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第1話 引き寄せられた香り

 三歳児健診で、バース性がオメガと確定した。それまでは、ひとり親、未婚の母として親子で施設の世話になっていたけれど、母親は育児を放棄して、施設の職員のよこした書類に、ろくに目も通さずに署名してそのコテージを後にした。  そうして、オメガ保護法の元、秋本和美あきもとかずよしは、コテージの施設で暮らすことになった。  和美と書いてかずよしと読ませるのは、母親が意図的に付けた名前である。オメガである自分が産む子どものバース性が、オメガである可能性はゼロではない。しかし、産まれたのは男の子で、平凡な顔つきはベータに見えなくもなかった。だからといって、オメガらしい名前をつけるのも負けた気がしたから、捉えようによってはどうにでもなれる名前をつけた。  和美の他にも数人のオメガが保護されていた。子ども心にも綺麗な顔をしたオメガは、施設を訪れた名家と呼ばれる一族に連なる家庭に、養子として連れていかれた。優秀なアルファの血族を繋げるため、オメガが欲しいけれど、血族婚を繰り返し過ぎると劣化するとかで、オメガ保護法は、実際は名家のための法律なのだろう。  極めて平凡な、ベータにしか見えないような見た目の和美は、養子縁組の話など回って来なかったらしい。  施設では、別段不自由などなかった。  とにかく、オメガ保護法のおかげで、何不自由のない生活が送れていた。下手をすれば一般のベータ家庭の子どもより贅沢な暮らしをしているかもしれない。  学校へは送迎が付いて、何もかもがオメガ保護法のおかげで労せず手に入る。高校も、オメガが通える所に試験はあったけれど、確実に進学できた。  結局、高校時代、番になってくれるアルファは現れず、施設から支給されたネックガードをつけたまま、大学に進学を決めた。  大学からは、いわゆる共学の、全てのバース性が通える学校に行けるようになるのだけれど、緊急時にオメガが避難できる場所の有無とか、発情期の代替措置が充実しているとか、そんなことも審査の対象になって、施設の職員から勧められた大学を素直に受験した。  誰とも番になるつもりはない。と和美が話をしたら、 「それなら、資格をとった方がいいかも」  そんなことを言われて、大学に入ってからのバイトはコーヒーショップにした。バリスタの資格を取ろうと思ったからだ。 「和美くんは、将来的に自分のお店を持ちたいの?」  コーヒーショップのマスターは、和美と同じ男オメガだ。そのためなのか、バイトの面接では、顔を見るなり採用を言い渡された。 「そこまではまだ考えてなくて、資格をとった方がいいって言われたから、バリスタになりたいなぁ、って、そんな感じです」  和美は、一応は考えながら答えてみた。マスターのように番のアルファが出資してくれて、そんな夢のような未来も楽しいだろうけど、和美は将来的に、誰かと番になるつもりはなかった。 「そうなんだ」  マスターは和美の話に相槌をうちながら、なにやら考え事をしていた。コーヒー豆の煎り具合を確認しながら、ふっと和美を見て言った。 「和美くんさぁ、俺みたいに髭、生やしてみない?」 「へ?」  マスターの唐突な提案に、和美は驚いて口を大きく開けてしまった。 「まぁ、要するに虫除け見たいなもん」  マスターが髭を生やす下りの説明をしてくれた。  一応コーヒーショップで、デザートの充実したカフェとは違い、基本は沢山の種類のコーヒーを提供することを目的としている。スイーツよりは食事の方を充実させているから、客層はベータの男性が多い。 「虫除け?」  和美が不思議そうに聞き返す。 「和美くんは、基本裏で仕事してもらうんだけど、受け渡しとかで表に顔を出すでしょ?その時に、見た目がソレなら、オメガってバレにくいでしょ?」  マスターに言われても、和美にはイマイチ分かりにくかった。 