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第1話

 ───あれは、妻の機嫌を取ろうとしている夫か。随分と慣れた謝罪だ。どうやら日常茶飯事らしい。神妙な面持ちのあちらの旦那は、食事の進みがやけに遅い。心配事でもあるのだろうか。そしてこちらは……妄想に耽っている乙女の顔だ。袖に墨が付いているが、そんなことはお構いなしらしい。私もあのくらい、何かに没頭してみたいものだ。  人々を眺めながら、彼らについて想像し、酒を飲む。  この柳如淵という男は、賑やかな夜市に繰り出して人間観察をするのが好きだった。これは彼の趣味でもあり、生業の一環でもある。講談師の彼はこうして市井の人々を見つめながら、物語を日々頭の中で創造している。  しかし、市民の日常などを面白がる者は殆どいない。宴席で語ろうものなら「つまんねぇ話を聴かせるくらいなら黙ってろ!」といった罵声を浴びることだろう。客受けが良いのは無難な古典か、悲劇の英雄譚。腐敗官僚を成敗するといった勧善懲悪ものに、超人が盛りだくさんの侠客伝……。最近は、そんなところだ。  市井の人々の何気ない日常なら、こうしてぼんやり辺りを見渡すだけでいくらでも拾うことができる。しかしそれでは金にならない。彼らが金を払ってまで聴きたいと思える「非日常」を───如淵は探す必要があった。 「はぁ。ネタ探しの旅に出るか……」  如淵は机に銅銭を置き、街の賑わいから遠ざかるように、当てもなく歩き始めた。  ほろ酔い気分で城門前まで辿り着くと、心地よい夜風が頬を撫でる。この風は遥か遠くの霊山から降りてきたものだろうかと想像し、まだ見ぬ仙境へ想いを馳せた。  ふと辺りを見渡せば、宿のない者たちが城壁沿いに寝転んでいる。酔い覚ましには丁度良い涼風も、彼らの生命にとっては脅威なのかもしれない。あるいはとっくに死んでいるのかもしれない。暗闇で動かない彼らは、ぱっと見ただけでは生死の判別が付かない。  人間の生き生きとした表情が好きな如淵にとって、この動かない人間たちは哀れでならなかった。とはいえ一介の居士に彼らを救ってやれるほどの富も権力もなく、ただただ目の前を通るたびに悲しい思いをするだけだった。 「おい、どこへ向かう」 「ん? いやぁ、心地の良い夜だから城外の月でも愛でようかと……」 「何を言っている? 勝手に出ようとするな。チッ、さっさと帰れ酔っ払いが」 「はいはい、どうもね……ご苦労さんです」  城門を出ようとして門番に止められる。門番の機嫌が明らかに悪いのは、昨今解禁されたばかりの夜市が原因だろうと如淵は推察した。人々は楽しみ店側は儲かり、街が活気づく一方で、治安維持を担う者たちの負担と苦労が激増したのは想像に難くない。  城門を背に、未だ煌々と輝いている夜市の方を見つめる。さながら大火に包まれ燃えているようである。 「そうだ、いっそ燃やしてみてはどうだろう? 警護の者たちの鬱憤も晴れるかもしれない!」  そんな大きな独り言を、聞いている者がいた。千鳥足の如淵が半歩下がると、人の気配にどんっとぶつかる。 「うん? そこにいるのは誰……」  背後に立っていたのは、竹笠を目深に被り、剣を佩いた───侠客然とした出で立ちをした長身の青年だった。 「!!!」  如淵は雷に打たれたように固まり、暫くその者に魅入っていた。この青年はまるで物語の中から現れたかのような、いや、巷で人気の小説の……悪人を斬り倒していく江湖の英雄そのものだ。 「あっ、あ〜〜〜!!! いたぞ!見つけたぞ逸材を!!! すごいっ、今日の私はすごくツイている!!」 「……?」  青年は眉を顰め何かを言いかけたが、如淵がそれを遮る。 「待て待て。わかる。"何の話だ"ってところだろう。意味不明。それもいい。しかしこれは何かの縁!お兄さん、宿をお探しかな?私の下宿先で良ければ案内して差し上げよう!そして私の部屋に泊まればお代は無用!きみも何やらツイている。いかがかな?」  青年は少し考える素振りをしたあと、如淵に問いかけた。 「なぜ俺が宿を探していると?」 「ふふふ、私は他人のことなら異様に分かる。という程でもないが、こんな夜更けに街に入るのだ。普通は宿を探すのでは?」 「あ、ああ……」 「ふっ、まあ立ち話もなんだ。早速私の宿へ行こうじゃないか!名物の桂花餅がうまいぞ」  青年の裾をぐいぐいと引っ張り、如淵は歩き始めた。青年は困惑しつつも誘導されるがままに後を歩く。 「……見ず知らずの者に、なぜ親切にする」 「そりゃ生活がかかっているからさ。私は講談師をやっていてね……きみのような稀有な御仁から、ぜひとも色々な話を聞いてみたい! 江湖の話は誰もが聴きたがるはずだし、ぜひとも物語のネタに……いや、閃きを頂戴したく。お礼といってはなんだが、飯代酒代は私が払おう」 「酒は飲まん」 「おお!さすがは江湖の大侠どの!! 酒などに溺れず、自分を律してこそ上を目指せるというわけだな。いやはや、敬服敬服」 「いや……別に……」  少し欠けた月が美しい夜。  口数の多い男に呆気にとられながらも、江湖の青年は奇妙な縁に身を委ねた。 「ん? 朝!!???」  翌朝、如淵が目を覚ますと、見慣れた自室に朝日が燦々と差し込んでいた。狭い室内の狭い寝台に、昨夜連れ込んだ御仁が寝転んでいる。連れ込んだところまでは覚えているが、その後の記憶が全くない。 「あわわわ………」  体を横にしている青年をまじまじと見つめる。昨夜は顔の造形までは注視できなかったが、よく見てみると端正な顔立ちをしている。凛々しい眉や濃い睫毛、高い鼻などは北方の屈強な男たちを思わせるが、全体を眺めると不思議と厳つさはなく、むしろ涼やかな印象を受ける。それぞれの比率や配置が絶妙なのだろうか。如淵は黄金比のような寝顔を、どう形容すべきだろうかと考えながらじっと眺めた。 「………」  閉じていた瞼がゆっくりと開く。美男子とは寝起きの姿すら美しいのか───と、如淵は暫し感心したが、その美青年に見つめられている状況に気がつき、慌てて視線を泳がせる。 