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本を重ねても知れぬこと 三

「さてスイ。先程の衛士の方のほか、此処に来て友人は何人か増えたのかな」  クノギを招いたときと同じように己は寝台に腰掛けて兄と向かい合い、使用人が慌てて用意した茶を片手に。  完全に弟扱い――というか子供扱いな話題は、世間話のようで本題だとスイには察しがついた。今回は特に時間が無いのもあるが元々会話の無駄を好まない兄で、口振りもまた教本の問題について訊ねるかの調子だったのだ。  どうも本当に、あの子は上手くやれているかしらと家族に心配されているらしいなと、スイは盛大な溜息を吐きそうなところを押し込めた。そして頭の中でこの城に配属されてから交流のある人の顔を思い出し、線引きする。 「……し……五人、ほど」 「たとえば?」  誘われて茶を飲んだ程度は含めない。精々三人以下で会わないような人は含めない。仕事以外で部屋に入れようと思わない人は含めない。そのうち酒でも、と言ってなかなか機会のない人は――含めてもいいだろうか。そのうち、と言っても相手も忙しいのだ。仕方がない。  なんて数秒のうちに考えて絞り出した答えにはやはり問題の解き方を確認するように追加で首が傾げられて、スイは少しだけ躊躇した。兄の目が辺りに滑り、自身が座っている意外にはすぐ出る椅子がないのを確かめている。茶を置いたテーブルも然程大きくはない。 「此処の使用人のカナイとか……」  ヨカが連れてきた従者と茶を飲んでいる炊事場を壁越しに指差して言うと、逆に兄のほうが困惑する眼差しを向けた。 「……茶を淹れて共に飲むくらいは使用人の仕事のうちだぞ?」 「仕事でほとんど共に居るのであまり他の遊びまでは付き合わせては悪いと思ってそんなに誘えてないですが! ちゃんと友人でもありますから!」 「本当かね」 「大体友というのもあり方は多様なものでしょう。茶の時間を共有するだけの間柄の友人がいてもおかしくない。こんな年になってまで付き合い方を言われる筋はありません」  そこまで言われてはと途端勢いづいて饒舌になったスイの言葉はむしろ言い訳じみてもいたが。クノギの受け売り的なことも口をついて胸を張れば、確かにそれも道理ではあるとヨカは頷いた。 「まあ四、五人もいれば及第か。よしとしよう。昔は片手ほど居なかったからな」  そもそも幼少のスイに友人がほぼ居なかった原因の半分ほどは兄たちが甘やかし構いすぎていたからなのだが。今の話題に至るまでこの程度の干渉は当然と思っている兄は省みなかった。  スイは安堵と不満に、今度こそ堪えきれなかった溜息を吐く。 「第一、親しい人など一握りいれば十分でしょうに」 「交友関係は広く持ってほしいという話だよ。折角城仕えなのだから……」 「食べやすい菓子がありましたのでよろしければどうぞ」  うっかりぼやいた声に再び繰り出されたヨカの小言が途絶えたのは、先程スイが指差した向こうから頭を下げながら件の使用人が現れた為だった。  あまり時間が無いから茶だけでよいとスイは言ったのだが――来客用の薄手の小皿に柑橘の皮を漬けた砂糖菓子を置いて、使用人カナイは一度スイへと顔を向けた。口元に手を添えて、距離こそあったが内緒話の雰囲気で笑う。 「今度是非一緒に飲みましょうねえ。俺は大歓迎ですよ」  場に合わせた世辞を言いにきたようでもあったが。聞き耳を立てて失礼と詫びて踵を返していく彼の顔が嬉しそうににこにことしていたのでヨカは大人しく小言も引っ込めた。出してもらった甘い菓子を口に入れ、少し間を置く。  次に晩酌がしたくなったときこそきっとカナイを誘ってみようと決意を硬くしたスイはこれで兄が、さて城に戻ろうか、と言うのを期待していたが。なんとなくそうはならないこともやはり感じとっていた。合わせて茶を飲み、兄の言葉を待つ。 「父さんとアガツがね、お前に見合いをさせようかと言っていた」  ではもう一つ、と単刀直入に本題を切り出す兄のその様自体にはさして驚かず、スイは瞬いてまた少々考えた。  名が出たのはもう一人の兄だ。家を継ぐ――老いた父の代わり、もうほとんど当主のような長兄。目の前の兄よりわずかだけ厳しい、宮廷教師のその顔を思い浮かべながら首を傾げる。 「……交友関係以上の繋がりを持ちたい家でも?」  スイは今の今までは、自分に見合いの話など来ないと思っていた。元より婚姻を重視する家ではないし、後継ぎと言うのならば名が出た兄も今目の前に居る兄も二人とも既婚で子供がいる。叔父の一人は結婚せずに学に没頭しているはずで、同じく独り身のまま学業に専念する三男坊が居たところで、小言すらないとばかり思っていたのだ。  それでも見合いをと言うのなら何かそういう話かと聞き返すスイに、ヨカはふと小さく溜息を吐いた。 「お前でなし、今更人脈を作る為に結婚するような家じゃない。が……二人ともお前にいい人ができればと案じているだけだ。お前はどうも危なっかしいから、傍で見てくれる人がいたほうがいいだろうとな」  聞くほどに、スイの瞼が下がった。  未婚を気にする家ではなかったが――スイはとても可愛がられた一族の末っ子だった。まさか甥姪が生まれて一人で書庫を任されるようになってなお会話の上だけではない子供扱いをされるとは、スイも予想していなかったが。  地方で一人の、友人も少ない三男が心配だから結婚などどうか、とそういう話だ。