88 / 96

八十六 どういうこと?

 アイツだ。アイツに違いない。確信して、俺は部屋に帰るなり、名刺ケースをひっくり返してそれを探し出す。 「あった……」 『株式会社SDM 代表取締役社長 石黒貴彦』  石黒。律の先輩で、夕暮れ寮のOBだという男。律は何とも思っていないようだった。むしろ、迷惑がっていた。そう思ったのに。 (なんで、言わなかったんだ)  ザワザワと、胸がざわめく。嘘を吐かれたとか、思っちゃいない。律に限って、そんなことしないって解ってる。  じゃあ、どうして不安なんだ。 『――律、石黒と昔、なんかあったの?』 『それは、言いたくない……かも」  言い淀んだ律の言葉が頭を過る。俺の知らない律がいることに、不安があった。不安で、余計なことばかり考えてしまいそうになる。 (電話――して、みようか)  電話をすれば、気持ちが落ち着くかもしれない。でも、もし。  もし、実家じゃなくて、石黒と一緒だったら?  ゾクリ、最悪な考えをした自分に嫌悪して、枕を叩いた。  律。律。律。  律のことを信じてる。律を愛してる。律がなにをしていようと、なにを考えていようと、手離す気はない。  だから、これは妄想で、杞憂なんだ。 (また、起こってもいないことで、不安になってる……)  ベッドにうつ伏せになって身を投げ出し、ぼんやりと外を眺めた。カーテンを閉め忘れた窓に、夜空が広がっている。田舎の空は、真っ暗だ。深い闇の底みたいで、落ち着かない。    ◆   ◆   ◆ 「キャンプは随分、楽しかったみたいだな? 俺のメッセージに反応もしないなんて」 「ちっ……違うよ! 電話しようと思ったんだけど!」  俺はさっそく、帰宅した律に詰められている。こんなはずじゃなかったのに、何で怒られてるんだろうか。いや、返信しなかった俺が100パーセント悪いんだけども。 「けどぉ~?」 「くっ……。か、家族団らん、邪魔しちゃ悪いかなって……」 「ふぅん? まあ、そう言うことにしておいてやるか」 「……」  律の様子は、いつも通りだった。石黒に連れて行かれたと思うのだが、そこのところはどうなのだろう。律は、隠す気なんだろうか。 「急に、どうしたの? 実家行くって、言ってなかったよね」  探るようで少し嫌だが、気になってしょうがない。律はどうするつもりだろう。少し咎めるような言い方になってしまったと思いながら、律の様子を見る。律はスマートフォンの充電器を鞄に詰め込みながら「んー」と答える。 「実家は、ついで。他に野暮用が出来て――まあ、ちょっとなあ……」 「なに? 野暮用って」 「んー」  また、言葉を濁す。苛つきそうになるのを堪えて待つ俺に、律がぎゅっと抱き着いてきた。 「っ、なに……」 「癒されてぇの」 「……なにそれ」  少し気恥ずかしい。こんなので、癒されるのか。意味わからない。  ハァと息を吐いて、律の髪を撫でた。柔らかい髪に顔を埋めて、耳元にキスをする。 「……河井さんのこと、片付いたから」 「ん? どゆこと?」 「なんか、向こうが察してくれた」 「アハハ! ドヘタレめ。この女ったらしが」 「なんで貶されんのよ」 「彼氏がこんなんで、おれって苦労しちゃいそう」 「それ、河井さんにも言われたから」 「えー? なにその『解ってます』って感じ。おれのが解ってるんだけど?」 「そりゃ、律ちゃんが一番よ」 「当たり前」  そう言って律が唇に噛みつく。マジで、嫉妬されんの、可愛いんだけど。ちゅっと唇を重ね、啄むようなキスを繰り返す。 「で、律の方は言わない感じ?」 「あー」  露骨に目を逸らされ、唇を曲げる。知ってるんだぞと、言ってやろうか。そもそも、何でアイツに着いていったんだ。嫉妬で狂いそうだぞ。 「言えないようなこと?」 「そう言う訳じゃないんだけど――いや、言うとさあ……」  もごもごと口を動かす律に、眉を寄せる。どういうことだ。 「いやー……。んとに、あのクソ野郎……」 「……もしかして、脅されてる……?」  つい、ボソッと呟いた言葉に、律が顔を上げた。 「そう! それ!」 「は」 「いやー、脅されてんだわ。マジで。だから、ちょっとゴメン!」 「え? 律?」  脅されてる雰囲気ではないが?  一体何なのだと混乱する俺の手を、律が両手で握りしめた。 「だからな、ゴメン」 「え? 何が?」 「来週一週間――たぶん、一週間くらい、ちょっと忙しくて夜とか遅くなるから!」 「は?」 「ごめんな! 愛してるっ!」 「いや、愛してるって……律!?」 「じゃあ、おれまた今から出なきゃなんだわー。ごめんな、脅されてて~」 「いや、脅されてるノリじゃねえよ! おい、律!」  律はそう言うと、鞄を抱えて、嵐のように出掛けて行ってしまった。

ともだちにシェアしよう!