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第11話

 あと数週間で、待ちに待った夏休みだと多くの生徒が浮かれる中、俺のもとへ一本の連絡が入る。いつも通り、理央と最後まで風紀室で仕事をしていたとき、備え付けの電話がなった。珍しい電子音に、二人で顔を見合わせ小首をかしげたが、受話器を取る。  相手は、学園の保健室からだった。 「はい、鈴岡ですが…え…委員長が…?」  俺の分の荷物も抱えた理央がこちらに歩み寄る。指先から温度が消えていく。話を切り上げて、受話器を切る。 「どうしました?」 「委員長が…武島先輩が…」  理央の声を無視して、保健室へと走り出した。  無駄に広い学園を恨んでしまう。乱れた呼吸を直すことなく、乱暴にドアを引き開ける。校医の小言が耳に入らないほど、俺は動転していた。一つだけ閉ざされたカーテンを開けると顔色の悪い総一郎が横たわっていた。その隣には、同じ三年風紀委員の曽部がいた。 「たけ、しま、先輩、は…」  肩で息をしながら、少し驚いた顔の曽部に尋ねる。 「悪いな、電話しちまって…。立ち眩みがあって、ここまでなんとか連れてきて横になった途端に、ぐうぐう寝始めたよ」  しょうがねえやつ、と額を叩きながら曽部が笑った。それに、う、と少し呻いてから、総一郎はまた、寝息を立て始めた。 「よか、たぁ…」  膝から力が抜けて、その場にへたり込んでしまう。その直後に、ドアが開き、理央の声がした。カーテンを覗き込んだ理央は、驚いて俺のもとに駆け寄ってきてくれた。大丈夫だと制して、立ち上がろうとするのを、腕を引っ張って助けてくれる。近くにあった椅子を寄せて座るように促された。 「総一郎くん、大丈夫なんですか?」 「無理してるからな…」  総一郎のことをなれなれしく呼び捨てにしている理央に視線を送るが、眦を下げて心配そうにベットの主を見つめていた。曽部も特に気にするそぶりもなかった。もとから知っている中なのか…と気になるが、今はそれどころではない。 「凛太郎がまだいてくれたのは幸いだった、急に呼び出したのには、相談があるからだ」  曽部は視線をあげ、俺をまっすぐ見つめた。曽部の目元にもクマがうかがえる。 「本薙早苗の警護は、なかなか厳しいものがあってな…」  ふう、と重い溜め息をつき、額に手をあてながら項垂れた曽部は話をはじめた。  本薙早苗は手あたり次第にアルファにあのオメガのフェロモンを仕掛けていく。生徒会やらと楽しくしてる分には、もう何をどうこう言うことはない。それで、おとなしくしていてくれるなら、それでいい。その対象は、風紀委員も入っている。アルファで、見た目も日本男児らしく勇ましく凛々しい総一郎は、もちろん狙われるに決まっていた。人目がない時は、必ず、あのわかりやすい変装を解き、催淫フェロモンを当ててくる。それを総一郎は気力のみでずっと乗り切っていた。風紀委員長としての責務ももちろんあるが、おそらく一番は、心に決めているという愛する人への操立てだ。そういうまっすぐな男らしい総一郎を心から敬愛し、俺はここにいる。  そういたフェロモンに乗り切るには、精神力も体力も必要なものだ。風紀のメンバーで警護は回していたが、どんどんと本薙に籠絡してしまう委員が後を絶たなかった。それは、報告で知っていた。しかし、総一郎の身体が限界を迎えていることなんて、わからなかった。総一郎は、いつでも電話口で明るく話していた。  ぎりぎり、と強く手を握りしめた。爪が手のひらに食い込むが、痛みは感じない。自分が情けなくて、腹立たしかった。総一郎に無理をさせ、自分のわがままを優先させてしまっていた。はじめから、わかっていたのだ。アルファの総一郎が、あのオメガのもとにいることが、どれだけ危険かどうかなんて。 