「や、やぁ!! 大侠どの!! 寝心地はいかがかな?!」 「ん…………」 「最高だった? それは何より!! 私も始めは狭い寝台だとは思ったのだがね。住めば都とはよく言ったもので……」 「………もういいのか?」 「へ? 何が??」 「気は済んだのか」 「ええっ!!? 済んでない。済んでないよ!! なんてこった。どうやら私は相当酔っていたらしい。昨夜の記憶が全くないのだ。もももしかして、きみは私に色々と話をしてくれたのかな?」  青年は身体を起こし、髪を結い上げる。そして如淵を見ないまま「覚えていないのならそれでいい」と呟く。  ───いいわけがあるか!  何とも意味深な態度を受け、如淵は心の中で叫び、そしてすぐさま青ざめる。 「ま、まさか私ときみの間に、一夜の過ちが……??」 「それはない……」 「ないかー。ないなら良かった! いやしかしきみの話を何一つ覚えていないというのは、我ながら情けない。江湖の大侠どのとのご縁を台無しにしてしまった……」  ちらりと青年の表情を伺うと、何とも言えない奇妙な表情を浮かべている。他人の心の機微に敏感な如淵でも、この青年がどういう感情で自分を見つめているのかは読み取れなかった。 「城外の世界が知りたいのなら、いつでも出ればいい」 「はい?」 「用事を済ませたら俺は明日にでもここを発つ。興味があるならついて来い」 「ええええっ!? いや、それは確かに気になるが、なんの準備もしてないし、仕事の予定も入っているしな〜……」 「嫌なら一生ここにいろ」 「えっ、待って……え……どうしよ」 「……。一晩やる。考えておけ」  如淵の頭をぽんと軽く叩いた青年は、すぐに部屋を出て行ってしまった。突き放すように聞こえる物言いだが、態度はどことなく優しい。彼はやはり如淵の思い描く、人情味のある江湖の英雄───物語の主人公そのもののようだ。  青年に触れられた部分を撫でながら、暫し呆ける。 「あ! 名前を聞いてないぞ。……ま、それも良し。さぞ格好良い侠客然とした名前なのだろう。あるいは二つ名でもあるのだろうか?うーむ……よし! 仕事まで時間があることだし、彼の名前を考えるとでもするか!!」  如淵は筆を取ると、勝手な命名作業に時間を忘れて没頭した。  その晩は月が翳り、小雨がまばらに降っていた。客足も普段よりは少ない。  客桟の二階で、如淵は普段通りの仕事をしていた。あの侠客の彼についていくかどうかの結論は出せていない。どちらにせよ、今日のところは働かなければならない。 「はい〜〜どうも。どうもね〜〜」  講談を終えた後も、如淵はその場に座り続けた。食事を終えた客たちが去り際に如淵の傍に寄り、籠にちゃりんと小銭を入れる。客桟の主人からの契約金が如淵の主な収入ではあるが、投げ銭も大事な稼ぎ高である。  夜が老けて、街の明かりがぽつぽつと消えていく。食事の提供も終わり、酒や歓談を楽しんでいた客は一人もいない。  しかし如淵の視界には、その場に残り続ける者が数名いた。 (……今日の客は六名か。まぁ、すぐ終わるだろう)  この稼業にはすっかり慣れたもので、如淵も冷静に「客」を見定めていた。  その中の一人がすっと立ち上がると、他の者たちもつられるように次々に立ち上がった。 「はいはい、順番ね。一人ずつ……あっ」  鼻息を荒くした一人の中年が如淵の胸ぐらを掴み、乱暴にはだけさせた。他の男たちも群がり始め、その中の一人がとうとう自身の股間を露出させる。  如淵は今でこそ、この街を熟知しているが、昔はそうではなかった。講談師の職に就こうと決めた頃には、既に街中の客桟や料理店にはお抱えの芸者が存在していて、どこも如淵を雇おうとしなかった。  唯一快諾し、宿まで提供してくれたこの客桟は───如淵に裏稼業も受け入れるよう要求した。国法に反すると始めは断ったが、実際表の稼業だけでは食べていけず、仕方なく男たちの相手を受け入れた。色白で、事なかれ主義な一面を持つ如淵は、野蛮な男たちから少なくない人気を集めた。 (まあ……減るものでもないしな。痛みも数日で引くし)  黒ずんだ怒張が顔の前に現れた瞬間、嫌な匂いが鼻につく。初めの頃は、商売道具である喉を乱暴に扱われ、この上なく惨めな気持ちになったりもしたが、今はこれを頬張ることに抵抗がない。全くの無意味であればこんなことからは逃げたいが、対価として少なくない金額は払われている。そうだ。慣れてしまえばこんな稼業、どうということは───。  キラッ、と視界の中で何かが光る。 「……え?」 「ひっ!!??」  男の股間と如淵の顔の間に、冷たく光る刃がある。  刀だ。模擬刀?何かの余興か?───いや、紛れもなく本物だ。売り上げを奪いに来た賊だろうか?  如淵は刀の持ち主を見上げる。静かな怒りを湛えた表情は、見覚えがある。彼は……。 「き、きみは、昨夜の……」 「全員今すぐ失せろ!!! でなければそいつを斬り落とす」 「ひ、ひいぃっ!!?」 「ひぇっ!!! あわわわわ………」  腰を抜かして動けなくなっている如淵を残し、群がっていた男たちが一斉に散っていく。  侠客の青年と如淵を残して誰もいなくなると、彼は刀を鞘に収めた。暫しの沈黙のあと、青年が振り返って如淵を見下ろす。 「あっ、ちが、これは……………」  青年は如淵の弁明を聞かずに、吐き捨てる。 「着ろ! ……服」 「ひえっ! は、はいぃ!!」  青年は再び如淵に背を向けた。如淵は慌てて乱れた服を整える。 「……本当に地獄みたいな街だ。来るんじゃなかった」  その呟きを聞いて、なぜ彼が怒っているのかを、如淵はやっと理解した。あんな光景を見せられたことに憤っているのだろう。本来、気高い猛者たちが集う江湖で暮らす彼のこと。こんな低俗で穢らわしいものを見る羽目になって、やはり武芸のできない俗人が集まる街なんぞは、価値のない場所だと認識したに違い。  しかしその「地獄」という認識については如淵も一言物申したかった。