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第10話 期待値

「兄ちゃん……起きてる?」    またかって怒られるだろうな。   「……ほら。おいで。寒いだろ」 「えっ、うん」    リビングからの冷気を遮断するように、古びたドアをバタン! と閉めた。   「そんな強く閉めるなよ。下に響くから」 「ごっ、ごめん」 「はやくおいで。眠れなかったからちょうどよかった。話でもしながら寝る?」 「うんっ」    まさか怒られないなんて。しかも兄ちゃんが俺を待っていてくれたような気がして、嬉しくなった。   「また怖いの見た?」 「あ、うん。そう……」    とびっきりのやつを見てしまった。それに追いつかれる前にゴソゴソと兄ちゃんの懐に潜る。そこはふんわり温かくて、毎日この場所で寝られたらなぁと兄ちゃんに言ったこともあった。この場所が、好き。   「何話す?」 「え、っと……なんか、明るい話がいい。面白い話とか」 「うーん……なにかあるかな」    うーん、うーん、と兄ちゃんが考え込んだ。怒られなくて、追い出されなくて、兄ちゃんの機嫌がいい日なのかな、と思った。   「……兄ちゃんの話聞かせて」 「俺の? 俺の話かぁ」    また、うーん……と嬉しそうに困った。   「あー……俺って何も引き出しないな」 「……兄ちゃんって昼間何してるの?」    俺のかなり前からの疑問。   「昼間? エンジニアになるための訓練してるよ」 「それは知ってるけど……それって、どういうことするの?」 「それは企業秘密って言って教えられないんだ。奏にも、もちろんボスにも。言ったら就職する前からクビさ」 「クビって、解雇のこと?」 「そうそう。いいとこに獲ってもらえそうだから。頑張ってるよ、俺」 「そうなんだ。就職したら、もう家にはいなくなる?」    俺が学校から帰ってきたら、いつもアパートの前で待っておかえりを言ってくれる兄ちゃん。   「ううん。家でできる仕事だから。パソコンがあれば」 「へぇー……俺もそれ目指そうかな。そしたら兄ちゃんといられる。家から出なくてもいいし」 「はは。奏は機械とか全然ダメだろ。自分の好きなとこか興味があるとこに行った方がいいよ」 「うん……」    ゴソ、と深く布団に潜ると兄ちゃんの匂いがする。俺と同じ洗剤で、俺と同じ石鹸を使ってるはずなのにすごく心が和らぐ匂い。それを胸いっぱいに吸い込む。   「兄ちゃん……背中に手、あてて。怖い」 「ん」    兄ちゃんの大きな手の平が温かい。そこからじんわりと兄ちゃんの体温が俺の背中にシミができるように広がっていって、さっきまでの得体の知れない恐怖はどこかへと去ってしまった。   「兄ちゃんって飛び級してるの?」 「ん? そう」 「飛び級ってなかなかできないんでしょ」 「そうなのかな……運が良かったのかも」 「兄ちゃん頭いいもんね」 「俺はちゃんと毎日勉強してるからな」 「お、俺だってしてるよ」 「俺が奏の歳の頃は夜中にホラー動画見たりしてなかったよ」 「うっ、思い出させないで……」 「はは。ごめん」    兄ちゃんの言葉の一つ一つが心地いい。こんなにも近くに兄ちゃんがいる。一人で寝る夜はいつも寂しくて、でも兄ちゃんがそろそろ部屋を分けて寝ようと言った日から俺は我慢して無理矢理眠りに就いていた。おかげで毎日寝不足だった。   「お前は冷え性だな」 「うん……」    背中にある手が前に回ってきて、俺の冷えた手を包んだ。およそ男性の手とは思えないほど綺麗な手をしている。ポカ……とそれも温かくて、嬉しくなった。俺は、兄ちゃんがどんな顔をしてるのか見たくて目線を上げた。部屋の薄いカーテン越しに月明かりがスーッと差し込んできて、兄ちゃんの顔を照らした。   「……」    兄ちゃんの、この二つの真っ黒な粒に吸い込まれそうだ。身も、心も。   「兄ちゃん……」 「ん?」 