「しかし、上からは本薙の警護をしろというお達しは止まない。むしろ、人員強化を求められた…」  話の筋は見えた。食いしばっていた口元を緩めて、深く息を吸う。  はじめから、ベータの俺が適任だったのだ。 「俺が請け負いますよ?」  そう告げようとしたのに、発する前に隣から声が聞こえた。握りしめていた手に、大きな、かさついた手が重なり、握りこんでいた指をほぐされる。 「…新入りには、少々荷が重いと思うが…、そうも言ってられないか…」 「俺、そういうやつ得意ですから~」  ね、りん先輩、と理央はいつものへらへら顔でこちらを見てきた。瞬きが出来ない。こいつの真意がわからない。何を考えているんだ。  それなのに、理央は微笑みながら、俺の指に指を絡めて、手を握る。 「…確かに、理央はいいかもな」  声の主の方に急いで振り返ると、総一郎がいつの間にか目を覚ましていた。 「委員長!大丈夫ですか!?」 「うるさいうるさい、ちょっと眠かっただけだよ」  総一郎は、耳をかきながら、大あくびを一つした。そして、頭の後ろに腕を組み、天井を見つめながら言葉を続ける。 「いや~、俺があと十人いれば楽勝なんだけどさ…悪いな、理央」 「いえいえ、総一郎くんには借りがあるし、いいってことよ」 「ダメだっ!!」  なんで、こんなにへらへらと安請け合いしてしまうんだ。  身体の奥底から熱が湧き起こり、爆発してしまう。  ここにいる全員が目を見張り、俺を見ている。ぎゅ、とつないでいる手を握りしめる。浅く息を吸って、落ち着いた声色で伝える。 「俺がいきます」 「…凛太郎、だから」 「俺がいきます」  総一郎が声を挟むが、それを止めて言い放つ。 「ベータの俺には、そういったものは通用しません。武道の心得もあって、いざというときも戦えます。それに、あいつの本当の顔もこの前見ました。これ以上の適任はいないでしょう…」  そう言いながらも、不安になってきてしまった。  それは、あいつの本当の姿が見てしまった時のことを思い出してしまったからだ。 「…凛太郎、本気か?」  心を見透かしたように総一郎は言う。勝手に下がっていた視線を元に戻し、まっすぐと総一郎を見つめる。鋭い瞳だが、奥では心配の色がありありとしている。 「はい、大丈夫です」  すべてを知っている総一郎は、わかっているのだ。俺と本薙と海智が対面してしまうことによって、俺が傷つくことを。それでも、俺の一歩で、救える人が多くいるのであれば、頑張りたいのだ。 「りん先輩…」  つないだ指先を心配げに撫でられ、理央に振り向く。 「俺、別に大丈夫ですよ?」 「絶対ダメだ、お前はアルファなんだから…」  だから…、理央も、あのアルファたちのように…  続く言葉を声にすることは出来なかった。  でも、と理央が話をしようとするのを、総一郎が止めた。 「…わかった。俺も、凛太郎がいてくれると心強い」  総一郎に頼られることを嬉しく思い、認めてくれたことにも胸を撫でおろす。ぐ、と手を握る力が増す。 「総一郎くん…!」 「昨日今日入ったひよっ子に、こんな重大案件まかせられねえっての」  な、と笑顔で理央に同意を求めた。心配そうに、まだ言葉を続けようとする理央だったが、俺は冗談で飛ばし続けた。 「俺、明日の朝から行きますよ。曽部先輩、詳細をメッセージでもらえますか?」 「ああ、すぐ送る」 「じゃあ、武島先輩は、ゆっくり休んでください。明日から、俺バリバリやっちゃいますから」  椅子から立ち上がり、理央が持ってきた荷物を肩にかける。立ち上がった瞬間に、握られていた手は簡単に滑り落ちていった。別れの挨拶を告げ、ベットを離れると理央も後に続いた。

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