この街の良いところも沢山知っている。 「あ、あの。一応、その、誤解はしないでくれ……。一部の輩は確かに粗野で非道な行いをするがね、この街の多くの人は善良な……」 「ならばどうして誰もお前を助けない? なぜお前は誰かに訴えない!?」 「そ……それは」 「来い。帰るぞ!!」 「あっ」  青年は如淵の手を握り、昨夜寝た部屋へと連れて帰った。如淵は「客」の相手をしなかったことを客桟の主人にどう説明したものかと悩んだが、それは無用な心配だった。  部屋に戻ると青年が荷物をまとめ、如淵にも荷造りをしろと告げる。この宿───いや、この街から出ろという意味だ。  如淵は困惑しつつも、彼を初めて見た時の直感を思い出した。  ───この主人公然とした御仁についていけば、脇役の自分にも楽しい暮らしが待っているかもしれない。  如淵は彼を信じ、ついていくことに決めた。  夜中に城外へ出られるはずがないだろうと思っていた如淵は、あっさりと門番を突破できたことに驚いた。侠客の出立ちによるものなのかは分からない。とにかく、如淵の知るこの街の常識すら彼には通用しないらしい。  街から出て、暗く果てしない山道を歩く。  前を歩いていた青年は如淵の歩みが遅いことに気がつき、如淵の荷物を代わりに持った。 「はぁ……はぁ。ありがとう、大侠どの。……そういえばきみの名前を聞いていなかったな……。名前はなんという?」 「段十三」 「ん? なにさんだって?」 「十三。十三番目の弟子だから師にそう名付けられた」 「………なんと」  如淵がその場でぴたりと歩みを止める。青年もつられて止まる。如淵は少し考えたあと、青年へ近づき両手をぎゅっと握りしめ、至って真剣な眼差しで彼の瞳を見つめた。 「段大侠。きみは紛れもなく綺羅星の如き主人公だ。しかしその……主役の名前としてはいささか地味すぎる。差し支えなければ、私がきみの名を考えてもよいだろうか?」 「………。例えば?」 「うーん。そうだな。段無敗とか段無敵とかはどうだろう!?」 「絶対に嫌だ……」  段十三は如淵に手を握られたまま、緩く歩みを再開した。  提案を断られた如淵は、親しみを込めて彼のことを「段兄」と呼ぶことにしたが、この後も彼に相応しい名前をつけたいという野望を諦めることはなかった。 ------------------------ 「で? それで連れて帰ってきちゃったんだ。 あははは!!! 面白すぎる」 「だから、笑い事じゃ………」  雲海の中、ひっそりと佇む寺院の小さな中庭で、段十三とその師匠は茶を酌み交わしていた。  遡ること二日前。  薬学に精通している師匠から、街まで薬の納品へ行ってほしいと頼まれたあの日。納品とは別に、段十三にはとある課題も課せられた。 『誰でもいい、何でもいいから人の役に立ってきなさい』。  課題を課せられること自体に不満はないが、問題はその中身である。他人に興味がない段十三にとって、それは心底御免被りたい内容だった。街中などという騒がしい場所に留まりたくもないし、第一、人助けとは本当にその人間のためになるのか?もし街中に困っている人間がいたとして───手を貸してやるのは、その者のためにはならないのではないか?己を磨く機会を、他人が奪ってしまって良いのだろうか?  不満は延々と湧き出てくる。とりあえずご老人を見つけて荷物でも持ってやればいいのだろ、と早々に解決してやる気持ちで街へ向かった段十三だが、彼を出迎えたのは、残念なことに厄介ごとの気配を纏った男だった。 (あれはやばい。関わらないようにしよう)  死体に向けて何かを呟いている酔っぱらいを一瞥し、その視界に入らないよう、そそくさと注意深く歩く。そんな努力も不運の前には意味をなさない。酔った男が、段十三に吸引されるかのように急接近を始める。 「大侠どの!! ぜひともお話を聴かせていただきたく!!」  ちょこまかと自分に纏わりついてくる男は、不快というよりはむしろ不可解であると段十三は思った。何故こうも他人に興味を持てるのだろう。 (まぁ、この男の願いを叶えてやるだけで……人助けしたということにはなるか)  段十三は酔った男と共に、彼の下宿先へと足を運んだ。  ところが───話を聴かせて欲しいと言っていたその男は、どういうわけか上機嫌に"自分の考えた物語"を聴かせてくるだけであった。  始めは心底どうでもいいと思い、聞き流していた段十三だが……。 「するとそこで! 田さんの肘から彗星の如き閃光が放たれ、家々は瞬く間に紅蓮の炎に包まれて……」 「ま……待て。なんだそれは……そいつは村人だと言っていなかったか……??」 「ん? 知らないのか? 田さんは村人だが、最強の村人なのだ」 「なぜ村人が最強なんだ……なぜ村人が家を焼き払う……」  如淵と名乗る講談師の話は混沌を極めており、さすがの段十三も横槍を入れずにはいられなくなっていた。 (くそ、意味不明すぎる……。さっさと寝てくれ……)  先程淹れた茶が程よい温度まで下がったのを見計らって、喋りっぱなしの講談師へおもむろに差し出す。  それは「酔いを覚まして早いところ眠って欲しい」という思惑によるものだったが、 「おお! なんと気の利く御仁だろう!! そうそう、日頃はつい熱中して忘れてしまいがちなのだが、喉は労わらなくてはな。………」  茶を啜って一息ついた如淵が突然、ぼろぼろと涙を零し始めたので、段十三は狼狽する。 「!!??? な、なっ、なぜ泣く!!?」 「う………。うう………こんな、こんなにも優しくしてもらえて……こんなにも楽しい夜はいつ以来かと思い………。…………っ。大侠どの、うぅ〜〜〜……っ。は、話を聞いてくれて……ありがとう」 「なっ………!!?」 (馬鹿な……話を聞いて茶を差し出しただけでこれほど感謝されることがあるか!??)  段十三は師匠から課された"人助け"というものが決して軽いお題ではなく、実際には姿形の捉えられない深淵のようなものであることを感じ取り、ぞっとした。