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番外-蜜月2-

 動かないロバの手綱を握りながら、少年は困り切っていた。  少年は住んでいる農村から領主の館へ、今年最初のリナリアの実を納品するため急いでいた。  リナリアの実はこの地域特産の高級な果実で、十数年前に領主が持ち込んだ種から始まっている。今では、貧しかった領地のほとんどでリナリアが栽培され、民の生活を豊かにしていた。  収穫時期を迎えたリナリアは一番良い品質の物を選別され、木箱に宝石のように大事に詰められて荷車で運ばれていた。  地元の村を出たのは朝、日が昇る頃だった。収穫したばかりの甘い匂いのする果実を急いで選別し、木箱へ詰めて出かけたのだ。しかし今はもう、天高く昇った太陽が少し傾き始めている。  少年は荷運びの仕事をするのは初めてではなかったが、領主の館には行ったことがなかった。それで休憩のタイミングに失敗し、疲れ切って喉のかわいたロバは道ばたで動かなくなってしまったのだ。   「日が暮れてしまったら、どうしよう……」  ロバの側で蹲った少年は、途方に暮れてそう呟いた。 「おや、いい香りだね。リナリアの実か、そろそろ収穫時期だ」 「えっ……」 「行商に行く途中かな。大変だね。この水袋を使うといいよ」  少年が顔を上げた先には――天使がいた。  日の光にまばゆいほど輝く金髪を、緩く編んで肩に流した美丈夫は、簡素な服を着ているにもかかわらず気品があった。お忍びの貴族だろうとすぐにわかってしまう。白磁のような肌は日焼けもなく、そんな綺麗な肌を持つ平民なんて王都にもほとんどいないだろう。  彼は澄んだ青空のような瞳でロバを見つめ、水袋から水を飲ませてやっている。伏せた睫毛がうっすらと影を落とし、そんな姿も慈愛に満ちていて、まるで聖女だ。いや、女神だろうか?  少年はぼうっとその姿を見つめたまま、暫し動けなかった。しかし新しい水袋を差し出されると、急に喉の渇きを思い出し、礼を言って貪るようにその水を飲んだ。 「ゆっくりでいいよ。どこまで行くのかな?」 「りょ、領主様の館へ、納品なんです」 「ああ……丁度良い」  にっこりと、輝かんばかりの笑顔を浮かべた彼は、ひとつ頷いた。そして『同じ道だから一緒に行こう』と荷車の荷台の方へ回ってきた。  そこへ相乗りするのかと思いきや……彼は突然、三段に詰まれている木箱をひょいと二つほど肩に担ぎ上げたのだ。 「……へ!?」 「出来るだけ軽いほうがいいだろう? ロバの速度なら一緒に歩いて行けるから、さあ行こう」  ぎっしりとリナリアの実の詰まった木箱は、かなり重い。ひと箱でも大人の男が二人がかりで持ち上げてそっと荷車に乗せたのだ。それを軽々と二つ、重ねて肩に担ぎ上げている。ちょっと常軌を逸した光景だった。  しかし荷の軽くなったロバは、喜び勇んで歩き出してしまった。ポクポクとロバの蹄が道を叩く音が響き、荷車が進む。その横を、金髪の美しい青年は涼しい顔で歩いている。その額には汗の一粒も浮かんでいない。 「……」  天使はとても力もちだったのだ。  そういえばあまりにも美しくて顔ばかり注視してしまったが、彼はとても逞しい身体をしていた。麻のようなざっくりしたシャツからは太い腕が覗いているし、首元から覗く胸筋は布を押し上げてパツパツになっている。  天使だと思ったけれど、戦神といったほうが正しかったかもしれない。  ロバを操る少年は、金髪の美丈夫のその肉体美にも魅了された。  幸運にも、少年は日暮れ前までに領主の館へ辿り着いた。しかしその道のりでの記憶はふわふわとした多幸感に包まれていて、ほとんど覚えていなかったのだった。       ‡ 「まったく無茶をする……」 「少し手伝っただけだよ。それにうちにくる荷物だったのだろう?」  湯を使った後のハロルドが、髪を拭いながらソファに腰掛けた。