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【番外編】グラディウス帝国皇帝アイルの回顧録
―――先代の皇帝と皇太子を討ち、皇帝として即位したのは15歳の時だった。
当時は帝国内を纏め上げるので精いっぱいだった。そんな折、即位式典が開かれ、隣国のカレイド王国からも祝福を受けることになった。
カレイド王国は聖女や聖者が産まれやすい国。それはかのテゾーロ神聖国も一目置く理由である。グラディウス帝国が大陸の覇権を握ろうとも、その影響力は屈指のものだ。
先代の皇帝がカレイド王国に手を出そうとした時、俺の心は震えた。
―――あそこには、あの子がいるから。
***
出会いは、俺が呪われた皇子と呼ばれていた頃に遡る。あれは確か、8歳くらいの頃の話だったか。
先代の皇帝が己の侵略・征服戦争の勝利を祝う式典に、カレイド王国を始めとした諸外国の王侯貴族や使者も参加していた。
それには国同士のやり取りもあったし、また自身の国を守るためでもあったのだと思う。
俺はそこで見世物のように帝国の力を示すためのバケモノとして晒された。
暫くすれば、俺にばかり視線が行くのが面白くなくなった先代皇帝により、俺はパーティー会場を追い出された。
―――俺は先代皇帝の戦争の玩具。先代皇帝をどんなに憎もうが、弟が涙を流して俺を思おうが、変わらない。俺はこの帝国、そして先代皇帝と言う後ろ盾を失えばたちまちバケモノとして駆逐されるのだろう。
人の身で神の如き力を得た、得体の知れない皇子。その力を使う代償は、“呪い”と言う形で俺の身体を蝕み続ける。
それでもなお俺は戦争の玩具であるしかないのだと、悲観に暮れていた。
帝国城の中庭は、当然のことながら人はいない。みな、パーティー会場にいるのだから。先代皇帝の機嫌を取るのに必死なのだ。
「わぁ、お兄ちゃんきれー」
そんな時、常に辺りを警戒しながらベンチに腰かけていた俺の元に、いつの間にか近づいていた子供がいた。
「―――誰だ」
思わず眉を顰めれば。
「ティルだよ!」
俺よりも2歳ほど年下だと思われるその子は、そう名乗った。
「あ、ちがった。カレイド王国第1王子、ラティラと申します!」
―――あのカレイド王国の、第1王子。聖者とか言う存在か。
そんな聖者が何故、俺の元に?
「お兄ちゃん」
「そなたの兄ではない」
「じゃぁ、なんて呼ぶ?あ、デスカ」
「―――。アイル」
俺は、当時誰にも呼ばれないその名を口にした。弟は“兄上”と呼ぶ。先代皇帝は俺を“バケモノ”と呼ぶから。
「あいるたーんっ!」
“たん”って、なんだ?しかし、不思議と嫌な気分にはならない。
「あいるたん、ちょっと悲しそう」
「そうか」
「ティルが、おまじないしてあげよっか」
「おまじない?」
「うん!」
そう言うと、“ティル”は俺が腰掛けるベンチに上がってきて、俺の隣に膝立ちで近寄って来た。そして頭を左右から両手で掴んで、―――って、何をする気だ!?
いや、聖者とは言えこんな子どもに俺のようなバケモノをどうにかできるはずはないだろうが。
―――しかしながら。
聖者、か。
バケモノ退治にはおあつらえ向きだ。俺のようなバケモノを聖者が退治してくれるのならそれも、悪くはない。
俺は、静かに目を閉じた。
そして、
ちゅっ
何故か頬に、柔らかい感触が落ちてきて、ハッとして瞼を上げれば。
「えへへー、元気の出るおまじないー」
は、はぁ?今、口づけをされたのか?それに、何故だか蝕んでいた呪いの代償が少し軽くなったような。
「よしよ~し、いい子!」
そう言って、“ティル”は俺の頭をよしよしと撫でてきた。本当にこの子は、何を?