「コーヒーの香りがあるから、見た目がベータっぽくなってれば、オメガって気づかれにくいってこと。お客さんによっては、オメガってだけで言いがかりつけてきたりするからね」  マスターが苦笑いしながら話してくれたので、和美もようやく理解した。高校時代にバイトしていた店でもたまにあった。店の服にオメガのフェロモンつけ誘惑してるんじゃないか、って。その言いがかりをつけてきたのは女ベータだったけど。 「それに、見た目から入るのもありだと思うんだよね」  マスターが笑いながら言う。  そう言うマスターは、長髪を後ろにひとつで縛って、口髭と短めの顎髭をたくわえたスタイルのロワイヤルで、いかにもっぽい、コーヒーショップのマスターに仕上がっている。 「髭、よくそんなに生えましたね?」  オメガであるから、体毛が生えにくい。基本的に女性ホルモンが多いから、ベータ女性並、もしくはそれ以下だ。特にヒートが近くなると体毛が抜け落ちるのか、とにかく肌がツルツルになるのだ。 「抑制剤飲むじゃない?その時に同時にホルモン剤飲むんだよね。男性ホルモンのやつ」  マスターが髭を生やすための技を説明してくれた。 「医者の処方箋が必要だけど、これやると確実に髭が生えるし、不妊効果も出るんだよね」  マスターが言うには、最近男オメガの間で流行っているらしく、ネットでもその効果を上げている人が多いらしい。 「まぁ、俺も参考にしてくれて、後は自分でも検索してみて。コテージにいるなら、医者にはいつでも相談できるでしょ?」  マスターに言われて、なるほどと思った。 「それに、ほら。和美くん、番作りたくないって言ってたじゃない?一般的なアルファなら、髭を生やしたオメガに興味持たないと思うんだ」  和美は、それは一理あると思った。一般的にオメガは儚げで綺麗なイメージがつきまとう。男オメガであっても、小柄で華奢で、色素の薄いというのが定番のイメージだ。けれど、和美は結構な黒髪で、骨格も割としっかりとしている。色は白い方かもしれないけれど、夏には普通に日焼けするから、一般的な美容に気を使うオメガのイメージにはあってはいない。 「不用意な妊娠回避にも役立つんだよ」  そんなことを聞いてしまえば、試したくなると言うものだ。 「明日、医者に相談してみます」  和美は、次の日早速コテージに併設された病院の医師に相談した。生まれた時から和美を診てくれている付き合いの長い医師だ。  医師もオメガだから、共感性が高くて、話がしやすいのがいい。 「ホルモン剤併用療法ね」  和美の話を聞いて、医師はそう言った。 「え?治療なの?」  なんだか難しい言われ方をして、和美は驚いた。 「うん、最近流行ってる、って言うとなんだか変だけど、抑制剤の効きが悪い人もいるでしょ?それなら、本来体の中にあるホルモンを、利用してみようって言うのが、最近でてきたんだよね」  医師はそう言いながら、パソコンのモニターに解説用のイラストをだしてきた。 「オメガとは言っても、男性だから、体内には男性ホルモンがもともとあるわけじゃない?妊娠する時は女性ホルモンが優位にたってる、と言うかヒートの時は受精率がほぼ100%とか言われてるわけだけど、それって女性ホルモンがそれだけ活発になってるってことだよね?」 「………うん」 「バース性がなければ、本来の妊娠できるのは女性だけになるでしょ?名前の通り、女性ホルモンは女性特有のもの、男性ももってるけど、量が少なくて逆に男性ホルモンを沢山もってる。つまり、ホルモン剤併用療法は、体が本来持っている能力を利用するわけ。副作用も少なくて安全ってのがうり」  そう言って、医師は和美のカルテを見せてきた。 「成人もしたし、ヒートも経験していて、周期も安定してる。この療法を試すための条件は満たしてる。何より、この療法の最大の目的は、妊娠しづらい体になること。だから、不用意な妊娠を望まないオメガの間で主流になりつつある」  それを聞いて、和美は深く頷いた。  まさに和美はそうなのだ。不用意な妊娠をしたくない。