一見どこにでもいる酔っぱらいが、話を聞いてやっただけで感極まるのだ。もしや───酒に酔い派手に着飾り、宴に興じている城内の者たちは、みな底知れぬ苦しみから逃れようとしているのかもしれない。彼らの仮初の笑みの裏には、怨嗟の念が渦巻いているのかもしれない───。 (やはり街は恐ろしすぎる。地獄なのか?……早いところ帰らなくては)  これ以上踏み入るのはいけないと肌で感じながらも、段十三はさめざめと泣く男の背中を摩りながら声をかける。  捉えようによっては、既に感謝をされたのだから課題は済んだとしても良いところだが、彼の良心はそれを善しとしなかった。 「な……何か、不当な扱いでも受けているのか? 金に困っているのか?」 「ぐすっ………いいや。皆良くしてくれているよ。おかげで食うことには苦労していない……。そうだろう。食事もあって寝床もあって、戦もない太平の世を享受しているんだ。これほどの幸せは、あるまいて」 「ならば、何故泣く……」 「で、でも。ほんとに……こんなに、話を聞いてもらえたのは、久しぶりなんだ……。きみのような優しい人がいるのであれば、この世もまだ、捨てたもんではないな………うぅ」 「………。は、話を聴く程度であれば……俺はいつでも………」 (くっ……何を言っているんだ、俺は……)  一刻もこの街から去りたい気持ちと、自分の腕の中で泣く男を放ってはおけない気持ち。その二つがぶつかりあい、段十三はかつてないほどに疲弊したが、 「ありがとう……」  同時に、感謝されるのは悪い気はしない、とも感じた。  その翌日、如淵の仕事ぶりを遠巻きに見ようとし、件の裏稼業を目撃する事となり───衝動のままに彼を自分の寺へと連れ帰って、現在に至る。  段十三の師匠は、困惑気味の弟子を愉快そうに見つめていた。 「しかし、人助けしたとは言えないな。お前は課題を解決できず、持ち帰ってきただけだよ。彼をこれからどうする?」 「ぐっ……。それは、分かってる………」 「ま、養いたいなら好きにしな。お前なら適当にその辺のご老人の荷運びを手伝って人助けをした!とか言うと思ってたからね。課題に真剣に向き合おうとするその姿勢は褒めたい」 「…………」  何もかもを見透かされていると思った段十三は、ふてくされた少年のように無言で茶を啜る。師匠はそんな彼を見て、なんと純な男だろうと和やかな気分になった。 (課題だって? まさか本当にそんなものに囚われているわけではないだろうに……)  師匠は内心でそう思いながらも、弟子に伝えてやることはしなかった。 ------------------------  朝日に包まれる雲海を眺めながら、如淵は一人、呆けていた。  段十三に連れられここへ住むようになり、半月ほどが経つ。雲の上の絶景は見た目には美しいが、文字通り地に足が付いていない感覚を、如淵に与えていた。  段十三には何もしなくて良いと言われたが、長年食べるために働いてきた如淵からしてみれば、食事を恵まれ続けるのはかえって居心地が悪い。  この寺院には段十三を含め、身寄りのない若者や子供が沢山暮らしている。師匠に教えを乞いながら、朝から晩まで鍛錬をするその光景はあまりに浮世離れしており、如淵の目には小説の挿絵のように映った。  仙境で暮らす彼らにも、掃除や炊事、畑仕事の担当がきちんと割り振られている。如淵はこれに加わろうと子供達に話しかけ、昨日から手伝いを始めた。昨日は畑仕事で今日は掃除。明後日は炊事をやる予定だ。  如淵は物語の草稿を頭の中で綴りながら、雑巾を手に取った。 「やあ段兄」 「……なんだその格好は」 「他の部屋が終わったから、きみの部屋も掃除をしに来たぞ。ここは物がないから拭きやすそうだなぁ。あ、そうだ!! きみの服を回収し忘れていた。あとで洗濯を……」 「いい、自分でやる……」 「あっ」  如淵が掴んだ衣服を、段十三が引っ張り返し───よろけた如淵が彼の身体へ倒れ込む。段十三は少しも動じず、むしろ共寝を誘うように如淵の身体を抱き寄せた。  急速に速まる胸の鼓動に、如淵は「乙女ではあるまいし」と言い聞かせる。 「あわわ、も、申し訳……」 「何もしなくていいと言ったはず。お前は……少し休むべきだ」  半ば強引だが自分を気遣ってのことなのだろう。肩を撫でるその手つき、その気遣いがあたたかい。 「いやあ、十分休ませてもらっているよ。ここ数年で一番心穏やかで、まるで夢を見ているようだ。それに何もしないというのも、気が引けるというか」 「……それなら子供らに、何か話を聞かせてやってくれ。あいつらは娯楽とは無縁だから、お前の話は新鮮なはず」 「あ、そっか。それはいいな」  如淵は段十三の腕の中で、子供達に話す題材を練り始めた。  夕食後、如淵は子供たちに物語を聴かせた。内容は街で流行りのものではなく、どこかで伝え聞いた伝承を自己流に脚色したものにした。反応は概ね良く、大声を上げて笑う者もいたが、終始反応がなかった者も二、三名いた。彼らのことは、少し気がかりだった。  一仕事を終えた如淵を、段十三は微笑みながら見つめていた。 「段兄。いかがした? 珍しくご機嫌じゃあないか。あっ!! さては私の話がそれほど面白かったかな!?」 「いや……話はよく分からなかった」 「なんですって!? むむ……ではなぜそんなにニコニコしている?」 「お前が楽しそうだと、俺も楽しいということに気がついた」 「えっ」  端正な顔に見つめられ、如淵は視線を逸らす。 「わ……私はそんなに楽しそうにしてたかなぁ?」 「あぁ」 「まぁ、その、子供たちは反応が素直でとてもやり甲斐があったよ。ただ全く無反応な子もいたのが、心残りだが……」 「心配しなくていい。ここで過ごす子供たちは生い立ちが様々で……中には一言も喋れないような奴もいる。今はああいうものとして受け入れてやってほしい」 「なんと、そうだったか。……いや、そうなのやもと一瞬考えはしたのだが……。話がつまらなかったという方がよほど平和なので、そうであって欲しいと考えてしまった。