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七十五 二人きりの旅行

 過去より今が大事だ。俺は過去に執着するような小さい男じゃないし、俺より長く生きている律の過去を気にしてたって仕方がない。だから全然気にしていないんだ。 (それに、もう会うこともないだろうし)  石黒は会社の人間じゃないし、逢うこともないだろう。もしかしたら街で偶然すれ違うくらいはあるかもだけど、だからって律が連れて行かれるなんてことはないはずだ。もう、起きていないことを恐れるのは止める。だから、何の心配もない。 「おおー、すっげー景色!」  岸壁が剥き出しの山肌から、煙が噴き出ている。周囲に立ち込める硫黄の匂いが鼻孔を擽った。この空間に居るだけで、温泉に浸かっているような気分になる。雄大な景色に圧倒されながら、律の指さす方角を見た。 「見ろよ、富士山! デケー!」 「すげー、こんな近いんだ。ヤバ」  青空にくっきりと浮かぶ富士山の姿に、思わず口を開けて驚いていると、横顔を律がスマートフォンで撮影する。変顔を撮るな。 「律、そっち立って」  富士山をバックに撮影してやろうと、カメラを構える。愛嬌たっぷりに笑う律に、こっちまでつられて笑った。  それにしても外国人観光客が多い。どこから来たのか分からないが、飛び交う言語が日本語じゃない。日本人かと思って耳を澄ませれば、多分アジア圏の人間だ。多いとは聞いていたが、こんなに多いものか。 「Could you please take a picture?」 「OK~、OK~」  不意に話しかけられ、律が気軽に返事をしながらスマートフォンを受け取る。あのコミュ力を見習いたいもんだ。律はスマートフォンを返却しながら、こっちも撮って欲しいと伝えたようだ。スマートフォンを手渡し、俺の腕を引っ張る。  誘われるままにカメラに向かってピースをした。 「Thank you~。Have fun!」  手を振って旅行者と別れ、撮影した写真を確認する。二人並んで映る姿は、思ったよりもずっとしっくり来た。 「良い写真。送るねー。待ち受けにしよっと」 「っ……。俺も」 「えー? バレない?」  そう言いながら、律の唇はニマニマと動いている。俺は唇を結んで、ふんすと鼻を鳴らした。 「別に、おかしくねえだろ。――それに、良いんだよ」 「良いんだ?」 「うるせえなあ」  ちゃんと『好き』だと言い合ってから、ちょっと揶揄ってくるんだよな。お互い、なんとなく将来のことまで見据えるようになったからだろうか。  俺と律は多分、この先もずっと一緒にいて、寮を出たあとも、一緒に過ごしていく。正確に結婚出来るわけじゃないけど、夫婦みたいに、暮らしていくんだ。漠然とそういう未来を意識するようになって、なんとなく安心感が変わった気がする。まだ、兄以外の誰かにカミングアウトするつもりはないのだけれど――。  なんとなく、そう言う未来を、想像するようになった。 「くろたまご買いに行こうぜ。売り切れることもあるって!」 「そうだった。早く行こう」  他人の目線からは、俺と律はどんなふうに見えているんだろう。仲の良い先輩後輩みたいに見えてるんだろうな。きっと、恋人だと思ってる人は居ないんだろう。 (まあ、他人の目が大事なわけじゃないけどさ)  知らない他人に、二人の関係を認めて欲しいわけじゃないけれど、最初から存在しないように思われるのは、何だか納得できない自分も居る。今まで、マイノリティな人たちのことを、考えたことなんかなかった。自分とは無関係の世界で、そういう話はニュースやネットの中だけの話だったけれど、もう他人事じゃないんだ。  本当の意味で、俺はまだ律と生きて行くことの意味を解っていないのだと思う。けど、どんな障害があったとしても――諦めずに、律と寄り添って生きて行くと、決めたんだ。

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