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言えない一つ聞けない一つ 二

 翌日の夜、仕事を終えたスイは夕方の早めの時間から街に出て、以前クノギと食事をした界隈をうろついていた。外出用の格好は相変わらず着崩さずきちりとしてお坊ちゃん然としているが、今日も従者の類はつけなかった。  目的は買い物ではなく――別にうろつくつもりもなく明確な目的に向かって動くつもりでいたのだが、途中であることに気がついてふらふらと歩きまわることになったのだ。少々困って疲れて、休憩がてらに果実酒を買い求め立ち食いのテーブルで瓶を傾ける。  酒飲みやら客引きやら、増えてきた人の賑わいに青い目を流しながらスイは心の中で独りごちた。  ――男を探すのって難しいな?  女は娼館にでも行けば相手をしてくれる人がいるし、今も客を釣りあげる為に立ち歩きする姿が何人か見えるが。男の相手とはどこに行けば見つかるものか?  女と同じく専用の場所でもあるものだろうか。だがそれを誰かに訊ねるわけにはいかない。男と男が並んで歩いていくのを見るともしやと思うが、そうだったとしても二人でいるところに声はかけられないだろう。どの場合もやはり、声をかける勇気自体湧かなかったが。  自分は男を恋愛対象として見ているのか、を確かめるべく、要は誰か自分の相手をしてくれる――先人たる男を探すべく街に出てきたスイだったが、そのことばかりに気をとられていて、この方法の単純な難点に思い至るのは到着してからだった。  此処ガウシにも男を相手にする男娼はいるし、商売にしていなくてもそうした嗜好の相手を探す為の場は密かに存在するのだが、そもそも花街の事情に疎いスイにはそこまでの情報は入ってこない。  葡萄酒とザクロ酒を混ぜた軽い酒をちびりとやって、香りとさっぱりした心地を味わって、また一人二人と同性の姿を目で追いかけ。  まあ今日は初日だから不首尾に終わっても仕方がない、今度はもっといかがわしい……張り形など購入した店のあるほうに行ってみるか。あそこなら訊けるかも知れない。それこそ文官仲間など城の知り合いと擦れ違っても気まずいのであの辺りはあまり長居したくないのだが、こうなっては致し方ない。  などと思考を弄してまた酒瓶を傾ける。小腹も空いてきたのでやっぱり何か食べ物も買おうか、と屋台も眺めたとき、ふわとよい香りがした。 「お兄さん、隣いいですか」  香りは手にしていた酒でも、屋台の食べ物のものでもなかった。香水をつけた髪や肌の匂い。スイの視界端に入り込んできた艶やかな黒髪の美青年が、笑顔と共に淡く振り撒いたものだ。  問う声は軽く涼しげ。己より高くから降ってきたその声にスイの反応は一間遅れた。 「え、ああ、どうぞ」  それなりの賑わいだ。相席は多少の違和感があるが、咄嗟に答えてしまってからでは断りづらい。盗み目的か何かかも、と財布を気にしつつ、一歩横にずれてもう一度隣に来た男を見る。  年はスイと同じかもしくはもっと若い、長身の部類、高く結いあげただけの髪と襟元を広めに開けたシャツ、羽織って前を開ける藤色の上着はよく見れば女物。遊び人風の印象だが男臭いのではなく、むしろ中性的な美貌の優男だ。体も均整がとれている。誰もが美男だと言うだろう。分析するとそうなるが、つまり人目を引く綺麗な人物だった。 「お兄さんもしかして誰か探してます?」  男は手にした杯を揺らしながら問うた。はっとして上がるスイの目が、ぱちりとつり目がちな目と合う。  酒杯は既に空だった。スイに話しかける為に寄ってきたのだ。 「その人って、男? 誰かってわけじゃないなら、僕はどうです。今日暇してたんです」  彼は笑んだまま、流れるような調子で続けた。小さい声は周囲に配慮したものに違いない。 「口説き……客引き……になるのか?」  スイは逆にやや硬い表情で聞き返すが、気後れなくはっきりと男娼は頷いた。 「一応そうです。