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第1話
ねえドス君、僕は真の自由が欲しかったんだ。
誰も僕を理解出来無かった。君だけが、ドス君だけが僕の事を理解して呉れた。
だからこそ――僕の手でドス君を殺す事が、感情からも解放され真の意味で僕の求める自由になる。
――――そう、思って居たんだ。
「何です? 其の顔は」
「ドス君こそ、其の質問は何なのかな?」
矢鱈と華の佳い香りがする高級宿泊亭の一室、黟黒く乾いた血液が痼り付いた寝具の上で、彼の手が僕の肌の上を滑る。
真っ白な壁紙は元々の部屋の主によって生み出された血飛沫が斜め上へと芸術的な模様を作り出していた。
肉体という牢獄から解放された部屋の主の残骸は、直ぐ其処の床で物言わぬ肉塊として無造作に転がった儘。御誂え向きに拵た部屋よりも仕事直後のこういった部屋の方が彼は興奮するようだった。――まあ僕も其の気持ちは、解らなくも無いけどね。
仕事の後は特に、興奮して了って仕方が無いんだ。頭蓋骨と云う檻から、肉体と云う牢獄からの脱獄御目出度う。嗚呼羨ましい、君は一足早く自由に成ったんだ。僕が彼を解放に導いた、其の高揚感は何度繰り返しても慣れて了える事が無い。
僕の仕事が終わるのを待って居たドス君は、当然の様に僕の腕を引き其の寝具の上へと引き倒す。僕だけでは無くて彼も内に秘めた興奮を隠し切れない様に、無表情に見えた其の瞳の奥は妖しく澱んで居た。
親友の手が、舌が、僕の身体の隅々迄を余す事無く暴いて行って、彼の冷たい指先が肌が少しずつ熱を帯びて行く感覚に、堪らない高揚感を覺えた。死んだ魚の様な眼をし乍らも確りと性欲が在った事に初めは驚愕したし、捌け口の対象が僕で在った事に尚更驚愕した。
吐息が掛かる度、指先が触れる度に僕の中で破れそうな悲鳴が、其れでも燻る熱が彼を求めた。ドス君が慾しくて、憎くて、殺したくて仕方が無かった。
「貴方は|恍け顔《ポーカーフェイス》が過ぎますね」
彼の指が秘めた扉を抉じ開けて、更に奥へと其の細くて長い指で僕を暴こうとする。そんな時彼が僕の顔を見乍らぽつりと呟いた。
|無表情《ポーカーフェイス》はお互い様じゃないかと僕は思うけれど、ドス君の負けず嫌いが燃えるみたいな顔は実際可也好きだ。
抑々道化師に|恍け顔《ポーカーフェイス》で挑もうと為て居るのが可笑しいのだから、口惜しそうなドス君の顔を視る事に実際の処優越感が有った。
「ここでクイズ。私から|恍け顔《ポーカーフェイス》を取ったら何が残ると思う?」
其れ迄口惜しそうに眉を寄せて居たドス君の表情が、水でも打ったみたいに元通りに為った。彼を怒らせたかも知れないなんて心配は為て居ない。どんなに不機嫌に為ったとしても、彼は今迄一度だって途中で廃めるなんて事、為て来なかったから。
「ッ、く……」
途端に狙いを定めたドス君の指先が、僕の中の一点をぐっと押し上げる。唯触れた丈では決して火が点くなんて事無かった筈なのに。
「此処、ですか?」
「なん、っで」
思わず上擦りそうになる声を抑えたけれど、屹度ドス君には其の箇所が核で有る事を知られて了った。
僕の変化を僅かでも見逃さない様に、酷く冷静な瞳で僕を見詰め乍ら、指先の動きだけは摩擦で火でも起せるんじゃ無いかという程、繰り返し、何度も、そうやって僕を煽り立てる。
「僕は貴方の理解者ですから」
「……流石は、我が親友、っ」
指の動きと表情が全く一致して居なくて、僕は唯口の端を吊り上げて嗤った。
――表情は|佯《いつわ》る事が出来ても、人間の身体の構造自体はそう簡単に佯る事が出来なくて。ドス君が何度も、執拗く、執拗く、僕を追い立てるから――何時もの事では有ったけれど――脳天を衝き上げた衝動の間々、僕は僕の白い液を自分の腹の上に零した。
絶頂に達した事で失われる体力は確実に奪われて居たけれど、其れ丈は決して彼に知られない様に。
何でも無いと云う風に、声に震えが無い様に、彼が僕の身体を拓いて顔に似合わず凶器じみた其れを無理矢理捩じ込んだ瞬間に、僅かに漏れる悲鳴すらも呑み込んで。
焼ける程に痛くて、泣きたい程に苦しくて、ドス君と繋がって居る此の瞬間が何時だって一番辛かった。
「ほら、当たりか如何か云って御覧なさい」