手を伸ばしてタオルを受けとると、金糸の髪を丁寧に拭っていく。長く伸ばしたハロルドの髪の手入れは、俺の楽しみの一つでもあった。  結婚式には結い上げる事になるので、このままハロルドの髪は伸ばすことになっていた。香油を一滴、手のひらへ落とし、手ぐしでゆったりと滑らかな金髪を梳いていく。 「自ら納品される品物を担いでくる領主がいるか?」 「領主はギルバートだもの。……あ、それよりリナリアの実は」 「熟れたものは部屋に運んである。二箱は厨房に」  それを聞いてハロルドはパッと嬉しそうに唇を綻ばせ、ソファの上でそわそわと忙しなく視線を彷徨わせた。幼い頃からハロルドはリナリアの実が大好きだ。すぐにでも今年一番の実を囓ってみたいのだろう。  鍛錬のついでに散歩に行ってくると出かけたハロルドが、ロバと少年の操る荷車と共に帰ってきたのは夕暮れの事だった。慌てふためく使用人達と執事に呼ばれて出て行った俺は、大きな木箱を大事そうに運ぶハロルドを見てため息をついた。  最近は気さくに領民や使用人達に話しかけたり、畑仕事に手を出したりして、ハロルドは周囲を困惑させている。高貴な身分でそんなことを――という話だけではない。  見た目からは想像できないほど力仕事に向いていて、村の男衆よりずっと役に立つからだ。それは戸惑いもするだろう。驚かせてしまうから少しひかえてやってくれと言ったのだが、ハロルドは無意識に動いているらしく毎日こんな様子だった。  荷運びで服が多少汚れてもハロルドの美しさは損なわれるはずがなかったが、湯を使って着替えてきた方がいいと促して、俺は納品の手続きを執事に任せた。  リナリアは、俺が子供の頃他国から取り寄せたひと籠の実から始まっている。  あの頃、ハロルドの喜ぶような菓子や果実をあちこちから取り寄せていた俺は、遠い山を越えた先からやってきたリナリアの実を手に入れた。そしてハロルドに食べさせてみたところ、今までにないほど喜んだ。相当気に入ったらしく、もう手に入らないかと期待に満ちた目で見てきたので、次の年にも取り寄せた。  そして食べた後のリナリアの実からとった種を、父から与えられた領地に広めた。  父は領地経営も勉強しておくべきだという教育方針で、五歳の頃から俺に土地を与えていた。そこで領民と相談し植物学者を招き、リナリアの実を根付かせることに成功した。  食べられる実ができるまでに、五年かかった。そうして安定してリナリアの実がとれるようになると、俺は毎年ハロルドに採れたての実を山ほどプレゼントするようになった。 「他に加工品も届いている。リナリアの実を酒につけて香りを移したものや、甘く煮て菓子にしたもの……」 「お菓子……そ、そうなんだ……」 「そしてコレが、ブランデーで煮たリナリアの実をチョコレートで包んだもの」 「!!」  ガバッとハロルドが身体を起こした。小さな白い箱にはリボンがかけられていて、王都でも名の知れた菓子職人に頼んで作らせたチョコレートが入っている。  質の良いリナリアを優先的に卸すという契約で特別に開発させ、作らせたのだ。  リボンを解き、宝飾品のように詰められたチョコレートをハロルドの前に差し出す。 「ハロルドのものだ」 「ギル……ありがとう。一緒に食べよう?」  チョコレートを一粒、ハロルドの美しい指先が摘まんだ。最初に俺の口元に持ってくるのは、幼い頃から変わらない。一口だけ囓り、残りをハロルドの口元に近付ける。  ――うん? 思ったよりも、酒の香りが強い。  そう思った時には、もうハロルドはチョコレートを口の中に入れてしまっていた。そして幸せそうな表情をして、口を動かしている。 「ハロルド。大丈夫か?」 「美味しいね、ギル。これはどこのお菓子屋さん……の?」 「……」  ふにゃりと笑ったハロルドは、もう一粒チョコレートを摘まむとまた俺の口元に持ってくる。小さく囓ってやると安心したようにまたチョコレートを口に入れる。ふふ、と笑う吐息にブランデーの香りが漂う。  