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3-8 彼のじゃない、血の味。

 セーラちゃんを送り届けた後、階段を降りて自室へ向かうと、玄関の前に金髪のヤンキーの姿があった。  俺は内心、溜息を吐く。 「何で居るの」  この所、毎日のように〝お楽しみ〟だった筈なのに、今日は一体何の用だ。  冷めた問い掛けに、返ってきたのは答えではなく高圧的な質問だった。 「どこ行ってた」 「別にどこだっていいでしょ」 「アインスと一緒じゃねーのか」 「何でアイちゃん? セーラちゃんの相談事に乗ってただけだよ」  別に話すこともないし話す気力もないので、とっとと自室に引っこもうとドライの横をすり抜けて玄関扉を解錠する。そのまま開扉して一歩進めたところで、 「てめぇ、アインスと寝てんだろ」  背中に掛けられた言葉に、思わず足を止めた。ドライが続ける。 「昨日はてめぇも呼んでやろうかと思ってたのに、部屋に居ねえからよ。朝方、アインスの部屋から出てくんの見たぞ」 「……ああ、そう。夜は逆隣がうるさいから避難させてもらってるだけだよ」 「それだけか?」 「それ以外に何があるっていうの」 「ヤってんじゃねえのか」 「何を」 「セックスに決まってんだろうが。お前らの距離感おかしいもんよ」 「何言い出すのかと思えば……君じゃあるまいし、そんな野蛮な」  つい鼻で嗤ってしまった。聞いてられない。追い払うべく扉を閉ざそうとすると、隙間にドライの足が差し込まれ、阻まれた。 「ちょっと」  抗議の声も無視して、そのまま彼は強引に中に押し入ってきた。 「ちゃんと答えろよ。ヤったのか?」  野卑な冗談のつもりかと思っていたけれど、ドライの目は笑っていなかった。むしろ、睥睨する緋色の瞳の奥には滾る怒りの色がある。  ――何を怒っているんだ? 意味が分からない。 「してないよ。アイちゃんは、そんなんじゃない」 「ウソつけ。男なんて皆同じだろうがよ」 「アイちゃんは違う!」 「アイちゃんアイちゃん、うるせーんだよ!!」  突然の大声に、息を呑んだ。見上げたドライの表情は何故かしら苦しげで、喉から絞り出すように彼は言った。 「オレを見ろよッ!」  数秒、間が空いた。金縛りから解けると、俺は視線を逸らし、溜息混じりにいなした。 「君さ、何カリカリしてるのか知らないけど、俺を見返したいのなら、こんなやり方じゃ逆効果だよ? これじゃ、まんま思い通りにならなくて駄々こねてるだけの子供じゃん」 「っ……ガキ扱いすんな!」 「子供(ガキ)でしょ。アイちゃんに迷惑掛かるかもだし、あんま大声出さないでよ」  呆れた心地で吐息を漏らすと、不意に顎を掴まれて振り向かされた。熱い、弾力のある感触が唇を覆う。それがドライの唇だと分かった瞬間、隙間からぬるりと肉厚の舌が割り込んできた。 「!?」  背筋に怖気が走る。ドライの胸を押し、勢いよく顔を背けて交わりを断った。 「はぁ……何すっ」 「オレが子供(ガキ)じゃねーってこと、てめぇの身体に教え込んでやるよ」  ゾッとする程、真剣な怖音だった。  直後、押されて床に突き倒される。打ち付けた痛みに息を詰まらせている間に、両手首を掴まれて纏めて頭上に持ち上げられた。  再び唇を押し付けられる。今度は逸らせないように先程よりも強い力で顔を掴まれて固定された。  逃げ場の無いキス。程なく侵入してきた舌に、荒々しく口内を蹂躙される。否が応でも息が上がり、身体から力が抜けていく。  焦燥が募る。  どうして。どうして、こんなことになった? 俺は何か対応を間違えたのか?  蠢くドライの舌に、思い切り牙を突き立てた。 「いッ!」  流石に効いたようで、ドライの口が離れていく。ホッとしたのも束の間、意趣返しとばかりに着ていたシャツの前を力任せに引き裂かれた。  外気に晒された素肌の心許なさに、恥辱を掻き立てられる。 「てーな、ちったぁ大人しくしろ。何も痛めつけようってんじゃねえ、気持ちよくしてやるっつってんだよ」  ――天使(あんじゅ)。  耳元に、神父様の声が蘇った。途端、全身の血の気が引いていく。 「やっ……」  ドライの手が、(あらわ)になった胸元に滑り込んだ。柔肌を撫でられる感触に、一斉にうぶ毛が逆立つ。こちらを見下ろす彼の赤眼に映る俺の瞳も、同じように紅に染まっていた。 「やめろっ!」  叫ぶと、ドライがぴたりと動きを止めた。その表情が虚ろな人形のようになったのを視認して、俺はハッとした。  ――効いた?  俺の能力の〝催眠〟。試したことはなかったけれど、もしかして、同族(吸血鬼)にも有効なのか?  それを確かめるべく、俺は命令を続けた。 「このことは忘れて……このまま出てって」  すると、ドライは無表情のままこくりと頷きを返し、ゆっくり俺から離れて立ち上がった。そのまま背を向けて部屋を退出していく。扉の閉まる音が聞こえた。  効果の程を確信するや、俺は深く長い安堵の息を吐いた。  ――良かった。効いた。  危なかった。助かった。  しかし、身体に力が入らずに、なかなか起き上がれない。手を見ると、情けない程に震えていた。 「……悔しいな」  俺は、未だにこんなんだ。  口元に自嘲を刷く。口内にはドライの血の味が残っていた。アイちゃんみたいに甘くない、しょっぱくて苦い味だった。

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