私の洞察もまだまだだな……」 「お人好しめ」  肩を落とす如淵の頭をぐしゃぐしゃと撫で回したあと、段十三は部屋へと戻って行った。 「ふう………」 「あんなにべらべら喋る十三、初めて見た」 「ん!? あっ、ええと……お師匠どの?」 「やぁ、講談師くん」  いつの間にか背後に立っていた人物を、如淵はまじまじと拝見する。ここへ来た初日に軽く挨拶を交わしただけだが、非凡な雰囲気が充分に感じられる。 (この人が段兄を育てたのか。色々と聞いてみたいな、段兄のこと……)  ところが如淵が訊くよりも先に、彼の方から尋ねられる。 「貴公から見て、あの子はどんな感じかな?」 「えっ? どんな……? え〜と……。それはもう、心優しくて義に厚くて、まさに思い描いていた江湖の好青年そのもの!! です」 「はははっ、江湖なんざ荒くれ者か捻くれ者か……。大半は小物ばかりだよ。義侠心のある若者はそれほど多くない」 「……? では、段兄は珍しい部類だと?」 「そうでもない。"人助けは人のためにはならない"が口癖の生意気な若造でね。どこにでもいる、自分がよければそれでいいって奴だったよ。貴公のことは放っておけなかったようだが」  段十三を育て上げた師匠が言うなら、確かなのだろう。如淵は、自己中心的な段十三が手を差し伸べたくなってしまうほどに己が情けなく不甲斐なく、どうしようもない存在に見えていたのかと思い、落胆した。 「段兄が見過ごせないほどに、私は見苦しかったのか。いやはやなんとも……」 「惹かれたんだろうよ」 「え……?」 「私なら野花は摘まずに愛でるがね」 「……?? ひゃあっ!!!!!」  師匠は如淵の尻を鷲掴みにし、悲鳴を聞くと満足そうにその場を立ち去った。  心地よい静寂に、澄んだ満月。  笑わない子供に、掴みどころのない師匠。  これまでに縁がなかった様々と触れることができた。思い切って街から飛び出して見て良かった───と、如淵はこの時しみじみ感じていた。  ところが、ひと月半ほどの時間が経つと、この絵巻物のような空間で過ごし続けることを、俄かに退屈に感じるようになっていた。 (確かに不自由していない。日の出と共に起き、雲海の中の畑を耕し知己と語らい、穏やかな気持ちで眠りにつく。……煩悩とも厄介ごととも無縁で、穏やかな生活ではあるが……)  如淵は目を閉じ、街の雑踏を想像した。  ───飴細工を手にし、大人たちの間隙を縫うように走り回る子供。商店の店先では、麺が入った丼に熱した油が注がれて、食欲を誘う音と香りが弾ける。時折罵声が聞こえる大通りから外れて脇の小道を通ってみれば、冷たい井戸水で野菜を洗う者がいて、どこかのお宅へ入れば、中庭で余生を過ごす老人が落葉を眺め、詩歌を詠んでいて……。  時折気を滅入らせることもある、あの街の熱気。心地よく感じる日もあればそうでない時もあるが、まるで街そのものが生きているような有機的なあの活気は、綿々と続くものでないことを知っている。見えざる手や天変地異によっていつ失われるかも分からない、儚い命同然だからこそ、今を愉しむ人々と共に……慈しんでやりたい。 (………。よし、今日こそ伝えよう)  如淵は日課の雑事を終え、段十三の元へ行くと、普段以上に丁寧に茶を淹れた。清雅で上質な芳香が、二人を包む。  そして少し寂しそうな表情で、彼に告げた。 「段兄、色々と考えたのだが……やはり私は、街暮らしが性に合っているのだと思う」 「ああ。……お前はきっとそうなのだろう。俺も同じことを思っていた」 「ふふ……なんだ! そっかぁ」  暫しの沈黙の間を、涼やかな虫の鳴き声が埋める。ややあって、茶を啜り終えた段十三が口を開く。 「掃除や子守りをさせるためにここへ連れて来たわけじゃない。お前はやはり、仕事をしている時が一番楽しそうだ」 「………いや、ね。私もそう思うんだ。しかしきみもそこまで私のことを真剣に考えてくれていたのか。なんだか照れ臭いな」 「帰るのか」 「ん? まぁ、近々……そうさせて貰えたらと」 「なら俺も行く」 「きみも?」  段十三は如淵の隣へ移動する。そしておもむろに如淵の髪を指で掬い、弄り始めた。 「お前みたいなお人好しには、護衛が要るだろう」 「ぷっ……。講談師が護衛を侍らせているだなんて話……聞いたことがないぞ! いや話題にはなるかな? しかしきみを雇ったら私の稼ぎが消えてしまうよ」 「報酬はいらん」 「全くもう。きみこそお人好しがすぎるぞ、段大侠。なんだってそんなに、私に良くしてくれるんだか」 「なぜだと思う?」  如淵の肩に頭ひとつ分の重みが加わる。髪や頬に触れたり、もたれかかったりと、ここのところ可愛げのある接触が増えた。初めて触れられた時は疲れているのかとも思った如淵だが、元よりそこまで鈍くはない。きっと自分は愛されているのだろう。  如淵があえてとぼけたことを言ってみたのは、街で暮らすと決断したからに他ならない。それは彼との穏やかな暮らしを手放し、己の道を進むことを意味していた。  しかし段十三もまた、如淵の道を共に往くと心に決めていた。 「他人のことはよく分かるんだろ?」 「それは……。いや、気のせいかも」 「なら教えてやる」 「あ、待っ………」  痺れを切らした段十三が、如淵の身体をひょいと持ち上げ、寝台へと運ぶ。そして仰向けにした彼のこめかみに数回ほど口付けを落としたあと、何かを伝えたげに、指の腹で如淵の唇に触れる。  如淵は、愛されることと向き合うのはこんなにも勇気がいるのかとしみじみ感じ入り、全身を強張らせながら、同時に胸を震わせた。 「ん……」  初めての口付けはややぎこちなく始まったが、強張った身体は熱で徐々に解れていき、どちらからともなく情熱的な求め合いへと変わっていった。  自分で決断しておきながら、如淵はこの心優しい青年と共に過ごす日々が名残惜しかった。だからこそ、自分に付いて来てくれると言ってくれたことが心の底から嬉しかったし、こうして確かめ合っていると、やはり離れ難いと思えてならない。  