セカイさんは関西方面出身。ちなみに俺は関東出身。こういう時に通話アプリってほんと便利だよな。 「あ、すいません。──で、どしたんですか?」 「あ、いや。通話に支障はないねんけどな、え〜〜と。その……、そのな、なんというか……」  なんとも歯切れの悪い会話。 「?」 「お前……聞いても笑うなよ?」  そう言うセカイさんがすでに含み笑いをしている。一体何があったのか。 「言ってみてくれないと分からないですよ」 「うぅ……」  なかなか言わない?言いづらい事なのか? 「ほら」  ちょっと急かしてみる。 「ほんなら言うけど。なんかな、今起きたら頭に猫耳ついてんねん。あ、ついでに尻尾も」  あまりに現実離れした回答に、俺は一瞬頭がフリーズした。 「は?んじゃそれ取ってください」 「取れる訳ないやろコレめっちゃ頑丈についてんねんぞッ!!」 「そんな逆ギレされたって困りますよ」 「ああ、せやな……すまん。俺、なんでこんな事なってしもたんか、もうわからんくて……ッ」  あ、やばい。セカイさん泣きそうになってる。  泣かせたくない。 「えぇ〜〜と。その事は、家族の人は知ってるんですか?」 「いんや、朝はなんともなかってん。ヤクトとの通話まで昼寝しよ思て、さっき起きたらついててん。あ、今な。俺んち俺以外誰もいぃひんのよ。みんなで旅行行っとる」  ヤクト、というのは俺のハンドルネーム。 「そうなんですか」 「うう。ヤクトぉ、俺どないしよ。明日会社やのに……、こんなんついてたら俺、会社行かれへんよぉ…ッ」  電話越しにヒックヒック、と泣いてしまったセカイさんの声を聞いて。俺は不謹慎にも可愛いなどと思ってしまった。  セカイさんは元から可愛い人だ。  うん。  それはもう俺が抱きしめたいと思うくらいに。 (遭った事はまだないんだけど。それに年上の男性をそう思ってしまうのって。やっぱ、失礼だよな)  そんな人に猫耳と尻尾がついてて?  しかも泣き顔とくれば?  想像しないだなんてもったいない。  ────……うん。  想像したセカイさんは、それはそれはそのままオカズになりそうなほど、くらくらするほど可愛かった。 「ヤクト…ッ!……たすけてぇ…っ!」 「〜〜〜〜ッ!!」  セカイさん。今の、反則です。 「分かりました。俺今からそっちに行きますから、ね。それまでおとなしくしててくださいね?」 「…ぅん……」 「俺はとりあえず大阪駅に向かいますから」  セカイさんに動揺を感じさせない為に、適当に会話をしつつ急いでスマホアプリで新幹線の時刻表を確認しスマホ画面をパシャリとスクショする。  そう、俺は東京在住。  セカイさんは大阪在住。  実際に会うとなれば交通時間も交通金額も半端でなくかかるのだ。  ──だが今はそんな事を言っている場合ではない! 「あ、えと。今から……そうだな。えと、約三~四時間くらいかかっちゃいますけど。……夜になりますけど!絶対、おとなしくしてるんですよ?俺、必ずそっちに行きますからね?」 「ぅん、判った……」  あああもう素直なセカイさんは可愛すぎるっ!!!! 「じゃあ俺このままそっち向かいますから、パソコン落としますよ。いいですね?」 「うん…、うん……。あ、待って。ヤクト、その。スマホ教えて……」 「あ。ああ、そっか。じゃあチャットに。こっちの番号はコレです。あとこのチャットアプリのも教えときます。セカイさんのは……これですね。はい、番号と……QR登録おkです」  まさかこんな事でスマホとチャットアプリまで交換し合える仲になれるとは思わなかった。 「では、通話の方は一度切りますね。そっちに着くまではスマホからチャット飛ばしますから。では」  セカイさんの了承を得たのを確認して通話を切り、そのままパソコンの電源を落とす。 (ふぅ…)  ため息も束の間、早速俺が教えたチャットアプリにセカイさんからチャットが送信されていた。  *俺んちの住所。さっき伝えるの忘れてたから。 (ああ、そっか。住所教えてもらうの忘れてたっけ。ありがとうございます)  *住所ありがとうございます。俺が着くまでの間、少し時間かかりますけど待ってて下さいね。必ず行きますから。  ──送信、と。  俺は慌てて傍にかけてあったインクブルーのトレンチコートをむんずと掴み玄関へと向かいながら袖を通し、靴を履き、勢いよくドアを開けて外へ出た。  時刻表アプリによると。  地元駅から乗り替えに継ぐ乗り替えで約二十五分かけて品川駅へ。そこから、のぞみ新幹線へ乗り換えて新大阪駅まで約二時間半──  この通りに行けば午後五時か六時には新大阪駅へ着くことが出来る寸法で。  