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第3話 国家存亡の危機

「ええと、それってつまり」 「国家財政の危機でございます」  国の財政を統括している財務大臣が沈痛な面持ちでそう答えた。隣に座っている父上も厳しい表情を浮かべている。  無事に七日間の芸術祭を終えたアールエッティ王国では、期間中に売れた様々な芸術品の数や金額、買った相手国からの送金などの確認作業でてんやわんやだった。そんななか、書庫に籠もっていた僕を父上が呼び出した。 「もしかして追加で絵画が売れたとか?」  それなら嬉しいなぁ、なんて考えていた少し前の自分を殴ってやりたい。呼び出された理由は、我が国が過去最大の財政難に陥りそうだという緊急事態によるものだった。 「回避は難しいのか?」 「じつは、本日送金されてくるはずの最大金額を上回る返済が十日後に控えておりまして」 「それならまず今日届く分で返済をして、残りは待ってもらうしかないだろう?」 「それが、先方から本日の送金を半月待ってほしいという連絡が来まして……」 「はぁ!? なんだそれは!」  それでは契約違反じゃないか! 「相手は誰だ? そんなところに我が国の芸術品を売ることはできない」 「それが……」  財務大臣が、広い額の汗を拭いながらチラチラと父上を見ている。父上のほうは難しい顔をしながらウンウン唸っているばかりだ。 「財務大臣、どこの誰なんだ?」 「……コントリノール王国の、第二王子殿下でございます」  あの陽気なキザ野郎か! 僕の脳裏にニコニコ笑いながらワインを飲んでいる、見た目はいい男だが中身が残念な従兄殿の顔が浮かんだ。  コントリノール王国の第二妃は父上の末の妹で、第二王子殿下というのは僕にとって従兄にあたる人物だ。コントリノール王国はそれなりに豊かな国で、過去に何度も叔母上に芸術品を買っていただくことで財政を助けてもらった。それを考えると従兄殿の申し出を断ることは難しい。 「それでは、十日後の返済はどうなる?」  僕の問いかけに、財務大臣が拭っていたハンカチで口元を覆った。父上を見ると、ウンウン唸りながら右斜め下を見ている。 (国家存亡の危機かもしれない)  そもそもアールエッティ王国は長い間財政難の波に何度も呑み込まれてきた。平たく言えばずっと貧乏だったということだ。そこにひいお祖父様の大盤振る舞いが重なり、この十年の間に三度、財政破綻の危機に直面している。  そのたびに粉骨砕身で芸術品を売りさばき、平身低頭して借金返済を先延ばししてもらってきた。しかし、四度目となる今回は五体投地したとしても先延ばしは難しいだろう。そうなると、もはや手の打ちようがない。 「僕の絵画をすべて売り払っても難しいか?」 「急いですべて売ったといたしましても、買い手は大国しかございません。大国にすぐさま送金してくれとお願いしましても……」 「……そうだな」  大国は金持ちだが、そのぶん気持ちに余裕があるからか送金が少し遅い。かくかくしかじかで、とお願いしても「それは貴国の都合でしょう?」と扇子の向こうで笑われるのがオチだ。  そうなると僕にできることは何もない。僕には絵を描く才能しかないし、その絵を売っても今回は役に立たないということだ。 (どうしたものかな)  結局よい案は出てこなかった。一旦昼食にしようと父上が口にしたことでお開きになり、僕はウンウン唸りながら自室に戻ることにした。 「お兄様、珍妙な顔をしてどうなさったの?」 「珍妙はよけいだ」 「そう言いたくなるくらい変な顔をしているわ」  部屋の前にいたのはルーシアだった。手には綺麗な模様の書簡箱を持っている。 「手紙か?」 「お兄様宛ですって。侍女が執務室に持って行こうとしていたのを、わたしが預かったの」 「どうしてルーシアが預かるんだ?」 「そろそろ昼食でお部屋に戻ってくると思ったからよ。それに、新しい香水の感想も聞きたかったし」  見れば、書簡箱の上に香水瓶の入った小さな箱もある。最近のルーシアは瓶だけでなく香水の調合にも夢中らしく、こうして僕のところに新作を持ち込んでは感想を求めてきた。 「手紙はありがとう。香水は落ち着いたらでいいか?」 「落ち着いたらって、何かあったの?」  僕に続いて部屋に入ってきたルーシアが、テーブルに書簡箱を置きながらそう尋ねた。 「国家存亡の危機だ」 「また返済が滞りそうなのね」 「理解が早いな」 「いつものことだもの」  十六歳の王女にしては肝が据わっている。僕もこのくらいドンと構えたいところだが、三年前の大騒動を思い出すと胃がキリキリして落ち着かなかった。  三年前、天候悪化で王都に繋がる大橋が落ち売上金が届かないという事件が起きた。その金がなければ離宮どころか王宮まで手放さなくてはいけなくなる最悪の状況だった。  結果的にモニュメントとして作られた石橋を使って売上金の回収はできたのだが、そのとき石橋も落ちてしまった。石橋には国家予算の五分の一ほどが使われていたと聞いたときは僕でさえ目眩がしたものだ。 