ふとした瞬間に若者らしい血気を連想することはあったが、こうして直に感じるのは初めてだ。舌先で受け取った熱が、身体中を駆け巡っていく。如淵はあらゆる感覚が、突然敏感になったように感じた。  やがて、如淵の表情が蕩けきった頃。  段十三は長い長い深呼吸をし、如淵の額を撫でながら語りかけた。 「明日、ここを発つ。それでいいか?」 「…………へ? あ、うん………??」  すると急に、段十三は灯を消して徐淵の隣に寝転び、布団を被り始めた。紛れもなく一日を終える時の動作である。徐淵が戸惑っていると、いつの間にか彼は壁の方を向き、徐淵に背を向けていた。 「じゃ……」 「えっ………??? 大侠????」  如淵はぽかんと口を開けたまま段十三の背中を見続けた。あれだけの色気を振り撒いておきながら、まさか本当に眠るつもりなのだろうか。あるいは彼の優しい性分を鑑みるに、自分のことを気遣ったのかもしれない。  しかし───。 (え、嘘、ここまでしておいて本当にそんなことある???)  もし本当に、彼がそんな水臭い考えを持っているのなら───我々二人の間にそんなものは不用だと、伝えなくてはならない! 「段兄よ、段兄……。私は……私もきみのことが好きだよ。だから、きみになら何をされても大丈夫というか、むしろされてみたいというか……私たちの間には一切の遠慮は無用だ。そうは思わないか?」 「…………」 「お〜い……」 「ここは駄目だ………静かすぎる」 「はぁん?!」  予想外の回答に、如淵は素っ頓狂な声を出す。優しさによる遠慮だと思った先程の自分が、妙に恥ずかしい。 「小狐の歩く音から、蛇の這う音まで……。どんな些細な音でも聞き分けられるよう、俺は昔から師匠に扱かれてきた……」 「……つまり?」 「師匠に聞かれると思うと、かなり気が散る……」 「…………」  それもそうだと納得する一方で、ならば何故その気にさせたのかと問い詰めたい気分にもなり、如淵は眠たくなるまでの間、五本の指で段十三の背中をつつき続けた。 ------------------------  僅かばかりの荷物をまとめ、二人は街へと戻った。  段十三の勧めに従い、如淵は以前とは異なる客桟で仕事の契約を行った。今度の宴席は表通りから見えるほど開放的な空間であり、裏稼業に巻き込まれる可能性は低い。  立地が良いだけに、予約は既に三月先まで埋まっているのだという。雑技に戯曲、武芸など様々な娯楽が日々宴席に華を添えている。通な客人たちを愉しませるには、凡庸な草稿で臨んでは駄目だと如淵は考えた。 (今後の生活のためだ。一発目は確実に成功しておきたいな。………) 「ん?」 「あいや、きみのお師匠さんは面白い人だったなと思ってね。何か愉快な話を聞いていたりはしないかな? 異郷を旅した話とか、悪者を退治しただとか……」 「……。退治どころか。昔は悪人そのものだったらしい」 「えぇ!!? 嘘っ、聞きたいなそれ!!」  目を輝かせる如淵に心を解され、和やかな気分になった段十三は、師匠の前科の数々を揚々と語り始めた。 ------------------------ 「参ったな。脚本の余地がないぞ……。きみのお師匠さんの話を聞けば、誰でも講談師になれてしまうではないか」  黄金色の半月の下。  食事と湯浴みを済ませたあとも、如淵は草稿作りに没頭していた。表の賑わいを肴に草稿を練り上げるのは、身体に染みついた習慣であり、簡単に忘れられるものではなかった。 「なぁ、段兄。きみのお師匠が焼き払った村というのは……」  ふと横を向くと、思いのほか近い距離で段十三がこちらを見ている。彼の手が伸び、如淵の頬を気怠そうに撫でる。 「えっ、あ、もしかして、ずっと待って……?」 「いや、見ていた」 「な、なにを……」 「お前が楽しそうにしているのを」  如淵はかっと顔が熱くなるのを感じ、慌てて顔を背けた。  ───なんてこった。昨晩は焦らされて、あれだけ悶々としたというのに、今日はこちらが待たせてしまったらしい。 「仕事の邪魔はしない。続けていていい」 「あ、いや、まぁ、いいんだけどね一区切りついたし」 「……本当か?」  如淵は無言で二回頷いた。切りが良いというのは嘘だが、この状況で創作を続けられる気はしない。 「昨晩はその、随分と歯痒い思いをさせられたからね。きみも私を待たせたし、私もきみを待たせた。まぁここは、つまり、おあいこということで。ははは……」  普段以上の饒舌ぶりを見せていた如淵だが、段十三に抱きかかえられ寝台まで運ばれると、顔を赤くして大人しくなった。 ------------------------  夜市の喧騒など煩わしいばかりだと思っていた段十三は、自分がそれに溶け込む日が来るとは思ってもみなかった。むしろその喧しさのおかげで、この肉体を気兼ねなく、存分に愛でられるのだ。案外、住めば都かもしれない。 「はぁ………っ、あっ、段兄、それ、駄目っ………」  昨夜のそれをより一層情熱的にした口付けのあと、段十三は愛しい身体のあちこちに印を刻み込んでいた。特に首筋や胸元を吸った時の反応がよかったので、それを面白がりながら念入りに責めた。 「……なんだか、夢を見ているみたいだ。段兄、本当に私が相手でいいのか?」 「何を今更……。昨夜は"されてみたい"と言ったくせに」 「そ、そんなことしっかり覚えていなくていいよ……!!」 「一生覚えておく」 「もう……」  人のことは良く分かると言いながら、如淵は時折妙な発言をすると段十三は思った。自信のなさによるものか、幸福を素直に受け入れられない類なのかは分からない。如淵は類を見ないほどの善人でありながら、どこか破滅を望むような危うさも感じさせる。  そんなあべこべなところから、目が離せなくなったのかもしれない。幸い自分には誰かを守れる程度の力はある。破滅など、させてやるものか。  段十三は、そんな想い人を丁寧に抱くつもりでいた。  ところが……。 「い、いい……!! そんなことしなくて」 「段兄。