話は切り替わったようで、大体似た向きであったらしい。 「妻に母役を求めるのは失礼では?」 「その為の見合いだよ。相手もこちらを見る。それで相性と、損得を見る」  低く唸るような問いかけにも、ヨカは動じず父と兄の考えを説いて茶を啜った。彼もまた弟をあんじて、見合いに反対ではないらしい。こうして伝えて様子を見る程度には弟に寄った中立であるようだが。  スイは寝台に寝転がってしまいたいのを兄が居るのと正装を着崩したくないのとでぎりぎり堪えて、ただ少しだけ姿勢を崩して天井を仰いだ。結婚がどうしても嫌というわけではないが、まずそんな見合いは御免だった。 「スイ。交際している女性はいるのか?」  どうにかして躱していかねばと考え始めたスイに、ヨカはまた間合いなど探ることなくまっすぐに問うた。 「いませんけど……」 「別に、見合いをしなきゃいけないわけじゃあない。まだ何も決めていないからな。お前のほうから誰かを紹介しに来れば――妙な相手でなければ父さんも反対はしないだろう。好いたひとがいるならば、もう少し待つようにそれとなく伝えておく」  返答をほとんど待たず、そうだろうと頷いて続ける。言われたとおり、まだ決定事項ではないのは幸いだと思い直して、スイは姿勢を正した。  妙な相手、といえばたとえば不倫や年の大層離れている者やら身分の怪しい者やら、だろう。  ――男はどうだろうな、と考えた自分に数秒遅れで気がついて、スイははっとした。  冗談で考えたわけではなかった。具体的に思い浮かべた顔があった。動揺を抑えて、既にほぼ空の茶杯を傾ける。 「……そもそも一人でも大丈夫ですよ。もう家を出て四年も経つのですから。……とりあえず見合いはなるべく先延ばしにしておいてください」 「善処する。――さ。もう少し時間があるだろう、お前の書庫を案内してくれ。是非見たい」  どうにか真っ当な返答はやり遂げて。やはり来た、今度は兄に加えて同業者目線の面倒な申し出にはろくに言い返せないまま、スイは立ち上がった。  その夜。会食の席では兄絡みの話題を振られ城主にも構われ、揉みくちゃにされた気分で書庫に戻ったスイだったが、着替えた後もすぐには休まず、詩会の為の本を準備するべく書架を行き来した。話に上がった本の他、参考になりそうな物や名詩の写しを入り口に近い手近な本棚へと移す。ついでに軽く目を通して、やはり請われた詩会の挨拶に使う詩を探す。  交際、好いた人、恋愛。詩を探す傍ら、スイは日中の会話を反芻した。  スイは完全に色恋に興味がなかったというわけではないが。書物や周囲のあれこれや、見聞きしてなんとなく分かった気にはなっているものの、いわゆる恋愛経験はない。兄弟とばかり遊んでいたら惚れるような女子も近くにはおらず、青春時代は勉学やなにやらに集中していたら終わってしまったし、その後も特にそういうことはなかった。  だから改めてこうしたことについてを考えるのもまた常の勉学――やら何やらのように、まずは先人の知に頼ってしまう。秋頃の詩を見る合間に恋詩のところも読んでは考えて、この手の話は大抵「言葉では尽くせない、分からない」と結ばれるものだよなあと再確認して肩を竦める。  ――分からないのなら調べて探ってまた試してみるしかない。とりあえず、今は仕事が先だ。  十冊と少しを運んで最後の一冊、スイはえいやとページを開きなおした。恋などの答えは勿論記されてはいなかったが、そこには丁度、この頃の時期の古い詩が記されていた。 「世は待たず童のごと駆けて、祭壇の火の影もなく。杖つく足の()は一人。されど涼し風は皆々を追い越し雲を流す。梢の音高く彩り深し。急く人の背を眺めるも楽しと習う」  世間の流れは早く祭も終わってしまった。独り身の私は特に取り残されたような心地でいたが、やはり季節は平等にやってきていて、後ろから見る景色も悪くないものだと教えてくれる。  四十を越え未だ容色衰えることなき華の女城主が朗々と読み上げた詩が、先日友を見合いをと唆した書庫番の意趣返しであると、ヨカはすぐに気がついた。ちらと見遣った弟は下座で涼しげに表情を繕い、主が自分と話したとおりに詩の内容を説き、此度の詩会も祭の後の寂しさを拭うものとなるようにと笑むのを聞いていた。 「なんて年寄りめいた詩を出すものか」 「私も、兄に思われているよりは年なのです」  王妹殿下も常にご機嫌で上々の盛り上がりとなった詩会が終った後、席へと近づいてきた兄に小さく言われたスイはまた得意気に笑って言い返し、子供の頃のように身を寄せてさらに声を潜めた。 「ところで参考に聞きたいのですけれど――義姉さんと結婚した理由はなんですか? 好いていると気づいたのはどんなときです?」  次兄夫婦は見合いではなく恋愛の末に結ばれている。その上今も仲がよいのだ。言葉どおり、参考になるだろうと無邪気に問いかけたスイは、久々に会った兄の眉間に皺を見ることになった。 「そんなこと人に聞くものではないよ」  物凄く渋くなる声も答えの一端ではあるのだが。ともかくヨカは恥じらって、それ以上の言葉を紡がなかった。  やはり本を探すか――それでなければ実際確かめてみるしかないのか、とスイが妙なことを考えているのは、弟をよく知り敏い彼でさえ気がつかなかった。

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