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第18話 ひよっ子、掃除する

 とは言え、臆病な性格はすぐにどうこうできるわけでもなく。相変わらず一人で行動するとすぐにひとが寄ってくるし、その度にレックスの眉間の皺が深くなっていくので、ヤンは一人行動を諦めた。その代わり、レックスの身の回りの世話に力を入れよう、と思う。けれど元々、レックスは何でも一人でこなしてしまうので、やっぱりヤンの仕事は、一日レックスについて回ることだけなのだ。 (騎士の心得なら、レックス様を見ていれば何か学べるかも)  そう思ってじっと見ていると、レックスはお辞儀を何度も繰り返すようになってしまった。仕事に支障が出るから、あからさまに見るんじゃない、と言われてしまい、今は主人の部屋の掃除をしている。  寝室は絶対に覗くな、と言われているのでそれ以外の部屋を掃除しているけれど、そこを間借りする形で今もヤンは寝泊まりしていた。これも普通ならあり得ないことなのだと理解はしている。理解はしているけれど……。 「やっぱ、雑魚寝じゃないと落ち着かないんだよなぁ」  ヤンは呟いた。アンセルが作ってくれたシュラフは触り心地もよく、身体にピッタリ合っていて使い心地はとてもいい。けれどひとの気配が近くにないからか、やっぱり落ち着かない。  レックスは今、クリスタと束の間の逢瀬を楽しんでいる。その間に掃除を任され、レックスが戻るまで部屋から出るな、と言われているのだ。 「……ん?」  床を水拭きしようとしていたら、レックスの寝室前に何かが落ちている。拾い上げるとそれは、大小様々な大きさのビーズで作られた、花がモチーフの飾りだった。端が紐のループになっており、手軽にどこにでも付けられるものだ。 「……これは、誰のだろう?」  作ったひとが誰なのかは安易に想像できた。似たようなものをヤンは、アンセルの髪飾りで見ていたからだ。では持ち主は、誰だろう? 「レックス様? ……はこんな可愛いの、使わないだろうし……」  それではアンセルかクリスタだろうか。落ちていたのが寝室前だから、出入りするのは……。  どちらもおかしいぞ、とヤンは思う。婚約者とはいえ、レックスが婚前にクリスタを寝室に誘うとは考えにくい。そして、アンセルは言わずもがなだ。 「……」  これは直接、レックスに落ちていたと言って返した方がいい、という結論に至る。彼なら確実に持ち主を知っているだろうし、もしかしたら持ち主も、失くして困っているかもしれない。  そう思って飾りを騎士服のポケットに入れた。主人はまだ戻らないだろうか、と窓から外を覗くと、丁度ルーフバルコニーでお茶を楽しむ二人が見えた。要塞である城に毎日通うクリスタは、男中心の生活に華を添えている。そう思うのは、レックスの表情が幾分か柔らかく見えたからだ。  するとそこへ、アンセルがやって来た。ここからでは会話は聞こえないけれど、少し話したあと三人はとても楽しそうに笑う。 「……」  いいな、とヤンは窓から離れた。自分はレックスに笑顔を向けられる程、まだ親しくはない。  ――自分はまだ、レックスに笑いかけてもらっていない。  そう思ってハッとした。主人に心地よく過ごしてもらう為に自分はいるのに、逆に世話を焼かれてばかりだと。なのに、騎士に相応しくあろうと頑張るほど、全部裏目に出ている気がする。  少し、胸が痛んだ。自分はここにいるしかないのに、騎士なんて向いていない、と言われているような気がする。 「……」  ヤンは持っていた雑巾を床に落とす。そして黙々と床を水拭きし始めた。  ここを出ても行くあてがない。また猫に住む場所を襲われ、蛇に追いかけ回される日々はごめんだ、とここに留まる理由を改めて確認する。 「……っ!?」  すると嫌な予感がしてヤンは顔を上げた。肌がザワついて両腕で自分を抱きしめると、何かの気配を感じる。  反射的にヤンはシュラフに(くる)まり、その気配を探った。まとわりつくようなそれは間違いなく、ヤンたち『家族』を襲った、ベンガル猫のものだ。 (まさか、僕を追ってきた?)  奴の性格からして、見つけたおもちゃを簡単に手放すとは思えない。ヤンは携帯していたダガーを両手でしっかり持ち、気配を殺して奴が去るのを待つ。  それでも、遠くで奴がウロウロしている気配は消えない。すると、一瞬その気配が爆ぜたように大きくなって、何事もなかったかのようになくなった。 「……っ」  今のは何だったのだろう? いずれにせよ、奴がこの辺りにいるのは確かだ。 「――レックス様っ」  しまった、自分の身を守るばかりで、主人の無事を確認していない。そう思ってシュラフから出て、先程覗いた窓から外を見る。  すると彼らは先程と変わらず、談笑しながらお茶をしているではないか。 「僕の……気のせい……?」  元々臆病なのもあって、気配を察知する能力は高いと自分でも思う。けれど、自分がこれだけハッキリと感知できたのに、城の中の誰一人として気付かないのはどういう事だろう?  そう思って、ざあっと血の気が引いた。これはまるで、『家族』が襲われる前と、同じではないか、と。 「し、知らせないと……」  同じようなことになってはいけない。そう思ってヤンは部屋を出た。勝手に外へ出たことは咎められるかもしれないけれど、そんなことよりも城のひとたちの命の方が大事だ。 「あ、英雄様!」  そして部屋を出た途端声を掛けられる。見ると使用人たちがわらわらと集まってきた。 「噂通り、かわいらしいお方だ」 「是非蛇を倒した時の武勇伝を聞かせてくださいっ」 「どちらへ行かれるのです? ご案内しましょう!」  口々に言う使用人たちは、たちまちヤンの行く手を阻み、囲んでしまう。急いでいるのに、と愛想笑いで切り抜けようとしたら、その内の一人に腰を抱かれ尻を撫でられた。 「ひゃあ! な、ななななな何を!?」 「かわいらしい英雄様に、親愛のご挨拶ですよ」 「ズルい! 俺も触ってあやかりたいっ」  何をあやかるんだ、とヤンは思う。慕ってくれるのは嬉しいが、今はそれどころじゃないので先に行かせて欲しい。 「す、すみませんっ! あとで改めてご挨拶させて頂きますから、ひとまずレックス様のところに……!」 「その必要はない」  ヤンがまとわりついてくる人達を振りほどこうとした時、地の底を這うような声がして全員が固まった。  そこにいたのはやはり、怒気を隠そうともしない、レックスだった。

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