わ、私がしたいんだよ……。駄目?」  彼は思いのほか、積極的だった。  あれを咥えたいと懇願してきたのだ。当然、されたくない訳ではない。ただ自分が耐えられるかどうかが分からず、段十三はすぐには承諾できなかった。 「…………」 「ねっ、お願い! すごく、その、こんなことを言ったら変に思われてしまうかもしれないが……」  顔を真っ赤に染めた如淵は目を逸らさず、まっすぐ恋人の顔を見つめた。 「きみのが、しゃぶりたくて仕方がないんだ……こんな気持ちは初めてだ。……ね、頼むよ」  結局段十三の予定は、大きく乱れることとなる。 ------------------------ 「わっ、すごいな……これが段兄の陽も」 「い、喋らなくていいから……」 (……石鹸の香りがする。もしや、私のためを思って念入りに……?)  段十三の細やかな心配りに応えようと、如淵も丁寧に入念に、亀頭を舐め始めた。カリ首の皺に沿うように舌先を這わせ…… 「ん♡ ちゅっ♡ じゅるっっ♡ んんっ……♡」  亀頭を咥え込み、ぐぽぐぽと頭を上下させる。竿を愛撫しようと喉の奥まで呑み込んだり、ちゅぱっと音を立てて離すことを繰り返し、愛撫を愉しんだ。 (それにしても段兄のここは美しいな……。作り物みたいに均整が取れていて、桃色みを帯びた褐色が耽美で……嫌な感じが全くしない)  ちらりと段十三の表情を伺う。普段涼やかな顔は耳まで赤く染まり、眉間には深い皺が刻み込まれている。汗に塗れた首筋を、時折玉のような雫がつたう。何て色っぽいのだろうと改めて惚れ込めば、先走りの味が媚薬のごとき甘美な味に思えてくる。  ───もっと味わいたい。  如淵は無意識に舌先を硬くして、鈴口をやや激しめに責め立てた。 「───ッッ!!! っあ、やめ……っ」  段十三の呻き声と共に、ぬめりを帯びた体液がドクドクと溢れる。まだ達したわけではない。このまま受け身で居続けるのも辛いだろうと思い、如淵は頬を窄めてきゅっと吸い付き、竿への刺激を何往復か与え、射精を促した。 「〜〜〜〜〜〜っあ゛!!! イ……っっ」 ───ビュ───ッッ♡♡ ビュ───ッッッ!!♡♡ ───ごくごくごくごくごくっ♡♡ ごくっ♡ごくっ♡ごくんっ♡♡♡♡  口内に放たれた、先走りの何倍も濃いその体液を如淵は躊躇なく飲み干した。身体が勝手にそうしたのだが、口の中に溜めておいてじっくりと味わえば良かった───と思うのは、もう少し後になってのこと。  飲み干した喉が最後に立てる「ごくんっ♡」という満足げな音を聞き、段十三は思わず身体を震えさせた。 「は────っ……ふぅっ……♡♡♡」 「…………お、お前は………なんて………」  段十三が顔を覆っている。  如淵は生まれて初めて、自分でも信じられないくらいに淫靡な振る舞いをしたことを自覚した。  引かれてしまっただろうか。いいや、きっと……彼ならば大丈夫だろう。 「ふふ、気持ち良かったかい?」 「………………自分が情けない」 「む!? なぜに」 「……………」 「射精は男なら誰でもする! 恥じらう必要はないだろう!」  満足げな如淵と対照的な段十三は、昨晩から───いや、実のところ数日前から如淵を抱くことを妄想し、子種を溜めていた。自慰の際、濃いものを出す達成感を密かに楽しみにしていたのだ。 (くそっ、飲まれると分かってれば、あんなに溜めなかったのに……。きっと飲めたものじゃなかった筈だ)  そんな男子らしい欲望も経緯も知りもしない如淵は、呑気な顔をして再びちろちろと舐め始めた。 「!! お、おいっ。もういい……!!」 「ええ……でも」 「でもじゃない、それはもういいからっ……早く抱かせろ」 「え………」  如淵の耳が赤くなる。反撃するなら今しかないと思い、段十三は如淵の股間に手を伸ばした。  如淵のそこは、先程の奉仕ですっかり発情しきっていた。透明な先走りでぐしゃぐしゃになっているそこを軽く扱いて手を離せば、ぬめりが糸を引く。これを使わない手はないと、かき集めた体液で如淵の窄まりを解す。  段十三の呼吸の荒さから余裕のなさを感じ取った如淵が、四つん這いの姿勢を取り、 「段兄。いいよ、もう、挿入れてっ………」  と言えば、段十三は躊躇なく己の先端を小さな穴にねじ込んだ。 (段兄、もしかして見た目よりかなり若かったりするのか? 普段は落ち着いているのに、こんな時には全くもって初々し───) ───ズプンッ!!!♡ 「〜〜〜〜ゔっっっっ♡♡♡♡」 「………っく………♡♡♡」  無理矢理ねじ込まれた肉棒に、秘肉がぎゅうっと纏わりつく。ようやく辿り着いたこの瞬間を終わらせないようにと、段十三は深呼吸をし、快楽に耐える。  窓の外から、楽器の音と歓声が聞こえてくる。どこかの楽団が演奏を始めたようだ。夜が深くなるが、街の賑やかさは増していく。どこかの一室で色事が始まったとしても……それをかき消してしまうほどに。  段十三は、如淵の思いっきり乱れた声が聴きたいと思い、律動を開始する。 ───じゅぷ、じゅぷっ、じゅぷっ……… 「っあ───!!!♡ あーっ………あぁ……っ」  如淵の控えめな喘ぎが、楽器の音色にかき消される。対抗するように、段十三は如淵の中を激しくかき乱していく。 ───パンッ!♡ パンッ!♡ パンッ!♡ パンッ!♡ パンッ!♡ パンッ!♡ 「……っ、く…………!!!」 「んんんん゛ぅ───っ♡゛……ッ゛♡♡゛」 (嘘っ、こんな、気持ち良くなれるなんて、知らな………っ♡♡♡)  男の欲の捌け口とされることには慣れた身だが、愛した者に求められる喜びは知らない。如淵の体内は荒々しく愛されて、身悶えするほどに悦んでいた。  ───彼と目が合わない体勢で良かった。  如淵は心底そう思った。  律動に合わせて、だらしなく開いた口から声が漏れる。淫乱極まりない癇に障る声だとは思いつつも、抑えられそうにない。一突き、また一突きと奥を責められるたびに頬に熱が集まり、瞳が蕩けていくことも実感している。さぞ、情けない顔をしていることだろう。  