2 / 60

第2話

「男娼の暮らしは、苦労続きだっただろう。そのような、生活をさせてしまったことを、神殿の代表として詫びねばなるまい」  私が瞑目して謝意を伝えると、彼は眉を吊り上げて、嫌悪感を表明した。明るい、笑顔だけではなく、他の表情もあるのか。 「なぜ大神官様が謝るのですか?」 「……ここから、あの、切り立った山が見えるだろうか」  私は、指を差して窓の外を見るように促す。彼は、言われた通りに窓の外を見て「はい」とだけ答えた。 「あれは、大陸の聖地、霊峰《れいほう》ルリミェト。あの霊峰に変事があるとき、この大陸では二つのことが同時に行われる。一つは、大神官の交代。そして、もう一つが、異世界の民を呼び寄せるというものだ。前回五年前、私は、先代の大神官から、今の職務を継承した。そして、この世界に顕現した異世界の民を保護しなければならなかった」  彼は、神妙な顔をして私の言葉を聞いていた。 「だが、お前が見たという、黒い装束のものたちが、異世界人をさらってしまったのだ。そして、我々は、さらわれた異世界人のことしか知らず、彼らの奪還の為に力を尽くしたが、失敗していたところだ」 「俺以外の人たちは、どうなったんですか?」 「結果としては、全員死んだ。男が二人、女が一人だったはずだ」 「なんで、死んだか……、教えて貰えますか?」 「これは、私達の調査の結果なので、それが彼らにとって事実であるかどうか補償はしかねるが、説明は可能だ」  彼は、黒い瞳で私をまっすぐ見つめ返した。私から、如何なる真実も聞き漏らさないような、真剣な眼差しだった。 「どのものたちも、国を挙げて歓待された。そして、贅沢と欲に溺れて死んでいった。女や邸《やしき》を与えられ、或いは、自国の民たちの窮状も厭わずに宝石を求め、そのうちに、殺された」 「そ、うだったんですね」  彼は、信じがたいというような、顔をしていた。彼がどう思おうが、我々の調査結果は、おそらく真実だろう。 「致し方あるまい。贅沢には際限がない。古今、このような例ならばいくらでもあるだろう」 「そう、ですね……」  彼の顔が曇る。彼は、彼らが贅沢を満喫しきっている間、身を売って生き延びていたのだ。彼にとっては胸の悪くなるような話なのかも知れない。 「異世界の民を、他国にさらわれたことも我々の落ち度だが、お前に、男娼のような下等なことをさせて生き延びさせたことについても、我々の落ち度だ。だからこそ」 「あの」  彼は、不機嫌そうに私の言葉を遮った。 「なんだ?」 「さっきから、男娼を下等だとか、いろいろ言ってますけど、それは、訂正してください」  私は、彼の言っている言葉の意味がわからなかった。男娼は、紛れもなく、下等な職業だ。それは、異世界で、おそらく名のある家門に産まれ、貴族として順調な生涯を送っていただろう彼にとっても、同じだろう。 「なぜ?」 「職業に、貴賤はありません」  彼は、私をまっすぐに見据えて、そう言い切った。貴賤はない。その、意味合いを捕らえかねていると、彼は続ける。よほど、私が間の抜けた表情をしていたのかも知れない。 「俺の生まれた国では、職業によって差別を受けることはないんです。少なくとも、法の下では、そうなってます。差別する人は居る、とは思いますけど。だから、俺は、自分が男娼だったことは、恥ずかしくないし、それを下等なこととも思っていません」 「しかし、国王と男娼では、違うだろう」 「いいえ。俺の国にも、……(あれは、エンペラーで英訳するから、皇帝で良いのかな)皇帝は居ました。でも、一緒です。ビョウドウなんです」 「ビョウドウ、とは?」  聞いたことのない、言葉だった。 「身分とか生まれによって、貴賤《きせん》がないってことです! 偉いとか、そんなのはないんです!」  信じがたい言葉だった。国王を頂きながら、庶民と国王の尊さが変わらないという。そんなことがどうやって成立するのか、理解に苦しむ。ただ、よく解ったのは、この男は、与太話を言っている訳ではないと言うことだ。与太話でなければ、よほど気が狂っているのかどちらかだ。 「私にはわからない感覚だが……、身を売るのは、辛くはなかったのか?」 「たまに嫌なお客さんとかに会いましたけど、概ね、優しいお客さんばかりだったし、常連のお客さんは、いろいろ気遣ってくれたりしたので、良い職場だったと思ってますよ」  他人に身を委ね、好き勝手にもてあそばれることを、なぜ、この男が是としていられるのか、私には本当に解らなかった。私は、誰かに触れられただけで、虫酸が走る。 「客は、人間だけではなかっただろう」 「ああ、いろいろでした。獣人の人も居たし、モンスター? みたいなお客さんもいたし」  私ならば、そんなものたちの慰み者になったら、舌を噛んで死んだ方が良いと判断する。だが、この男は、実に、普通だった。私は、よほど嫌悪感をあらわにしていたのだろう。彼は、苦笑しながら「こんなあけすけな話は不愉快ですね」と前置きしてから、「でも、俺は、あの仕事が嫌ではなかったんです」とだけ告げた。  職業に貴賤はない、という彼の考え方ならば、男娼も同じことなのだろう。私は、俄には信じられないが、本人がそう言うのならば、例え強がりだとしても、そう、なのだろう。強がりだとしたら、一種の、貴族的な矜恃だろうか。自国の文化に対する。だとすれば、相当に、身分と自尊心の高い貴族の出身に違いなかった。 「お前の……」と言ってから、私は言葉を訂正した。彼の身分に応じて、言葉を換える必要があるだろう。「あなたの今後については、我々、神殿に委ねて欲しい。可能な限り、あなたの意思を尊重することになる。ただ、時と場合によっては我々に協力して貰うことになると思うが、変事の為に異世界の民が召喚されたのは、六百年ぶりのことなのだ。我々も、異世界の民にどのような助力を仰ぐのか、調査中の為、しばらく不自由をおかけするだろう。だが、できるだけ、好きなように、過ごしていて欲しい」  神殿で客を取るような真似は避けて欲しいが、と添えようとして、私は口をつぐんだ。彼に対して、無礼な言葉だろう。 「何をしても良いっていうこと?」 「神殿の規則と秩序に反することでなければ」  彼は、しばし何かを考えているようなそぶりだったが、やがて「わかった」とだけ答えて、にっかり笑った。得体の知れない笑みだ、と私は思った。価値観の違う相手と会話をしたせいか、私は、ひどく、困憊していた。

ともだちにシェアしよう!