いや、番を作りたくない。だから、ヒートの時に抑制剤を飲むのだけれど、番がいないからどうしても強めの薬を服用してしまい、副作用に毎回苦しむ。 「和美くんならそのうち言ってくると思ってはいたけどね」  医師は笑いながらそう言って、パソコンのモニターに副作用について、と言う画面を写した。 「ホルモン剤を飲むから、その手の副作用が出るんだけど、一番わかりやすいのが体毛」  モニターに出てきたイラストは、体毛が生えやすくなる箇所に丸がついていた。 「要するに、ベータ男性みたいに髭が生えたり、すね毛が伸びたりする。あと、脇か」  画面上で矢印がクルクルと動く。 「ホルモンの作用だから、どこに体毛が生えやすくなるかは分からないんだよね。だから、嫌ならそれこそベータ女性みたいにエステで脱毛処理が必要になるよ」  保険がきかないけどね。と医師は笑って言った。  そんな副作用は、和美にとっては願ったりだ。体毛が生えてくれば、一般的なアルファの性的対象から外れやすくなるだろう。好き好んで髭面とキスなどしたくはないはずだ。 「むしろ、髭を生やしたい」  和美が素直に希望を口にすると、医師は目を丸くして驚いたけれど、直ぐにいつもの顔に戻った。 「ふふっ、オメガ男性には髭はある種憧れだったりするからね」  医師はそう言うと、控えていた看護師に指示を出した。和美は看護師に連れられて検査室に入る。 「採血をして、処方するホルモン剤の適量を調べますからね」  看護師はそう言いながら、慣れた手つきで和美の腕に針を刺す。和美だって、定期検査で唾液や血液を採取するのには慣れていた。 「和美くん、髭、嫌じゃないの?」  看護師が小声で聞いてきた。 「うん、嫌じゃないよ。むしろ嬉しい」  和美がそう答えると、看護師は一瞬考えるような顔をして、直ぐに思い当たったようだ。 「ああ、和美くんは番いたくないんだもんね」  この看護師も、付き合いが長い。基本、コテージに併設された病院のスタッフは、転勤などがない。あくまでも、利用するオメガが安心して過ごせるために、馴染みのスタッフで固められるのだ。 「じゃあ、待合室で待ってて」  採血した箇所にシールをはられて、和美は待合室に移動した。コテージ併設の病院だから、患者は全員オメガだ。周りの目を気にせずに過ごせるのは気楽でいい。  ゆったりと座れる1人がけのソファーは、座り心地がとてもいい。この施設に出資している名家の商品だろう。空調も何もかも、名家から一番いいものが支給されている。おかげでコテージで暮らすオメガは、贅沢に慣れすぎてしまうのだ。  だから、コテージの外でのオメガに対する風当たりの強さに、心が折れやすくなる。ただ、和美みたいに親から捨てられたオメガは、ここしか居場所がないから、ベータからのやっかみを向けられても逆に反発してしまう。  和美はソファーに座ってスマホを操作した。検索するのはもちろんホルモン剤併用療法の副作用。画像付きで体毛を見せ合うオメガのアカウントにたどり着く。  そんな中でも、和美が、気になるのはやはり髭だ。  コーヒーショップのマスターは、随分と綺麗に髭が生えている。いつからしているのかは聞きそびれたけれど、和美があそこまでたどり着くのにどれくらいかかるのだろうか?  やはり、生え揃うまでに時間がかかるようで、最初のうちはマスクとかで隠す人が多かった。オメガなのに、と指摘されるのがの怖いから。というのが多い。生え揃えば、あっさりお披露目するとかで、長期連休で一気に整える派が多かった。  和美は、そのままの流れで色々な髭の写真を閲覧していた。人によっては性的なアプローチにもなるらしい。 「俺みたいにフツメンじゃあ、それもないか」  そんなつぶやきを口にした頃、いつもの看護師が和美を呼びに来た。  処方箋が出来上がったようだ。  和美は、いつものように説明を聞くため、看護師のいる部屋へと向かった。  ───────  キーボードを叩く音が聞こえて、部屋の中は換気の為の空調が、低いモーター音をたてていた。 