宿じゃなくても、どこか飲み直しに行くだけでも歓迎ですよ」  首を傾げると黒髪がさらりと流れて、また柔らかく香りが漂ってくる。それがなんとも品よくよい薫りで、娼婦たちが客引きするのと大差ない文句にも少し安心して、スイは頷き返して酒を飲んだ。 「お兄さん、野郎ばっかり目で追ってたから、そうかなって」 「そんなに分かりやすかっただろうか……」 「いやまあ僕もこういう仕事なので、そこは目利きと言いますか」  ニビと名乗ったガウシ一の男娼はからからと笑いながら、スイに歓楽街を案内するように、半歩先を軽快に歩いた。  本当に役者か歌手のように美しい男だなあと、急な目的達成に半ば現実感のなくなったスイは素直に歩いてついていく。  ニビが見抜いたとおり男を探して、しかし見つからないどころか見つけ方も考えていなかったことに気がついて今日は帰ろうかと思っていた、とまで白状したスイに笑い。彼は道中、あの辺りがそういう連中の溜まり場で、そういう酒場がある、そこの路地も割とそうだがちょっと危ない、この通りをずっと奥に行くと小さな茶屋があってそこの店主も体を売ってくれる、などと教示した。  スイがおおよそ安心できたのはその気さくさもあるが、人目が気になるのでいっそそのまま宿がよいと申し出たところ、ならばとニビが指定した場所が、スイでさえも知っている町で一番中心側にある大きな連れ込み宿だったからだ。店とつるんで法外な金銭を要求されることはなさそうだと踏んだ。後の心配はこの男娼自体がどうか、という点であるが――そこは虎穴に入らずんばと多少の覚悟を決めた。  商売なので宿に入るなら金は出してくれと軽く促され、スイは暗がりになっている受付で老婆に前金で払って灯りと部屋の鍵を受け取った。番号を確かめ二階の部屋へと向かうのもニビは迷いなく慣れた調子で、スイはやはりついていく格好になる。  一般的な宿屋よりやや入り組んだ作りで通路の灯りは少なく薄暗い。扉を開けた先の部屋もあまり広くなく一人が寝起きする程度の個室のようだが、灯りを掲げて見えた寝台だけはそれなりに大きかった。薄い布団の上には枕が二つ。そういう宿ながらのあからさまとも言える見目に、スイは思わずおおと声を零した。  壁には外套を掛ける為の木釘が並んで、大きな陶製の油瓶とちり紙を載せた申し訳程度のテーブルに、椅子が一つ。明るくなった部屋でさてと上着を脱いで壁に引っ掛けたニビは、先んじて寝台に座り隣を叩いてスイを呼んだ。 「お兄さんはどっちの人?」  おずおずと上着も脱がず座ったところで改めての問いかけに、スイは首を傾げた。ニビは少し考えてから指を二本立てて見せる。 「抱くほう、か、抱かれるほう」  どうにも不慣れな相手に言葉を選び指を揺らして二択を示す。  そこでスイはまた自分の不測に思い至った。男女ならばそこは大体当たり前に決まってしまうが、男同士では確認が必要なものなのだと。 「僕はどっちもできますよ。抱くほうが多いけど。需要の問題かな」 「抱かれるほう、です」 「希望? いや、経験はあるんですかね。それとも自分でしてた感じですか」  勉強になるなあなどと場違いな感想も抱きつつ応じたスイに、ニビは頷いて推測交じりに質問を重ねる。これも仕事柄の目利きか、当ててくるのにスイは驚き感心した。  娼館の女たちも話が上手くて頭の回転が速いというが、目の前の男も確かにその手合いだ。美貌だけではなく、けっこう人気がある、という自称も納得がいくところだった。 「自分でもするし、抱かれたこともあるけど、ええと――一人だけ」  会ったばかりの人とそんな話をする状況だけで、体と意識が熱を帯びてくるが。その割に緊張は解れてきた感じもする。 「恋人ではない?」 「友人だよ。ちょっと……色々あってそういうことはしているけど、友人のまま」  色々、の部分はさすがに恥ずかしくて伝えられなかったが、ニビとしては問題がなかった。そういうこともあるとそこは流して、核心に迫る。 「それで他の男も試してみたくなった? かな?」  