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挨拶からはじまる恋2
「悪いが俺は、そういう趣味はない。とっとと諦めてくれ」
「諦めることができたら、とっくにやってますよ。半年間も時間かけて挨拶だけをするような、無駄な接触なんてしません」
「よくもまぁ、こんな俺のために半年も……」
呆れた声を出しながらも、隙を見せないように警戒を怠らなかった。目の前にいる新人の瞳の色がふたりきりになった瞬間から、がらりと変わったせいだった。
たとえるなら尊敬のまなざしが、粘着力を感じさせるイヤラしい眼つきに変わったといったところだろうか。男相手に欲情するなんて、意味がわからない。
「僕、半年の間に挨拶をしながら、先輩に対する想いを募らせました。どうかこの恋心を受け取ってくださいなんて、ワガママは言いません」
「これ以上我儘を言うな、変なものを募らせるな、一刻も早く諦めてくれ!」
大声で叫びながら、ふたたび後退りして、新人との距離をしっかりとる。背中を向けたら、そのまま襲われる可能性があると考えた。
「ただ一度だけでいいんです。僕の躰をぎゅっと抱きしめて――」
細長い二の腕を使って、自分自身を抱きしめる新人の姿に、逃げる気力を奪うような、なんとも言えない悪寒がぞわっと走った。
「だっ、抱きしめるわけないだろ……」
「先輩の熱り勃って大きくなった杭の先っぽだけでいいので、僕の中に挿入してほしくて。口とアソコ、どっちでも受け挿れOKですよ♡」
「おおぉ男相手に、俺は絶対に勃たない! 無理なことを頼むな!」
思いっきり錯乱したせいで、変に上擦った俺のセリフがおかしかったのか、新人は銀縁眼鏡を格好良くあげながら、クスクス笑いだす。
「安心してください、僕は勃たせる術をいろいろ持っています。それに先輩は、絶対に断れないはずでしょう?」
眼鏡をあげた反動で、蛍光灯の光を受けたフレームの縁が、きらりと煌めく。たったそれだけのことで、新人の自信が満ち溢れているように見えてしまった。
目の前で見せつけられる自信が、言いようのない不安を掻き立てる材料になり、弱々しい小さな声で訊ねてしまう。
「おまえ、この期に及んで、なにを言ってるんだ……」
「僕に暴力を振るっておきながら、先輩は言い逃れをするんですかぁ?」
新人は俺に叩かれて腫れあがった頬を細長い人差し指で差しながら、ここぞとばかりにアピールする。指を差した部分は、俺がジャストミートする形で叩いてしまったせいで、かなり腫れあがっていたが、このまま黙っちゃいられない。
「だっておまえが、先に手を出してきたんだろ……」
色白の肌に手形がはっきりついているそれは、思いっきり暴力の証になるのが明白で、後退っていた俺の足を止めるものになった。
「その証拠は、どこにあるのでしょうか?」
「くっ、それは――」
まさに痛いところを突かれて、ぐうの音も出ない。反論することのできない俺を見下ろした新人は、眼鏡の奥の瞳を勝ち誇ったように輝かせながら、快活な口調で話しかける。
「慰謝料として僕を抱いてください。それとも僕が先輩を抱きましょうか?」
「なっ!?」
「筋肉質の躰を抵抗できないように組み敷いて、散々喘がせながら身悶えさせるのも、存外悪くないですよね。たくさん感じさせてあげますよ」
耳を覆いたくなるようなセリフの連続に、脳が拒否反応を起こす。眩暈と一緒に、頭がくらくらしてきた。
「そ、そんなの嫌に決まってるだろ!」
新人の背後にあるのは、ここに入ってきた扉。それとは別の扉が、数メートル後方にあった。そこまで辿りつくには、あと50歩以上後退りしなければならない。
(――この状況、どう考えたって危なすぎる。どうして大会議室に入ってしまったんだ。もう少し先に行ったら、小会議室があったというのに!)
「どっちにしろ、先輩は断れないですよね。僕が先輩に恋した瞬間から、こうなることが決まっていたんです♡」
新人から漂う淫靡な雰囲気に見事に飲まれ、恐怖のあまりに立ち竦んでいると、靴音をたてて新人が近づいてきた。べったりとしたイヤラしい眼つきで見つめられたせいで、躰が石化したように動けなくなる。
徐々に近づいてくる新人の姿は、ハッキリ言って恐怖そのもので、現実を受け止めきれなくなった俺は、ぎゅっと両目を閉じるしかない。これ以上自分から手を出して、アイツの動きを止めるのは、どう考えても無理な話だった。
「先輩、大好きです」
耳元で囁かれたセリフと同時に、あたたかいものが躰を包み込む。
「は、はな、せ。苦しい……」
呼吸を止めるぞと言わんばかりの強く締めつける抱擁に、ぶるぶる震える躰の動きが止まらない。
「先輩、いきなりキスしてごめんなさい。だけどこれからは確実に、あの手この手で先輩を堕としていきますので、どうか覚悟してくださいね」
額に触れる熱い唇を認識したときには、ふっと躰が解放されていた。
恐るおそる振り返ると、ひょろっとした新人の後ろ姿は反対側の扉の前にあって、会議室を出ようとしているところだった。
「とっとと諦めろよ、馬鹿野郎!」
キスされた額を急いでごしごし拭いながら、渾身の力を込めて怒鳴ってやる。
すると扉の隙間からピストルの形をした手が、自分を狙いすました。新人の顔は扉の向こう側にあるので、絶対に当たるわけがない。それなのに指先は確実に、俺の心臓を狙っているように感じた。
「Bang☆」
ピストルの音を真似た声が響き渡る会議室。扉が閉じられた瞬間、新人に捕獲された錯覚に陥ったのは、間違いなく気のせいだと思いたい。
そう思い込んでやり過ごしたのに、あとから考えると、新人が口にしたピストルの発射音が、恋のカウントダウンの合図になっていたなんて、このときは思いもよらなかったのである。
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