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第1話
「ゲッ、何でテメェがいるんだよ」
「……お前か」
神覚者となり魔法局に入局する以前から疎遠だった兄が突然目の前に現れた状況をワースは理解することが出来なかった。
声を掛けられたオーターはそれまで読んでいた本を閉じコートの中へしまい込むと、ベンチから立ち上がり久方ぶりに顔を見る弟へ向き直す。
「他人に変化を求めるより、自らが変わることのほうが合理的だと感じたからだ」
「……は?」
ずっと目標としてきた兄との関係は実際のところあまり良くない。価値のある人間となるためにひたすら努力を続けていたワースは記憶にある限りオーターから優しい言葉をかけられたことがない。
警察魔法学校からイーストン魔法学校へ編入してからはより合理主義者となり、碌に目を合わせて会話もしたことがない程だった。
そんな兄が突然寮に現れれば驚くのは当然のことで、更に意味難解な言葉を投げ付けられるという非合理的な言動はどれもワースの知る兄の姿とはかけ離れていた。
何者かの魔法による幻覚とも考えられたが、目の前に立つこの人物の纏うプレッシャーは幻視や他人に真似出来るものではない。
まともな会話をしなくなってもう何年経つだろうか――気付けば、ワースの身長はオーターより高くなっていた。
「もうちっと、俺に分かるように頼むわ」
兄の背は、こんなにも小さかっただろうか。少し前まではあんなに越えられない程大きく見えたのに。
眼鏡越しに砂色の眼光がワースへと向けられる。それを苦手と感じてしまうのは、幼い頃から条件反射として染み付いてしまっているからだろう。
――兄のように。
その言葉だけが呪いのように今もワースを縛り付けていた。
「ランス・クラウンから、お前の話を聞いた」
「は? ランスから? アイツがなに――」
合理主義者の癖に会話は全く合理的ではないような気がした。
オーターは癖のように指先で眼鏡を支え、細く長い溜息を吐く。
これでも分からないのか、と言われているような気がした。突然の訪問、意味不明な言葉、ワースにとってはどれも理解不能なことばかりで、理解をしろという事のほうが無理があった。
それでもワースは兄から出されたこの問題を、自分の力だけで解かなければならないと考えた。いつまでも失望されていては到底マドル家の求める存在には成り得ないと考えられたからだった。
ワースが対峙するオーターに集中し意識を巡らせながら、オーターの重い口が再び開く。
「が――」
「待て、待ってくれ」
片手を突き出して兄の言葉を止める。答えを貰う前にちゃんと自分で考えて正しい答えを出すからと、オーターの言葉を止めたワースの表情は凍り付き知らぬ間に額には汗が滲み、目は虚ろだった。
「待てよ……ちゃんと、俺、答えるから。俺、出来る、から――」
吐きそうだった。幾ら自分で自分を認めても、いざ目標とする兄を心構えもなく目の当たりにして平静を保てる程強くもなかった。
これ以上失望される訳にはいかない、両親より、他の誰よりも、この兄にだけは。
考えようにも頭の中がぐるぐると周り、胃の中から吐き気が込み上がりそうになって、集中したくても全く思考が纏まらない。
その焦りが更にワースを追い立てる。急く気持ちと歪む世界、ワースの肩にぽんと暖かい何かが触れた。
「ワース」
聞き間違いか、ワースは兄に名前を呼ばれたような気がして目を丸くする。オーターはふらつくワースの身体を支え、その幾分か小柄にも見える肩口へと抱き寄せていた。
「頑張っているようだな」
「な――」
オーターの手がワースの背中を撫でる。もう立っているのも精一杯だった。ゆっくりとあやすように背中を叩くリズムに、ワースの内側から込み上げたものが限界に近付こうとしていた。
「兄、さ……」
ぼろぼろとワースの瞳から涙が溢れ出す。歯を食いしばって堪えようとしても、一度堰を切った感情は留まることを知らずにオーターの肩口を濡らす。
もしかしたらこれは本当に幻なのかもしれない、それとも死の間際に見る走馬灯なのかもしれない。これで死ぬとしてもワースは本望だった。人生の最後に一番褒めて欲しかった人に「頑張った」と認めて貰えるのならば、それだけでもう心残りは何も無い。
オーターの指先が、溢れるワースの涙を拭う。こんなにも間近に兄の顔を見たのは初めてかもしれない。ワースの知る無表情なままの兄だったが、オーターに顔を覗き込まれたワースは思わず呟いた。
「…………ちゅき」
「何?」
思わず口から漏れ出た言葉にワースは慌てて飛び退く。耳まで赤くしたワースは咄嗟にオーターを突き飛ばし、余計な事を口走らないように両手で自らの口を覆った。驚き過ぎて涙も一瞬で止まった。
その時、オーターのコートからばさりと何かが落ちるのをワースは見た。つい先程までオーターが読んでいたその本は表紙に「弟との過ごしかた」と書かれていた。
そんな本が売っているのか、逆に「兄との過ごしかた」という本があるなら自分が欲しいと動揺するワースを尻目に、オーターは変わらぬ所作で落ちた本を拾う。
「この本は全く合理的ではないな。やはりランス・クラウンから聞いた『妹との過ごし方』を参考にして正解だったようだ」
「ランスから!? 妹!?」
ワースの頭は情報過多で破裂しそうだった。
「……ラ、ランスから……何を聞いたってんだ……」
ランスの性質を知るワースは嫌な予感しかしなかった。オーターは本を再びコートの中へとしまいながら記憶を思い起こすように斜め上見上げる。
「なに簡単なことだ。愛しいと思うのならば抱き締めて頬擦りをしてやればいいと――」
「アイツシスコンだから! それ絶ッテー間違ってっかんな!?」
嬉しいと思ったことは、ランスから植え付けられた誤った知識であることを知ったワースは茹で蛸のように顔を真っ赤に染め、間違いを正すように人差し指を突き付ける。
「そうか、お前は嬉しく無かったか」
「いや、嬉しかったけど!?」
抱き締められたことも、背中を撫でられたことも、認めてくれたことも――名前を、呼んでくれたことも。
逆ギレ気味に答えるワースをオーターは不思議そうに眺めていた。
「嬉しかったのか」
「うっ……」
ここで認めてしまうと何か負けた気がすると考えたワースは、唇を噛み締め身体を震わせた。
「俺、はっ……ずっと兄さんに認めて欲しくて――」
魔法にかけられたようにワースも思ってもいなかった言葉が飛び出る。愚かだと軽蔑されるだろうか、まだ言葉にするつもりはなかった。
そんなワースの一世一代の告白を、
「――すまない時間だ。もう行かなければ」
オーターは一刀両断に断ち切った。
「お、おぉ……気を付けて帰れよ」
ワースは首の皮一枚で繋がった気がした。舞い上がって言うつもりの無いことまで言ってしまいそうだった。
引き攣った表情を浮かべながら見送るように手を振るワース。その姿を見たオーターの口元が微かに弛んだことにワースは気付けなかった。
規則的な足音が響き、コートを翻した兄の背中が再び遠くなっていく。結局何をしにきたか分からなかったと考えるワースの頭の中に聞き逃してしまった言葉が蘇る。
――愛しいと思うのならば抱き締めて頬擦りをして
――愛しいと、思うのならば
「――――えっ!?」
兄の言葉を脳内で再度反芻したワースはその場に膝から崩れ落ちた。
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