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第7話 アンノウン

     少し歩いた先の河川敷。広く景色を見渡せるこの場所で、俺と(かなで)はさっき買ったケバブを朝食と昼食を兼ねて食べることにした。時折散歩している人達とすれ違う。コンクリートで造られたブロックのような法面に座り、少し冷めたケバブを取り出した。   「んー、うまそう。はい、兄ちゃんの分」 「ん」    自分の分を受け取って口へと運ぶ。奏はそれが珍しいのか、口の周りを汚しながらもしゃもしゃと口にした。   「うん! なかなか。もう一個買えばよかったかなー」 「俺の食べるか?」 「え? ううん。兄ちゃん食べなよ。また帰りになんか買おーっと」    そう言って次々に紙を剥ぎながらペロリと食べ上げた。   「あー飲み物買っとけばよかったー。これ結構喉渇くね」 「ほら。飲んでいいよ」    ポケットに入れていた小さめのペットボトルの水を奏に渡すと、兄ちゃん用意いいー! と言われた。   「俺これ食べたことあるから」 「そうなんだ。兄ちゃんも露店の食べ物とか買うんだね」 「買うよ、そりゃ」 「ふふ」    ぐび、と奏がそれを口にする。横目で見ているとまだ少年のような、あの頃と変わっていないような、幼い面影が残っていた気がした。   「……ほら、ハンカチ。口汚れてる」 「あ、ホント? ありがと。……あ……汚れちゃった」 「いいよ別に」    汚れた面を内側にしてまたポケットに突っ込んだ。   「あー天気いいねー。ごろんってなって昼寝したいな」    俺は、食べ終わった紙のゴミを二人分袋に入れ、奏の飲み残した水を飲み終えて言った。   「奏」 「ん?」 「いつから知ってた? 俺達が本当の兄弟じゃないってこと」 「ああ、随分前から知ってるよ。ホントの兄弟でセックスするわけないしね」 「……それもそうか」 「ふふ。今度は、俺からの質問」    奏が隣にいる俺の目をじっと覗き込んだ。   「なんで俺を置いてったの? ずっと聞きたかったんだよね」 「……そんなつもりじゃない。俺は元々日本に来たかったし、ボスに行くように言われただけだ」 「ふうん。俺を連れて行こうとか思わなかったんだ?」 「……うん。俺の仕事は、普通じゃないし」 「俺が寂しがるとか悲しがるとか思わなかった?」 「それは……ごめん。ボスに任せっきりだった。いつも元気にしてるって言われて安心してた」 「そう。兄ちゃんにとって俺ってそんなもんなんだ。ふーん」    奏は俺を責めたいのだろう。さっきから口調にどことなく棘がある。   「……奏」    俺から視線を外し、奏がまた前を向いて言った。   「俺さ。兄ちゃんがいなくなった後日本に来ようと思ってたんだ。追いかけようって。俺を一人にしやがって、ってさ」 「……」 「そしたらさ、どうなったと思う?」 「……さあ。ボスに止められた、とか?」 「ふふ。俺さぁ、戸籍がなかったんだよね。パスポート作ろうと思って役所に行ったら存在してないわけ。俺が」 「……」    戸籍。孤児だった俺達の戸籍。   「俺びっくりして。もちろん兄ちゃんのも調べたよ。兄ちゃんは戸籍あったけどね。その後ボスに問い詰めたんだ。どうなってんのって。俺達兄弟なのになんで俺だけなんでそんなんなってんのって」 「……」    冬の木枯らしが、俺の頬を、ざり、と撫でていった。   「その時俺と兄ちゃんが本当の兄弟じゃないって知った。だから俺を置いていっても平気だったんだって」 「平気だったわけじゃ……」    俺だって奏が心配だったはずだ。   「俺はめちゃくちゃ本気だったのにさ」 「……」 「まあまあ傷ついたよ、俺。いきなり置いてかれて、しかも本当の兄弟じゃないなんて。ちょっと荒れたりしたもんね。ボスに意味なく喚いたりしてさ。でもボスは俺に一回も怒ったことなかった」  ボスも奏を甘やかしてきたのだろう。   「兄ちゃん俺と初めて会った時のこと覚えてる?」 「……うん」    その時のことを今もよく覚えてる。   「ふふ。嬉しい。俺も、覚えてる。こんなに優しい人いるんだって衝撃だったもんね、俺。それから兄ちゃんのことすごく好きになった。本当の兄弟だと思ってたし。