「お待たせしました」  ドアの外から声がする。 「入れ」  短い返答で、ドアの開閉がされる。 「いつもの店じゃねーのか」  差し出された紙袋を見て、荒城は中身を確認した。 「すみません。いつもの店が臨時休業で、有名どころのコーヒー屋は行列が出来てたんですよ。そうしたら、路地裏に雰囲気のいいコーヒー屋があったんもんで」  そう説明をするのを聞き流しながら、荒城は紙袋の中からテイクアウト用のカップを取り出した。  茶色の紙コップには、手作業で押したような店のロゴが若干かすれてついていた。 「こじんまりとした落ち着いた感じの店でしたよ。マスターとバイトの女の子しかいなくて」  聞いてもいない情報を提供してくるのは、いつもの事だ。聞き流しながら、カップの蓋に手をかける。荒城はこの小さなくちからコーヒーを飲むのが嫌いだ。せっかくの香りが蓋のせいで閉じ込められてしまう。  蓋を外して一口飲むと、ちょうどいい苦みと共に香りが鼻から抜けていく。 「美味いな」  ぽつりとこぼした感想を聞き漏らさず、すかさず返事が返ってきた。 「明日も、そこにしましょうか?」  一緒に買ってきた卵サンドも、荒城の好みのゆで卵をみじん切りにしてつくったものだった。 「うん、そうだな」  そう言いつつ、荒城は手にしたコーヒーカップを見つめた。コーヒーの香りに紛れて、もっと甘美な匂いが鼻をつく。 「うん? ……おい、この店の店員がなんだって?」  買い物をしてきた部下に聞く。 「は、はい。マスターとバイトの女の子でしたよ?」  荒城はコーヒーをもう一口飲んでみる。コーヒーの香りと共に、鼻に入り込んでくる匂いが気になる。 「オメガだったか?」  荒城が、目線だけを部下に向けた。切れ長の一重は、普通に見れば涼し気な目元で、歳の割に落ち着いた雰囲気がある。けれど、横から目線だけを向けられると、どうにも肉食獣のような鋭さが現れる。 「いっ、あ、女の子はベータでしたよ。首輪してなかったんで」  とつぜんのことに部下はあわあわしながら答えた。記憶をたどりながら、レジの対応をした女の子の姿を思い出す。普段からしていることなので、難しくはないが、突然こんな風に言われると緊張するものだ。 「マスターは?」  荒城は続きを促した。 「ええと、マスターは長髪で髭を生やしてましたね。ちょっと小柄でしたけど……ああ、項に傷がありましたね」  コーヒーをいれる時、マスターが背を向けていた。その時にひとつに結ばれた髪の向こうに見えた項には、ハッキリとした噛み跡があった。 「番がいるか」 「そうですね」  この辺りで客商売をしているオメガは、番がいる場合は高級なネックガードをつけるか、あえて噛み跡のある項を晒していることが多い。 「俺も嫌われたもんだな」  荒城が、自嘲気味に笑った。  数年前、荒城がここに事務所を構えた時、客商売をしているオメガが一斉に一度店を閉めたのだ。  ヤクザの荒城がアルファだから、狙われる前に一斉に隠れたのだ。  もちろん、その後商工会の役員と話し合いが持たれて、地元の皆さんに迷惑はかけない旨の約束はさせられた。もっとも、番のいないオメガ自らが、荒城に寄ってくるのは別の話だ。 「なぁ、お前のコーヒー、見せてみろ」  部下のコーヒーは、まだ蓋がされている。それを手にして匂いを嗅いでみる。やはりこのカップにも匂いがある。 「どうかしましたか?」  コーヒーの匂いではなく、カップの匂いをしきりに嗅ぐ荒城を見て、部下は訝しむ。 「なんか、変なものでも?」  初めての店だから、顔がバレている訳でもないし、たまたま立ち寄った程度であるから、何かを仕込まれるはずなどないはずだ。 「いるなぁ」  荒城はコーヒーカップの匂いを嗅いで、確信したように呟いた。 「俺のオメガがいるなぁ」  荒城が低く笑った。

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