「それで、今回の原因は何ですの?」 「コントリノール王国の従兄殿が、支払いを半月待ってくれと言ってきた」 「……あの脳天気男なら言いそうなことだわ」  ルーシアの綺麗に整えられた眉が思い切り寄っている。 「ルーシアは従兄殿が嫌いなのか?」 「鼻が曲がりそうなほど強烈な香水を褒めて、わたしの繊細な香水をけなす男は地獄に落ちればいいのよ」  そういえばルーシアがデザインした香水瓶が各国で話題になったときも、従兄殿は「こんなおもちゃがねぇ」と言ってルーシアに両方の頬を打たれていたことを思い出した。ルーシアのことが好きなのに、従兄殿の天の邪鬼な行動には困ったものだ。 「従兄殿のことは後で考えるとして」  テーブルに置かれた書簡箱を手に取る。優美な曲線が多用されているからか、書簡箱というより宝石箱のようだ。しかも彫って模様を作っているのではなく、色を何層も重ねて厚みをもたせる。 「これはまた、随分と手の込んだ書簡箱だな」  一体どこの国からの手紙だと思いながら箱を開けると、黄金に輝く封蝋が目に入った。中央には王冠が、それをドラゴンが囲むように描かれた模様はビジュオール王国の紋章だ。 「大国ビジュオールが、僕宛に手紙?」  ビジュオール王国は大陸でも一、二と言われる大金持ちの国だ。北西に位置するアールエッティ王国からは少し遠く、東の海岸から南東にかけての広い地域を治めている。そんな大国の国王は当然αで、王太子も優秀なαだと聞いている。  だからといって「僕の嫁ぎ先になりませんか」なんて手紙は送っていない。交流すらほとんどない大国に手紙を送りつけるほど僕も無節操ではないからだ。 「もしかして肖像画の依頼か?」  そういう話ならあり得る。今回のドタバタさえなければいますぐにでも引き受けたいところだが、国家存亡の危機の最中ではしばらく待ってもらうことになるだろう。そんなことを考えながら封蝋を解いて中身を確認した。 「ええと……うん……?」 「お兄様、どうなさったの?」 「うーん……何だって?」  手紙はビジュオール王国の国王からのものだった。書簡箱にはもう一通手紙が入っているから、そちらは父上宛だろう。  手紙は「突然の無礼を許していただきたい」という挨拶から始まり、「我が国には優秀なαの王太子がいる」という自慢話のような内容が続き、「ランシュ殿下がΩだと聞き及び」という情報通な部分を垣間見せながら、「王太子の妃候補として迎えたい」と結ばれていた。  僕は手紙を一旦テーブルに置いて、侍女が用意してくれた紅茶をひと口飲んだ。それからもう一度手紙を手にし、最初から読み返す。そうして最後までたどり着いた直後「なんだってぇ!?」と叫んでしまった。 「ちょっとお兄様、急に叫んだりしてどうなさったの?」 「いや、これ……これ、読んで……」  差し出した手紙を無言で読んだルーシアが「まさか」と小声でつぶやいた。 「最後のほう、僕を王太子の妃候補に迎えたいって、たしかに書いてあるよな?」 「えぇ、間違いなく」 「それって、Ωの僕の嫁ぎ先に立候補するってことだよな?」 「おそらくは」 「ビジュオール王国って、あのビジュオール王国だよな?」 「そのビジュオール王国で間違いないでしょうね」 「そうか……あんな大国が嫁ぎ先に……」  ハッとした僕は、父上宛の手紙の封蝋を解いて中身を確認した。本来してはいけない行為だが、緊急事態のいまそんなことは言ってられない。 「きっと書いてあるはずだ……あった。支度金は……こ、これは!」  手紙には僕を迎えに来る日程や、妃候補としてビジュオール王宮に滞在するための条件、もし婚姻に至らなかった場合の諸々についても記載されていた。その中には僕への支度金についてもしっかり書かれている。 「この金額なら、十日後の支払いを待ってもらえる可能性がある」 「お兄様?」 「前回、いいや、過去三回待ってもらった詫び代も十分に払うことができる」  支度金は僕を迎えに来る使者が持参すると書いてある。ビジュオール王国は少し遠いが、早馬で使者を出せば数日で到着できるだろう。  支度金を持った使者は、おそらく僕を迎えに来る馬車と共にやって来るはず。早馬よりは時間がかかるが、ビジュオール王国の馬車なら二十日弱で到着できるといったところだろうか。ということは、最短でひと月弱後には大金が手に入るということだ。 「倍額払うと頼み込めば、絶対に嫌だとは言わないはずだ」  僕の頭の中で計算が終わり、チャリーン! と景気のいい音が響いた。これなら国家存亡の危機も回避できるし、支度金だけで残りの借金も幾分か返すことができる。 「それに僕が正式な妃になれば、さらに借金が返せるかもしれない」  それこそ、第一王子でありΩになってしまった僕だけが果たせる役目じゃないだろうか。 「すぐにこれを父上に届けて! あぁ、いい! 僕が直接届けるから、誰か財務大臣を執務室に呼んでくれ!」  大声で侍女たちに声をかけながら、僕は急ぎ足で父上の執務室へと向かった。

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