ニビの手が伸びてスイの腿の上に置かれる。少し解れていたスイの体がまた緊張して硬くなった。  手はやんわりと摩るように撫で、少しずつずれて腰のあたりをくすぐり――体を硬くする以外は抵抗がないと見て足の付け根へと指が滑る。  隣り合う身が寄せられて肩が触れ合う。髪につけられた香水の匂いがよく分かる。顔が近く、吐息が耳に触れてスイは肩を竦めた。  どきどきして動く手から目が離せない。体躯に似合いのすらりと長い指。爪まで整った綺麗な手。同じ男でも自分とも、クノギとも違う。 「どうしましょう、キスとかする?」 「……え、いや」  小さな問いかけは耳元で、それまでより甘く柔らかく響いたが。  ――そんなことはクノギともしたことがないし。  考えた途端、スイの心に躊躇が生まれた。嫌悪は無いがいけないと思う。気づけば見下ろしていた手を掴んで止めていた。 「……やる気なくなっちゃいました?」  香りと声が離れる。スイが見遣れば先程と同じ距離を置いて、手だけはスイに押さえられた場所でそのままにして、ニビが首を傾げていた。 「申し訳ない、何か、やめておいたほうがいいと思って」  一瞬後に自分がしたことを理解したスイは、怒られても仕方がないと思いながら謝罪の声を走らせたが。  男娼はまったく不満を見せず、にっこりと笑んだ。スイの手の下から己の手を引き抜いて、改めてスイの側へと、足を組んで向かい合うようにして座り直す。  距離を取りなおすその動作にスイはほっとした。そんな自分に、欲していたのはあくまで話を聞いて相談に乗ってくれる程度の相手で、抱いてくれる相手ではなかったのだと思い知る。誰か別の同性にそれらしく扱われてみれば男が好きか分かると思ったが、そういうことでもないなというのももう、なんとなく感じとれた。  第一、先も思ったとおり、ニビとクノギはまったく違うのだ。男という共通点だけで括ってもどうしようもないほどに。 「いいんです初めてだとよくあることだし。直感は大事だし。ただ先にはっきりさせておいたほうがいいかなって思って手を出したっていうか」  ニビの言葉はやはり、さらさらと流れるようだった。実際男娼として長い彼はこんなことも慣れっこで、傷ついたり憤慨したりは欠片もない。 「別に僕は宿代さえもらえればいいので、ね。折角だしもうちょっと話でもしましょうか? 話し相手、雑談人生相談も仕事のうちです。多いですよ、お喋りして終わるだけってのも」  むしろそういう客でもいたほうが体力を使いたくないときは気楽だとも思っていた。これきりでも、次の機会があるにしても、こう振る舞ったほうが損が無いと知っていた。 「申し訳ない……他の人をと思ったのは確かなんだけど、他が欲しいというより友人との比較対象が欲しかっただけというか……男とそういうことができるのか、失礼ながら試したかったというか……」  自らの浅慮を羞じて謝罪を繰り返し頭を下げたスイは、俯いたままで言葉を探した。  欲を満たす為に他に相手をと思ったのではない。確かめたかったのだと。 「自分は男が好きなのかどうか分からなくて」 「それもまたよくあることですねえ、どうしても。キモチイイこと知っちゃうと体のほうが先行っちゃうし。特に抱かれる側はねえ」 「そう、それ。でも案外誰でもいいってわけじゃなかったんだって今……いや申し訳ない」  うんうんあるある、と大変な実感を伴ったニビの言葉にスイはつい勢いづいて顔を上げたが。続いた物言いでは相手が不足だと言うようになったともう一度謝罪がついた。  そうして途切れ途切れになってしまう会話にニビは少し考え、ぴっと壁を指差した。  指の先には薄汚れた貼り紙がある。飲み物や身繕いする品を用意しているという旨の、部屋に備え付けの簡素な品書きだ。 「まず、酒でも飲みません? 詫びをと思うならお兄さんの奢りで」

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