「兄ちゃん、好き……」 「うん。俺もだよ」    ……そういう意味じゃなくて。   「……兄ちゃん……」    俺のは、きっと兄ちゃんの好きとは違う。どうやったらわかってもらえるんだろう。   「……ん? ……奏」    兄ちゃんに包まれている手をそっと解いて、俺の前にある体の中心に手を沿わせた。   「なに」 「兄ちゃん……好き」  途端に兄ちゃんの顔が険しくなった。でもやめたくない。スリ……と兄ちゃんの膨らみを手の平で撫でる。それだけなのに、ひどく興奮した。   「奏。やめて」  ガシ、と手首を掴まれた。俺はそれに抵抗した。   「なんで? おっきくなってきてるじゃん」 「……ダメだって。やめろ」 「やだ……やめない」 「かなでっ」    ガバッと兄ちゃんが起き上がった。そのはずみで布団が大きく捲られた。せっかく二人で温めたのに。俺の好きな匂いだって逃げちゃうじゃんか。   「兄ちゃん……」    俺も起き上がり、壁沿いの兄ちゃんににじり寄った。兄ちゃんは月明かりの下で顔面蒼白になっていた。   「俺、兄ちゃんのこと好き。この先のことも、知ってる。そんなに子どもじゃないよ、俺……」 「奏……」 「兄ちゃん」    ギギ、とベッドをしならせながら兄ちゃんに擦り寄る。兄ちゃんは、さっき見たホラー動画の追いかけられる役みたいな顔をして息を乱していた。   「俺じゃ、だめ……?」 「だ、だめ」 「どうして」 「とうしてって……兄弟、だから……お前は、弟、だから」 「……」 「奏。やっぱり別で寝よう」    早口で兄ちゃんが言った。   「兄ちゃん。俺、兄ちゃんになら何されてもいい」 「だ、だめだって」 「好きなんだもん……ずっと前から」    兄ちゃんを壁に押し付けるようにして体を近寄らせた。兄ちゃんがごくりと唾を飲む。   「この前の……俺がここに来た時。兄ちゃんトイレで抜いてたでしょ」 「……だからなんだよ」 「俺がいたから? それで、興奮したから?」 「ばっ……ちが、違うよ。あの時は、お前が来る前からしたくて……」 「……」    嘘つき。と兄ちゃんに言って、その唇に指先で触れた。それは、微かに震えていた。兄ちゃんの目が驚きで俺を見ている。   「こうやって、俺にしてたじゃん。あの後すぐにトイレ行って」 「お前……起きてたのか、あの時……」 「……」 「とっ、とにかく。お前がそういう興味があるのは仕方ないから。そういう時期だし」    兄ちゃんの動揺した姿を初めて見たかもしれない。   「兄ちゃん……あの先のこと、教えてよ」 「……」    目の前の人が、ふるふる、と左右に首を振った。   「俺、やり方知ってるよ……」    そう言って兄ちゃんの足元へと体を屈める。   「舐められたら、気持ちいいんでしょ」    兄ちゃんのズボン越しの膨らみに、手と顔を近付けた。   「……奏」  スン、と布越しにそれを嗅ぐ。なんとなく雄の匂いがして、はあっと息が漏れた。   「やめろ……」    すりすりとその膨らみを撫でた。俺のより大きくて、硬さもある。あの動画で見たように、してみたい……。   「……兄ちゃん……」    ゆっくりと起き上がって、兄ちゃんの唇に自分のを合わせた。うまくできたかわからないけど、すごく心が高鳴った。その後じっと兄ちゃんを見たら、兄ちゃんは今にも泣き出しそうな顔で俺をぎゅっと力強く抱きしめた。   「兄ちゃん……しよ……」    やめろ、とも自分の部屋に戻れ、とも言われなかった。俺は、兄ちゃんの腕の中の心地良さを知ってしまった。兄ちゃんが腕から力を抜いて、さっき俺がしたように唇を合わせてきた。俺は受け入れてもらえたのだと、嬉しさでいっぱいになった。大好きな兄ちゃんと、もっと触れ合えると考えただけで。        

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