でもさ。ボスに連れられてワケわかんないとこ来て、いきなり目の前の男の弟になれって……今考えたら相当酷だと思わない?」 「……思うよ」    だから、精一杯お前のためにしてきた。   「子どもだからって思ってたんだろうね、ボスは」 「……どういう意味」 「俺、ボスの秘密いくつか知ってる。それをエサにして無理矢理ここまで来たんだ。それまで兄ちゃんに会いたいって何度言っても聞いてくれなかった。電話さえさせてもらえなかったんだよ? 恨んだよ、ボスを」 「秘密……」 「兄ちゃんには教えないけどね。俺を置いてった罰」 「……」 「兄ちゃんってなんでもボスの言うこと聞くんでしょ」 「さぁ……」 「ふふっ。弟よりボスを取ったくせに。しらばっくれなくてもいいよ、もう」 「……奏」 「でも今回は俺の言うことを全て聞いてもらう。それがボスと約束したことだから」    奏が微笑んで俺を見た。同時に柔らかい日差しが彼を包んでキラキラとして見えた。   「好きだよ、兄ちゃん」    それは、死刑宣告をされたような、それでいて純情の中のとびっきりの告白をされたかのような、不思議な言葉だった。    その後の俺は、きっとぼんやり上の空で奏の話を聞いてもいなかっただろう。ねえ。と強めに言われてハッとする。訝しげな奏の顔が俺にこんなに近付いていた。奏に、兄ちゃんってぼーっとしながら寝られるの? と揶揄された。   「ほらこれ。婚約者だった人」 「……」    奏と二人で携帯の写真に映っている。この背丈だと俺と同じ程の身長だろうか。その長身は白衣に身を包ませ、にこやかに笑っていた。   「これ……大学?」 「あ、そうそう。大学! 俺ちゃんと卒業したんだよ? 何年かダブっちゃったけどさ」 「そうか……良く頑張ったな」 「……うん。この人がいたから大学行ってたようなもんだけどね。俺より何個か年上でさ。社会人になってから大学に来てた。アレンっていうんだ」 「へぇ……」    どことなくハーフのような顔立ちだ。奏が画面を何度か捲り、別の写真も見せてくれた。二人でドライブをしている写真。植物園に行っている写真。画面の中の奏はどれも穏やかな顔をしていて、俺に見せていた表情とは少し違っていた。例えるなら、年相応というのだろうか。   「楽しそうにしてる。奏」 「……少しは妬ける?」 「……うん。結構」    既に故人だと聞かされているのに、俺はとんだ馬鹿だ。   「ははっ。じゃあよかった」 「なにが?」 「俺、空港で会ったら一回殴ってやろうって決めてたんだ。ケンカなんかしたことないけど。……でも、実際会ったら、目の前に兄ちゃんがいるって思ったら、できなかった。嬉しい方が先にきちゃって」 「……奏」 「俺がどれだけ孤独だったか兄ちゃんは知らない。俺がすごく寂しかったのも、ずっと会いたかったことも……」 「……」 「なんで何も反論しないの?」    その時、俺も同じ気持ちだったと伝えたかった。でもうまく言葉にすることがこんなにも難しい。言ったところで何も行動せずに今まで過ごしてきた事実は変わらない。それに、奏ではなくボスを優先していたことも事実だった。今更お前を夢に見るほど心配だったと言って信じてもらえるわけもないだろう。   「俺だけ、好きだったんだね」 「……違うよ、奏。俺は最初から血が繋がってない兄弟だと知っていたけど、お前を手放す気はなかった。信じてもらえないかもしれないけど、今言ったお前と同じ気持ちだよ。ずっとね」 「……ふふ。その言葉は信じる。ボスが言ってた。創があんなに尽くしてるのを初めて見たって」 「……」 「ボスが連れてきた子どものお世話係だったんだろ? 兄ちゃん」 「奏……どこまで知ってるんだ?」 「教えてあげない。あ、いじわるじゃなくてさ。それもボスとの約束だから。兄ちゃんに嫌われたくないんだろうね、ボス」 「全部知ってると仮定するけど……俺からボスにのはお前だけだ」 「そうなんだ。嬉しいよ。でも兄ちゃんはあの頃の俺を救えない。それが、全て」 「……お前を手伝って、罪滅ぼしをすれば許してくれるってことか?」 「んー……どうだろう。そうなってみないとわかんないや。今はその気持ちじゃないかな」 「……」    俺は、ふぅ、とため息をついた。