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1-2 感染

 ぶちぶちっ、コードが引き抜かれるような音がして、小柄な男性が長髪の女性の肉を食い破った。叫声が迸る。飛び散る鮮血。鉄錆びた臭いと吐瀉物の臭いが混ざり合い、辺りには吐き気を催すような悪臭が漂った。 「そこで我々が目を付けたのは、〝起き上がり〟という現象でした。かつて土葬が主流だった地域では、時折死者が甦ることがあった。当時は原因不明でしたが、実はそれは特殊な細菌による伝染病だったと判明したのです」  化け物と化した男性は、口中のものを咀嚼して呑み込んだ。――食べた。人を、喰らったのだ。  一気に恐慌が伝播した。叫び、駆け出す人々。皆我先にと他者を押しやり、転んだ者を踏み付けて進む。狂乱。そこに、更なる異変が襲った。突然呻き声を上げて倒れ伏した者が居る。それが数瞬後には、最初の男性と同じように狂気に憑りつかれたように暴れ出したのだ。それも一人や二人ではない。集団の中から何人も同じような症状を見せる者が出現した。 「この細菌は人間の血中に寄生し、血液を糧として増殖、活動します。そうして、宿主の肉体を劇的に作り変えてしまうのです。感染すると、まずは強い拒絶反応に見舞われ、大概が死に至る。それから一定数は起き上がりますが、細菌に操られて人を襲うだけの自我の無い怪物と化してしまうのが大半です」  逃げ惑う人々の中、幾人かが出入り口の扉に辿り着いた。しかし、扉は外側から施錠されているのか一向に開く気配が無い。四方を頑丈な金属の壁で囲われたシェルターのような室内だ。これでは、誰も逃げられない。 「これを我々は〝食人鬼(グール)〟と呼んでいます。皆さんにはゾンビと言った方が通りが良いかもしれませんね。〝食人鬼〟は心臓を破壊しない限りは頭を潰そうが何だろうが動き続けるので、使い捨ての兵隊としては有用ですが、如何せん知能がありませんので敵味方の区別が付かないのが難点です。それに傷の修復機能が無い為、存在脆いのです。〝食人鬼〟が血液のみならず肉までも摂食するのは、この欠けた機能を本能的に補おうとしてのことなのかもしれませんね。決して己の身にはならないのですが」  素手で扉を叩く者。体当たりする者。悲鳴と怒号と助けを乞う幾つもの声がとぐろを巻き、出口の無い空間に滞留しては(ひし)めき合う。ほんの数分前までは自分達と同じ境遇だった仲間が、牙を剝いて仲間の血肉を喰らう。そうして命尽きた者までが、程なくして起き上がるや同じように他者に襲い掛かった。  ――地獄だ。私達は今、地獄の釜の中に居る。  あまりの光景に、私は逃げることもせず呆然と立ち尽くしていた。目の前の現実が、まるで遠い世界の出来事のように思えた。  しかし、それは確かに実際に起きていて、私だけを置き去りにするようなことはなかったのだ。  不意に、眩暈を覚えた。世界がぐるりと回転するような凄まじい酩酊感。堪らず嘔吐し、たたらを踏む。しまいには留まれずに(くずお)れた。  それは心因性のものではなく、紛れもなく私の肉体が変調を来した表れだった。遂に、私の番が来たのだ。  画面の男の声だけが何事もないように淀みなく説明を続けていた。 「ところが、稀に生きたまま――自我を保有したまま上手く細菌に適合して変化を遂げるケースがあるのです。その場合は知能があるのは勿論のこと、強靭な肉体に高い自己再生力、更には特殊な固有能力までもを備えた個体が現れることがあります」  霞み出した視界の端、抗うように顔を上げると冴えた月光に似た白銀色が引っ掛かった。あの紫電の瞳の青年だった。私と同じく逃げそびれたのか、集団から離れた位置にぽつりと独り取り残されている。そこに、牙を剥いた動く死体がゆっくりとにじり寄っていく様を見た。  瞬間、脳内にある映像がフラッシュバックした。雪崩(なだれ)込む機械兵。黒光りする銃身。鉛の雨を浴び、宙を舞う妹の細い身体。  ――駄目だ。  白み始めた頭の片隅で、私は必死に前方へ手を伸ばした。 「〝吸血鬼(ヴァンパイア)――人類の救世主となり得る、理想の不死兵(アンデッド・ソルジャー)。それが、我々の求める強大な力。さあ、この中の何人が、その領域に至ることが出来るでしょうか。改めて、皆さんの新たな門出に、祝福を」

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