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第9話

 光が、俺の瞼を撫ぜる。  俺は引っ張り上げられるように目を覚まして、覚醒にしばらく時間を費やした。体が軽くて、ひどく心地よくて、布団から出たくない。いつもちゃんと眠れなくて、寝起きも悪いから、こんなに気持ちのいい朝は久しぶりだ。 「……あっ」  もう少し、微睡んでいたかったけれど。自分の置かれている状況に気付き、俺は慌てて飛び起きる。  白柳が、いない。計画では――白柳よりも早く起きて、朝食でも準備してやって、俺に惚れさせようという魂胆だったのに。それが、やってしまった。白柳よりも遅く起きてしまった―― 「おう、起きたか」 「あっ……白柳さん。おはようございます」 「……熟睡してたな。朝飯できてるぞ」  体を起こした俺のもとに、白柳がやってくる。部屋にはトーストのいい匂いが漂っていて、先を越されたと俺は落胆する。  ……っていうか、こいつ。今、俺のことを、「ちゃんと眠れてよかったな」みたいな目で見てきやがった。腹立つ。どこまでこの男は俺を下に見ていやがるんだ。俺に同情でもしているのか。本当にむかつく。  促されるままにテーブルまで向かっていけば、用意されていたのはお手本のような朝食だった。トーストにサラダ、フルーツを添えたヨーグルト、そして飲み物。一人暮らしの男がいつもこんな朝食をとっているのかとギョッとしてしまった俺の心中を察してか、白柳がやれやれといった調子で言ってくる。 「俺普段はパン食って終わりだ。おまえがあんまりにも不健康そうだからな、ちゃんとしたやつ用意したんだよ」 「……っ」  ……どこまでも、俺を馬鹿にしやがって。なんで俺がまるで可哀想な子みたいに優しくされなくちゃいけないんだ。  ……いや、でもこれはこれでいい。この調子で白柳に甘えてやればいいんだ。この男に可哀想な子扱いされるのは腹立たしいが、それが俺の当初の計画だ。 「こんな朝を迎えられたの、久々です」 「そうかい」  とりあえず俺は、用意された朝食を食べ始めた。「こんな朝を迎えられたのは久々だ」、その言葉自体は嘘ではない。夜まで体を売って、時には朝までめちゃくちゃにされて、疲れ切って眠って、昼前になんとか起きる――そんな生活をしてきた。だから、こんな風に明るい朝日の中、ちゃんとした朝食をとるのはいつぶりだろう。白柳のやれやれといった視線は相変わらずむかつくけれど、朝食は……まあ、おいしい。 「あ、食器、俺片付けます。白柳さんの分も」 「あ? いいよ、俺やるから。おまえ皿洗えなそうだし」 「あ、洗えますよ! お皿くらい!」 「いい、いいから。皿割られたら泣くから」 「し、白柳さん!」  俺が白柳よりも少し遅れて朝食を食べ終わると、ヤツは俺の食器をもって流しへいってしまった。さすがにそこまで俺のことを甘やかさなくていいんですけど、と言いたい。おまえが面倒見いいことはわかったから、いい加減に俺の威厳も少しは尊重してくれ。  あまりの甲斐甲斐しさに辟易としたが、この男はそういう奴だ。付け入りたいのなら、そこに突っ込むしかない。俺は流しで皿を洗っている白柳のそばまで行くと、後ろから抱き着いてみた。思い切り甘えたな感じで。 「……白柳さん。すみません、突然家に来たのにこんなにしてもらって」 「……一日だけの付き合いだ、適当に優しくしてやるのが無難な対応だろ」 「……もう少し、白柳さんと一緒にいたいです」 「俺はやだ」 「……おねがいします」  こいつの心を奪うのに、もう少し時間が必要だ。俺はねだってみたが、白柳はあまりいい反応をしない。けれど、ここでこいつとの関係を終わらせるわけにはいかなかった。俺のプライドが許せなかった。  もう一度「おねがい」とつぶやいて、白柳の腹に回した腕に少し力をこめれば、白柳はため息をつきながら振り返った。そして、俺の腕をほどくと呆れたような目で俺を見下ろす。 「あのな、俺はおまえの面倒を見られるほど暇じゃない。今日だけだ、それ以上は無理だ」 「……でも、俺、……白柳さんと、もっと一緒にいたい」 「気のせいだろ。出逢って二十四時間も経っていない相手だぞ。俺じゃなくたっていいんじゃないのか」 「き、気のせいじゃないです……! 俺、白柳さんのこと、好きです……白柳さんじゃなきゃやだ……これでお別れなんて、……やだ」  優しいわりには距離を縮めるつもりのないらしい白柳。俺はやけになって、ウソ泣きをしながら白柳に正面から抱き着いてやった。「やだ」「おねがい」可愛いめな声で何度もそう言って。薄気味悪い演技をしていると自分でも思うけれど、こうも思っていることと真逆の行動をしていると、かえって楽しくなってくる。  俺のハリウッド級の演技が効いたのだろうか、やがて白柳は折れたようにため息をつく。「勝手にしろ。ただしもうおまえの面倒をみるつもりはないからな」 「……っ、ありがとうございます……うれしい、白柳さん……好きです」 「いや、好きっていうのはマジで気のせいだと思うけど」 「……本気です」  白柳は舌打ちをうって、また皿洗いを再開した。なんとか第一関門を突破した俺は、心の中でガッツポーズをとりながら再び白柳に抱き着く。 「白柳さん、好きです」 「……ふーん」  自分を鼓舞するように、嘘っぱちの「好き」を繰り返した。白柳のことを馬鹿にするように、ぎゅっと縋り付いた。  何一つ、心のこもっていない行動ではあったけれど。今までとったことのない、こういった行動をとることが――楽しくないわけではなかった。

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