そのあいだ、俺はなるたけセカイさんを不安にさせまいと何度も何度もスマホからチャットを送信していた。送信されたチャットはすぐに既読がつき、俺のところへ戻ってくる。  俺の送信内容も、セカイさんからの受信内容も。そう大して長くない文章ばかりが綴られていく。  このチャットの意義はセカイさんを不安にさせないこと。それが出来ていれば充分だ。    新大阪駅に着くあいだ。  俺たちは計五十回以上もの送受信を繰り返していた。  セカイさんの家の住所は大阪府内の中心地にある。  タクシーという手もあるのだが。  *中心地は特に渋滞に巻き込まれやすいから新幹線からそのまま地下鉄を利用したほうが早いで。タクるんならその後やな。  ──というのを事前にセカイさんが教えてくれたので、俺はタクシーを使わずに地下鉄のプラットホームへ向かう。  要所要所にある地図と時刻表を睨めっこしながら、俺はなんとか目的の駅へ着くことが出来た。  地下鉄の駅から改札を出て階段を上ると、既に日は落ちていて空は真っ暗で。  天気が良いのか星がよく見える。 (かなり時間掛かっちゃったな……)  申し訳なさでため息をつきながら、俺はタクシー配送アプリを起動した。  セカイさんの家は本当に大阪の中心街からほんの少しだけ外れた所にあって。  指定された住所近くに停めてくれたタクシーの運転手にお礼を言いながら車を降りる。  やっと着いた、と安堵した俺はホッと胸を撫で下ろす。 (ここ、かな?)  目星をつけた住所に存在する一戸建ての住居。  スマホに入力されている住所録と、付近にある電信柱に貼り付けられている町名と番地を確認し、ここだと確信をすると同時によくみると表札があって。 (えーと、確か名前は──……)  長い長い旅のなか。  セカイさんとのチャットの中に答えはちゃんと埋もれている。  *あ、そか。名前。俺の名前「芹川太栄」です。芹川って表札探してな。 (セリカワ、タエイ?さん、でいいのかな?)  セカイさんの本名。  性格、声と合っててなんだか可愛い名前だ。  そんな事を本人に言ったら即座に殴られそうだなとか、そんな事が頭をよぎる。  頭をよぎって。  よぎって。  よぎって。  これから出逢うであろうセカイさんそのものがもう、今すぐ見られると思うと。こんな時に不謹慎だけどもやっぱりドキドキして。  どんな見た目なんだろうか。  背は大きいんだろうか。  小さいんだろうか。  太っているんだろうか。  痩せているんだろうか。  どんな顔をしているんだろうか。  そして俺は。……どう映るんだろうか?  やっぱり。気になる。 (あった。これだ)  そんな気持ちを強引に振り払おうと、チャットに書かれている本名の苗字と表札に彫られている苗字を見比べる。  よし、同じものだ。  同じものだ。  うん、これから遭うんだ……じゃなくて!  俺は自分の気持ちを落ち着かせるためにも、インターホンを押す前にスマホを取り出し。セカイさんのスマホに発信する。  先程とはうって変わって一回のコールでセカイさんは電話に出た。 『ヤヤヤヤヤクト!?メールも来えへんし…!!お前今どこにおるん!?はよ来てぇやぁッ!!』  あれからずっと泣いていたのか。俺を涙声で早く来てと懇願する彼が愛おしい。  そして。  新大阪駅に着いてから地下鉄を調べるために、セカイさんへチャット送信するのを殆ど怠っていた事を思い出す。悲しませてすんません。 「今セカイさんの家の前にいますよ。驚かさないほうがいいかと思って事前にスマホ鳴らしたんですよ」  話しながらセカイさんの玄関ドアの前に立つ。 『そ、そか。すまんな、俺テンパってて……』 「今の状況ならしゃーなしですよ。んじゃチャイム鳴らしますよ」  玄関扉の真横にある呼び鈴を押すと、ピンポーンと少し甲高い電子音が家の中に響いているのが判る。  呼び鈴を鳴らしてから数十秒立って。  ガチャ、と玄関ドアの鍵が開いた音がしてたから、ドアを開けようとドアノブに手をかけたその時。 『ちょ、ちょお待ってっ!俺二階におるから!ちょお待ってってっ!!』  俺が持ってるスマホのスピーカーと重なって、ドアの向こうから同じ声が聞こえてくる。  ……ああ、そっか。  確かにこのままドア開けたら外に丸見えになるな。 「──はいはい」  そんな風に慌てるセカイさんが仕方なく可愛くて。  俺はクスッとほくそ笑んでしまった。

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