どうにもふわふわとした様子で、酒に酔った風に見えた。まさか菓子に含まれた酒程度で酔うほど弱いとは、思わなかった。  学園を卒業した時点で正式に社交界に入り成人認定されているが、酒には気をつけたほうがいいかもしれない。頬をバラ色に染めたこんな色っぽいハロルドを、他人には見せられない。 「リナリアの実を食べると昔を思い出すね、ギルバート」  ハロルドは俺の手を握って引くと、続きの部屋へと移動した。そこには開けたばかりの木箱があり、柔らかな布に包まれた薄紅色のリナリアの実が並んでいる。  その実をひとつ手に取ると、ハロルドはまた俺の口元に持ってきた。  カシリ、と歯を立てると少しかための感触と共に、甘酸っぱい香りが漂う。果汁は多く、少し囓っただけで滴るほどに溢れてきた。 「ギル。ギルバート……」  不意に表情を曇らせたハロルドは、急に俺の唇に口づけてきた。そして目元を薄赤く染めたまま、困ったように眉を寄せる。 「どうしよう。ギルには、リナリアの実よりも私を食べてほしい」 「……ハロルド?」 「ダメかな……?」  ダメではもちろん無いが。俺がハロルドを拒むはずがないだろう。ただ、酔った状態でこれはいいのだろうか? 酔いを少し醒まさせたほうがいいか?  俺の一瞬の逡巡を感じ取ったハロルドは、手もとのリナリアと湯を使ったばかりの自分を交互に見て、何故かこくりと頷いた。そしておもむろに、シャツの前を大きくはだけさせた。 「ハロルド!?」 「た、たべて……ギルバート」  ハロルドが手にしたリナリアの実を片手でゆっくり潰すと、溢れた果汁は白く豊満な胸筋の上へと滴った。少しだけ白濁したような、とろりとしたリナリアの果汁が、白い肌の上を滑り赤い乳首を濡らす。 「私を、食べて。ギル……」  返事をする余裕もなく、俺はハロルドの胸に舌を這わせた。  ふるりと尖った乳首に吸い付き、ちゅうっと吸い上げる。ガクガクと震えたハロルドの腰を抱き寄せ、そのままベッドへ運んだ。寝台の上にそっと押し倒すと、ハロルドは熱の籠もった瞳で俺を見上げてきた。 「たべて、くれる……?」 「ああ。余すところなく、俺が食い尽くす」  ハロルドの手を掴み、その中で潰されていた実をシャクッと口の中に押し込んだ。瑞々しいそれを咀嚼しつつ、ハロルドに口づけて共に味わう。  懐かしい味だ。確かに、幼い頃一緒にこの実を食べた記憶は、まだ肉欲もなく優しい思い出として残っている。  けれど、今はハロルドの誘いで全て吹き飛んでしまった。  困った事に可愛い俺の伴侶は、酔って甘え上手になり、俺達は翌日の昼過ぎまでベッドから出られなかった。       ‡  酔いのさめたハロルドは、しばらく真っ赤になって頭を抱えていた。  どうやら俺の上に乗って散々腰を振ったことも、胸を舐めて欲しくて両手でそこを寄せたままねだったことも、尻を自ら両手で開いて奥に欲しいと泣いた事も覚えているらしい。  そして散々ねだられた胸への愛撫のせいで、ハロルドの胸元は赤い吸い跡だらけになっていた。  薄い布地の服を着たらすぐに色で分かってしまうだろう。  ハロルドの肌は白く、鬱血が濃く出やすい。尻も強く揉みすぎると跡がついてしまうから気をつけているが、これもねだられて揉んでいるうちにやりすぎてしまうことがある。  髪の先から足のつま先まで、ハロルドは俺の跡だらけになっている。  それが不意に、たまらなく幸せだと思う。 「ギル。……ねえ、ギル」 「どうした?」 「……結婚式もまだだというのに、私はどうなってしまうんだろう?」  俺の密かな調教が上手くいっているせいなのだが、ハロルドは綺麗な空色の瞳を不安げに揺らしている。  その手を取り、指先に口付けながら俺は唇を綻ばせた。 「俺のハロルド。心配はなにもない。……正式に俺の伴侶となる日を、楽しみにしていてくれ」

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