如淵は敷き布をぎゅっと握りしめながら、獣の交尾を愉しんでいたが───。 「……………」 「ふっ………、……? ……ん…………どうし………えっ?」 「顔が見たい……」 「えっ!? あ、だ、駄目………!!!」  抜き差しを中断した段十三が、如淵を仰向けにする。思わず如淵は顔を手で覆う。  段十三はむっとして、やがて何かを思いつく。 「肩、捕まって」 「??? こう……?」 「両手。………そう」  如淵の両手が自分の肩に触れたのを確認した段十三は、結合部を密着させたまま……突然、如淵の身体をひょいと持ち上げ、立ち上がる。 「!!!?? だ、段兄まって、これっ」 ───ばちゅんっ!!!!!♡♡♡ 「〜〜〜〜〜〜〜〜ッ゛ッ゛!??゛♡゛♡」  そして如淵の結腸に、容赦のない一突きを与える。感じたことのない快感が、如淵の全身を駆け巡る。  激しい抜き差しに体重の重みが加わることで、肉棒は如淵のより深いところを抉る。 ───ばちゅっ!♡ ばちゅっ♡ ばちゅっ♡♡ ばちゅっ!♡ ばちゅっ♡ ばちゅっ♡♡ 「あ゛ぁ───ッッ!!!♡♡♡ こ、これぇっ、だ、だめ…………!!!! 深いぃ………っ♡♡♡♡」  爪先が宙に浮き、突き上げられるごとにゆらゆらと揺れる。布団を握って快楽に耐えることもできない両手は、段十三の首にしがみつくことが精一杯で、如淵の身体は貫かれるがままの人形のようになっていた。 (こ、これ♡ やばいっ♡ 受け身を取ることが出来な………顔も……隠せない……っ♡♡♡ イキ顔っ♡♡ 見られちゃ……ッッ♡♡♡) ───ばちゅんっ!♡ ばちゅっ!♡ パンッ!♡ パンッ!♡ パンッ!♡ パンッ!♡ パンッ!♡ パンッ!♡  下から何度も突き上げられ、如淵の喉から悲鳴に似た声が漏れる。今の如淵に、段十三の発情しきった吐息を聴けるほどの余裕はない。 「フ───ッ♡ フ───ッッ♡♡ フ───ッッ♡♡♡」 「あッ、あ゛ぁ───♡♡♡、はあッッ♡♡ あ゛──………ッッ!!♡♡」 「声、もっと………」 「?゛♡♡♡」 「声出して、…………」  抜き差しが短く早くなっていく。愛する人の先端が、如淵の結腸をごりごりと責め立てる。この体位で耐えられるはずもなく、如淵は陥落した。甘い絶頂が始まり、如淵の先端からは白濁した体液がとろとろと湧き出る。 「───ッッッ………♡♡♡ っ、ぉ………………♡♡♡♡♡」  下半身をガクガクと震えさせ、如淵は仰け反った。 「如淵…………」    玉のような汗を飛ばしながら、段十三は恋人の名前を呼ぶ。返事はない。街の喧騒にかき消されるほどの小さな声で、段十三は「出すぞ」と呟いた。 「フ──────ッッ………っお゛……………♡♡♡」 ───ビューッ♡♡ ビュルッ♡♡ビュ───ッッ♡♡ ビュルッ♡ ビュルッ♡  愛しい人は同意を得られる状態にない。全ての主導権が自分にある状態で、身勝手な欲望を注ぎ込む。段十三はこの背徳感の虜になった。ドクドクと脈打ちながら射精をしている雄棒の下の方で、新たな子種が作られている感触がする。まだまだ注ぎ込み足りない。この強欲な子種が空になるまで抱いたら、恋人は一体どうなってしまうのだろう。  段十三は如淵の身体を寝台へ下ろし、これから繰り広げるであろう"酷いこと"の埋め合わせのように、優しい口付けを贈った。  すっかり骨抜きにされてしまった如淵もこれに鈍く応え、二人は束の間の休息を接吻で埋めた。  表では演奏が終わり、次の歌劇が始まろうとしていた。  ようやく正気を取り戻した如淵が、口を開く。 「は───っ………はぁ……。き……気持ち良かった………怖いくらい。段兄、なんだか私、さっきの……癖になりそ…………」 「……………」 「………? 段兄………?」 「さっき、声抑えていただろう」 「へ? いや……そんなことは……」 「……もう一回ちゃんと聞きたい」 「え゛ッ!?♡ あ゛ッ♡♡ うそっ、駄目、イったばかりで……… 」  了承を待たずに、催促が始まる。未だ甘く痺れている柔らかな部分を、熱した一物がじゅぷじゅぷと水音を立てて刺激する。 「〜〜〜〜〜〜ッッッ゛ッ゛ッ゛♡♡♡ お゛ッ……♡♡♡゛」  朦朧と欠けていく意識の中で、如淵は普段の段十三を思い浮かべた。  ───落ち着いた声色。自分を撫でる時の優しい手付き。たまに見せる笑顔。隣にいる時の……安心感。  今はそれら全てがどこかへ行ってしまっている。普段とはまるで異なる彼の激しい一面を胎の奥で感じて、興奮しないわけがない。きっと彼からも、自分は普段からは想像も付かないような姿に見えていることだろう。  如淵は彼の求めに応じて、誰にも聞かせたことのない声を、一晩中上げ続けた。 ------------------------ 「…………」 「す、すまん。やり過ぎた………」 「い゛い゛よ゛………私゛が、望゛ん゛だ、こ゛と゛だし゛」 「…………」 「…………え゛っっほッッ、……仕゛事゛な゛くて本゛当゛よ゛かっ゛だ」 「すまん…………」  恋人の枯れ切った喉声を聴くのが居た堪れず、段十三は薬湯を買いに出かけようとした。服を着て、立ち上がろうとしたその背中に、如淵は後ろから抱きつく。 「………すぐ戻るから、まだ寝ていろ」 「ふふ………」  優しい彼の背中に、如淵は指で文字を描く。 『これからの生活が、楽しみだ』。  段十三は訪れた薬屋で、薬湯の材料の他に、こっそりと精力剤を購入した。それが自分の師匠が作ったものだとは知らずに。  如淵はその後、美形の侠客を侍らせた講談師として不本意な注目を集め人気を得たが、講談の評判は悪くなかったという。  生活に不自由をしなくなってからの彼は、時折旅に出ては様々な人に触れ、市井の人々の暮らしを素朴な語りで表現し続けた。  酒に酔うと何故か村を焼く物語を語ることがあったが、それを知るのは侠客の恋人、ただ一人であった。

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