はらりと落ちた黒くて綺麗な髪の隙間から、命令する様にドス君が云う。何度も何度も解って居乍ら、同じ箇所許りを狙ってドス君は冷たく僕に答えを求める。
波のように寄せたり返したりもしない、ずっと寄せ続ける事の繰り返しでまともな言葉何か紡げる筈が無いのに。認めたら屹度楽なのだろうけれど、僕は認めたくは無いから、亦道化師の仮面を被って君へ笑みを向ける。
「さ、すがドス君! 私はとぉーっても気持ち好くてもう昇天して了いそ」
言葉は、最後まで告げる事が出来ずに途切れた。呼吸すら継げない程に僕の時間が止まったのは、ドス君が僕の――一番弱くて、未だ敏感な場所を突然強く握り込んだからだった。
「やっめ、同時は、ちょっ……」
「僕がそういう事を訊ねて居るのでは無いと云う事位解ってますよね?」
無表情な間々、ドス君の手が異様に速く動く。冷静に考えて居る余裕なんて本当は無い位に。中からと外から同時に追い立てられて、二度目の波は先刻迄よりもずっと大きく、僕を呑み込んだ。
「ッ、あぁっ……!」
其れはまるで海の中で海月に刺されたみたいに、全身を走る電流みたいな刺激に僕は思わずドス君から顔を背ける。声だってもう、抑えられる状況じゃ無かった。全身が心臓になったみたいで、目の前でチカチカと綺麗な星が輝く此の高揚感。初めの内はこんな感覚に魘われる事なんて無かった。
「……貴方の負けです。さあ答え合わせをしましょうか」
当然乍ら未だ不完全燃焼状態のドス君は、僕の体液でべたべたに為った手で僕の顔を掴んで、無理矢理視線を合わさせる。
「……あ、はっぁ……なに、こた、え……?」
気怠くて、未だ此の余韻に浸って居たいのに、ドス君は其れすらも赦しては呉れないから。未だ僕の中に居るドス君は固く熱くて、全然身体も気持ちも休まらない。
何時からだっただろう。終わった後のドス君の顔を視られなく為ったのは。仕事後の昂りを抑える為だからと割り切れて居たのは初めの頃だけ。――だって、だってね、ドス君。君とこういう事をすると、僕は――。
ドス君を払って、軟らかい枕に顔を埋めるとドス君は僕の片足を摑んで奥へ中へと其の楔を押し込む。
もう佯れる余裕すら無いから、枕に顔を押し付けて漏れる声を散らす。達した後直ぐは厭だって、駄目だと何度も云ったのに。ドス君は自分が満足して居ないから、納得して居ないから解って居て僕を更に追い詰める。
「貴方から|恍け顔《ポーカーフェイス》を取って残る物は」
達した直後の肌は敏感で、ドス君の生温かい吐息が背中側から肩に触れる。僕の中に僕じゃない脈動が響いて、ドス君の一部が僕の中へ注がれていく。厭、なのに。其の言葉を自覚したくは無かったのに。
「僕への劣情、そうでしょう?」
――其れをドス君から告げられる屈辱。
ドス君が僕に触れる度、壊れそうな物を扱う程丁寧な其の触り方に。そうかと思えば確実に僕を絶頂に至らせる事を目的とした執拗くてねちっこい愛撫に。――気付けば、僕を視て居る其の瞳の優しさに。
「……せめて、思慕って云って欲しかったな」
――僕はドス君の事が好きなんだって。
ずっと隠し通す心算だったこんな感情。終わりはもう近い、君と過ごせる時間は指折り数えた方が早い程。
僕は今度の計画で死ぬ。完全な自由を手にする為に。
ドス君が僕の中から居なくなって、ドス君が僕から離れて行ったので、僕はゆっくりと寝台から身体を起こす。今日も混沌、おまけに身体の中は未だ熱い。ドス君はもう僕の中に居ないのに、ドス君の残滓が僕の中に未だ残って居て、起き上がって体勢を変えようとするだけで僕の中で其の存在を主張した。
「先に手を出して来たのはドス君の方じゃないか。厭がる私を無理矢理組み伏せてあんな事やそんな事」
「だから?」
気付けば再び、僕は天井とドス君の顔を見上げていた。ドス君の片手は僕の肩を押して、僕は再び寝具に沈められる。
――ねえ如何して、ドス君。
「貴方への劣情を抱いたから蹂躙したいと思う事の何が間違って居るんです?」
「んー、蹂躙という|単語選択《ワードチョイス》☆」
其の言葉は嬉しいと云うより苦しくて。ドス君も僕の事を愛して居るんだって実感する度に――。
両腕を伸ばしてドス君の首へと絡ませる。引き寄せて、其の紫水晶の瞳が近付いて来ると目蓋を伏せて唇を重ねる。
――死ねなくなるから。君への想いが募り過ぎて。
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