なにを言っても奏には届かないだろう。俺に裏切られたと信じて疑っていない。俺にも事情があることすらお構いなしだ。   「とにかく、俺の言うことを聞いて。かわいい弟の、頼み」    ね? と目の前の小悪魔が囁いた。好きと依存が共存しているような考えの奏に、なにを言っても伝わらないだろうなという諦めのため息だった。         「向こうではこうやって一緒に風呂に入るなんてできなかったから、新鮮」 「……狭かったからな」    奏はまた俺を下にして湯船に浸かった。   「んー足を伸ばして入れるっていいなぁ。そういえばここ家賃いくら?」 「……いくらだろ。知らない」 「ボス?」 「うん……」    俺も茜も、ボスに用意してもらった家。向こうにいた時よりは格段に広くなったけど、俺一人では掃除が大変なぐらいこの広い家を持て余していた。   「兄ちゃんってなんにも疑問に思わないの?」 「……思うこともあるよ」 「でもボスにゾッコンなんだ?」 「奏……言い方良くないな」 「はは。ボスのことになると怒っちゃうんだな、兄ちゃん」 「……」    ちゃぽ。と風呂の水面が揺らぐ。奏が肩を引いて俺に顔を寄せて、その唇を合わせた。   「ふふ。怒ってる兄ちゃんもかっこよくて好き」  あの綺麗な瞳が俺を映した。少し大人びた奏。俺はどんな顔をしていただろうか。   「……奏。俺はボスに感謝してるだけだ。俺達の親だと思ってる」 「親……。……ぷっ。あははっ!」    目を丸くしたと思ったらいきなり吹き出して笑った。なにか変なことを言っただろうか。全然わからない。奏はしばらくクツクツ笑ってクルリと全身を返して俺に言った。   「兄ちゃんは、そう思ってればいいよ。でも俺にそれを押し付けないでね」 「……」    どうやらボスは奏に相当な弱みを握られているようだ。それを教えてはくれないけど。そして、奏は俺と同じ気持ちでボスを見ていない。それだけはわかった。   「兄ちゃん……俺兄ちゃんとするのすごく好き。身も心もって言葉、一番合ってる」 「……んっ」    ぐちゅりとその舌が俺の口内を舐め回した。次いで、スル……と俺の中心に手が伸びてきて、妖艶な瞳で俺を誘った。    「今日も、しよ」    俺に拒否権は与えられなかった。断って真っ当な関係に戻ることもできただろうに。俺の知っている奏とは随分剥離しているけど、彼は俺にとってはいつまでも魅力的な人間に違いなく、誘われることは一種の満足感を俺にもたらしてくれた。          奏が俺の家に居着いてから、恋人とするようなものを一通り揃えた。でも奏はそんなの無くていい、と一蹴した。特にスキンをつけるのを嫌がった。   「……いつもつけないでしてたのか?」 「つけない方が気持ちいいじゃん。お互い」 「……大学卒業するより性教育の方が大事だったみたいだな」 「はは。それは兄ちゃんの基準だろ? 誰とでもするから」 「……」 「不特定多数とするなら、絶対してた方がいいもんね」    ふぅ、ともう何度目かわからないため息が漏れる。   「俺、兄ちゃんとアレンとしかしたことないよ」 「……」 「兄ちゃんはそうじゃないだろ? 俺に言えないぐらいだろ?」 「……」 「ほら」    まるで浮気を問いただされる彼氏のようだ。でもこの質問には何も答えないほうがいい。   「俺には兄ちゃんだけなんだって。だから、いいの」 「……そう」 「あっ、もしかして兄ちゃんは相手いるとか?」    そういえば聞いてなかった! と驚きながら奏が言った。   「いや、いないよ」 「あそ。良かったー」  まるで大した問題ではないことのように奏が言った。確かに俺は今特定の相手がいるわけじゃないけど、これじゃあまるで……。   「なにしてんの? 早く脱いでよ」 「うん……」    奏に急かされ、ベッドの上でお互い自分の身につけている服を脱ぎ合った。ギ、とベッドがしなって奏が俺に近付く。それに触れたくて彼の首からうなじまでをそっと手で覆うと、少し湿った奏の肌を感じた。風呂上がりのすべすべとした肌。奏の魅力のひとつひとつが、こんなにも俺を引き寄せていった。      

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