そんな時、「兄上」と呼ぶ声が響いた。弟の声だ。
「あ、いけない!みつかっちゃう!じゃぁ、またね!」
どうやらティルはパーティーが退屈で抜けてきたらしい。来るのは俺の弟なのだが、逃避行は誰にも見つかりたくないようで。―――俺は、いいのか。何だかその時、ティルの特別になれた感じがしたのだ。
どうしてか、それが妙に嬉しくて。
だが、あのような子ども一人で帝国城内をうろつくのは。
そう思った時。
ひょいっとベンチを降りて、俺に手を振るティルの傍らに男がいた。その男を見た瞬間、何かを感じた。そう、この代償とリンクする、何かを。
―ティルが気に入ったんだ。特別な、人間―
そう、ひとならざる声が脳裏に響いた。その後弟と合流したものの、あの時ティルにもらった口づけの余韻はいつまでも、いつまでも俺の頬に残った。
***
―――忘れたことなどない。そして、先代皇帝がカレイド王国に侵攻しようとしているのを察知した俺は、遂に先代皇帝と皇太子を討ちとり、皇帝の位についた。
そして15歳の時、13歳になったティルと再会した。ティルは俺のことなど覚えていない様子だったが、それでもティルの父親の国王と挨拶に来てくれた時は嬉しかった。昔の拙い挨拶とは違い、完璧な王子としての挨拶。この数年で、ここまで成長したのか。
同時に、ティルを手に入れたい。そんな独占欲が湧いた。そんな独占欲は許されるのだろうか。俺はつい、ティルの従者の男に目を向けた。そうしたら、脳裏に響く声はなかったものの、男はふわりと微笑んだ。この、片思いは許されるものなのか。そんな、直感があった。
ティルを手に入れるため、俺は帝国内を纏め上げ、諸外国との交流も友好的に進めた。侵略戦争をひたすら行ってきた先代とは違う。先代とは違う関係を造りたい。そんな思いで皇帝として東奔西走した。
だいぶ帝国内を纏め上げて国内情勢が落ち着いてきた時、とある一報が舞い込んできた。
―カレイド王国の第1王子・ラティラが皇帝への嫁入りを望んでいると―
その知らせを聞いた時、俺はどんなに嬉しかったか。しかしながらティルの母親は先代皇妹。カレイド王国は彼女の罪を裁くため極刑を下し、帝国内の先代皇妹派を抑えるために先代皇妹の息子であるティルの嫁入りを打診した。
カレイド王国が何を企んでいるのか、先代皇妹派がその息子に付き再び勢いを取り戻すつもりかもしれない。多くの憶測が飛び交い、ヒューイもコンラートも議論を白熱させていた。
だが、俺の気持ちは決まっていた。―――ティルを、手に入れる。またとない機会だ。しかも聖者であるティルはカレイド王国によって絶対的に庇護される存在だ。そんなティルを嫁にできる機会が訪れるなど、そんな奇跡があるのか。
カレイド王国ごと手に入れると言う選択肢もないわけではない。しかしそれをやれば先代皇帝と同じになってしまう。せっかく手に入れた国内外の信頼を失うわけにはいかない。カレイド王国に手を出せば、テゾーロ神聖国と本格的に敵対することになってしまう。帝国が負けることなどあり得ないが、もし負けた時はカレイド王国は、聖者であるティルはテゾーロ神聖国に囚われて何をさせられるかわからない。
ティルを守らねばなるまい。そして、手に入れることがほぼ不可能だと思われていたティルが自ら俺に嫁いでくれると言う。その知らせを聞いた時、どんなに嬉しく心の中で舞い上がったであろうか。ティル、ティルがどのような魂胆で嫁いでくるのかはわからない。―――けれど必ず、ティルを我が伴侶にする。ティルの心を、手に入れて見せる。
そう誓い、俺は先代皇妹の命と引き換えに、先代皇妹派の反発を抑えるために嫁いでくるティルを迎えた。
―――それがまさか、しょっぱなから“アイルたん”と甘い声で脳裏に連呼されるとは思わなんだが。
***
「ねぇ、アイルたん」
そして現在、嫁いできた瞬間から俺が大好きと言うアピールを脳裏に焼き付けてきたティルが、ベッドの上で俺の腕の中で微笑んでいる。
「ん?どうした?ティル」
「ふふっ、俺ね、小さい頃に一度だけアイルたんとお話したことがあるんだ」
「えっ」
それは、俺が8歳くらいの時の?ティルは当時6歳くらいだったと思う。小さな頃のことだったから、きっとティルは覚えていないだろうからと胸の奥底にしまっていたことだけど。
「ほら、おまじないっ」
そう言ってティルは、俺の頬に口づけを落とし、頭をなでなでしてきた。
「えへへー、アイルたんは覚えてないかもだけど、俺の大切なアイルたんとの運命の出会いっ!」
「―――っ!覚えていないはずがない」
「ふぇ?」
「あぁ、ティル。あの時からずっと、愛してる」
俺はティルの唇に自身の唇を重ねた。
ちゅぱっ
「あ、アイルたんっ」
「あの時からずっと、愛してる」
「ん、多分俺もその時から惚れてたのかもしれないっ!愛してるよ、アイルたん」
ティルの笑顔に、心も身体も満たされていく。そんな愛らしいティルを俺はそっと抱きしめ、その腕の中でティルが微笑み、身体をキュッと擦り付けてくれるのがわかった。
あぁ、ティル。今日も愛している。そんな幸せな時間をいつまでも、いつまでも。
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