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第34話
スティラは所用で遅れるということで、シンを交えて三人で食事をとることになった。スティラからは色々と注意を受けるのを覚悟していたが、夕食の席に現れた彼は、いつも通りだった……が、目が赤い。どうしたのかと思えば、本人が理由を語った。
「これは、大神官様、シン様、心よりお二人の恋の成就をお慶び申し上げます。今朝は。マーレヤより報告を受け、感涙にむせび泣いておりまして、これはその名残でございますので、お気になさいませぬよう」
「なぜ、あなたが、私の恋愛の成就を……」
祝うのです、と言おうとしたら、シンが小さく手をあげて私の言葉を遮る。シンを見やれば、無言のまま、小さく首を横に振った。どうやら、聞くな、ということらしい。
「あなたが、私の恋愛の成就を我が事のように喜んでくれることは、感謝します……それで、今日、私は公務を怠りましたので、代わりに、神官たちのために、なにか食事を出したいと考えています」
あなたが企画しようとした、私の恋愛成就記念の祝典代わりに……という言葉は飲み込む。
「かしこまりました! お二人の恋愛成就記念の祝典ですね!」
「いいえっ!」
咄嗟に私は彼の言葉を強く否定した。しかし、スティラの方は、いつも通りの怜悧な表情のままで、小首を傾げた。なぜ? とでも言いたげな表情だった。
スティラが、私の為に尽くしてくれることはわかっていたが、それにしても、こういう方向性とは、夢にも思わなかった。
「あの……少し質問があるのですが、何故、あなたは、私のことに、そんなに懸命になってくださるのですか?」
私の問いかけに、スティラは一瞬、鳩のように目を丸くしてから、曇りのない眼差しをして、私に言い切った。
「大神官様に初めてお会いしたときから、心奪われておりましたので、私は一生、大神官様にお仕えしようと決めたのです。ですから、私の幸せは大神官様の幸せ。今は、大神官様が幸せそうですので、私も心から幸せです」
うっとりと、酔いしれるようにスティラは言う。私とスティラが出会ったのは、五年前のはずだが、その時のスティラは実に事務的というか、淡々としていたはずだった。片眼鏡から受ける印象通りで怜悧な人なのだろうと思っていたが、なにか違うらしい。
「まあ、その辺にしてもらって……まずは、大神官様は、なにか、神官たちの普段の労を労うために私財を投入して、もてなしたいと言うことらしいので、スティラさんには、段取りをして貰うと言うことで大丈夫ですかね?」
「ええ、シンの言うとおりです。忙しいあなたに頼むのも恐縮ですが……、よろしくお願いします」
「お任せ下さいませ、大神官様。私が、心を込めて、企画いたします」
「ありがとう……それで、まずは私達の食事にしましょうか」
合図をすると、すぐに食事が用意される。私は、そういえば、スティラと食事をとるのは初めてだった。
「あなたと食事をするのは、宴席以外ではありませんでしたね」
「それで、私は十分です。今も、食事が喉を通るかどうか……」
スティラが、私の顔を見ながら、震える手でさじを持っているのを見せる。なぜ、そうなるのか、理解に苦しむが、「ちゃんと食べて下さい」とだけ告げて、スープを飲んだ。いつも通りの、スープだ。しかし、隣のスティラが、「今までにこんなに美味しいスープに出会ったことはあったろうか……いや、ない……」などとブツブツと言っているので、正直、怖くなった。
「大神官様、その人のことはあまり気にしないで……。そういえば、大神官様の、好物とかはあるんですか?」
シンは、私を人前ではわきまえて、大神官様などと呼ぶ。なので、いつもよりシンを疎遠に感じるのが少々不満だったが、致し方ないと諦める。
「私の、好物ですか……」
「そうそう。なにか、ないの?」
私は、少し考える。パンは好きだし、スープも好きだし、肉料理も好きだ。苦手なものならば、やけに味の強い、得体の知れない紫色の香草。だが、その程度だ。贅沢をするつもりはなかったし、個人的な嗜好でいうのなら、火酒を好むくらいだろう。
「大神官様はっ! 木の実の蜂蜜漬けを、山羊の|乾酪《チーズ》に掛けたもの! が一押しでお好みですっ!」
「……滅多に食べないと思いますけど」
確かに、何度か食べたと思う。何かの折に頂いて、酒と一緒に楽しんでいた記憶はあるが、そう、頻繁ではない。蜂蜜はとても高価なので、間食として食べるのは贅沢の極みだった。神殿のある、聖地は、岩場の多い高地になる。神殿では庭園を整えているが、一歩敷地から出れば、修行を行う荒れ地になっている。そこは、大きくて白い岩石がゴロゴロところがっていて、その隙間に、わずかな高地の花々が咲く。岩場に住み着く蜂がいるのだが、少ない花の蜜を集めるので、貴重なものだった。
「ええ、勿論、滅多には召し上がりませんけれど……あれを召し上がる際には、かなり、ご機嫌でいらっしゃいます」
「あなたが見て解るほど?」
「心なし、足取りが軽いように思います」
スティラが断言する。私は、恥ずかしいし、シンは、心から楽しそうに笑う。
「なんだ、ちゃんと好物とかあるんじゃないか。本当に、全然解らなかったから……スティラ様、それって、お金があれば、入手可能ですか?」
「えっ? ……まあ、ちょっと金額は張りますよ?」
「なら、手配して貰えませんか? 俺から、贈りたいと思って。恋人になった記念に」
記念の品。私は、ドキッとした。そういえば、シンは、ここへ来る際にユリに贈るはずだった指輪を売ったと言っていた。それは、求婚の証だと、言ったはずだ。指輪か、を贈りたいと、私は思いついて、胸が、騒ぐ。シンは、喜んでくれるだろうか。
「シン様……、なんで食べ物を送るんですか? 普通は、こういうときは、形に残る、貴金属とかじゃないんですか? 貴金属並みの値段がしますよ? |件《くだん》の蜂蜜は」
スティラの言葉を聞いて、貴金属を贈り物にするのは、普通のことなのだと悟る。ならば、かつて、シンが、ユリに贈ったように。思いを込めて、私も、指輪を贈りたい。指輪ならば肌身離さず身につけて貰えるだろうし、自分で眺めることも出来る。シンが、気に入ってくれたら、の話にはなるが、私は、シンの喜ぶ顔を想像して、思わず、頬が緩む。
――のを、スティラに勘違いされた。
「大神官様……そんなに、木の実の蜂蜜漬けが食べたかったんですか……?」
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