18 / 40
第18話 ひよっ子、掃除する
とは言え、臆病な性格はすぐにどうこうできるわけでもなく。相変わらず一人で行動するとすぐにひとが寄ってくるし、その度にレックスの眉間の皺が深くなっていくので、ヤンは一人行動を諦めた。その代わり、レックスの身の回りの世話に力を入れよう、と思う。けれど元々、レックスは何でも一人でこなしてしまうので、やっぱりヤンの仕事は、一日レックスについて回ることだけなのだ。
(騎士の心得なら、レックス様を見ていれば何か学べるかも)
そう思ってじっと見ていると、レックスはお辞儀を何度も繰り返すようになってしまった。仕事に支障が出るから、あからさまに見るんじゃない、と言われてしまい、今は主人の部屋の掃除をしている。
寝室は絶対に覗くな、と言われているのでそれ以外の部屋を掃除しているけれど、そこを間借りする形で今もヤンは寝泊まりしていた。これも普通ならあり得ないことなのだと理解はしている。理解はしているけれど……。
「やっぱ、雑魚寝じゃないと落ち着かないんだよなぁ」
ヤンは呟いた。アンセルが作ってくれたシュラフは触り心地もよく、身体にピッタリ合っていて使い心地はとてもいい。けれどひとの気配が近くにないからか、やっぱり落ち着かない。
レックスは今、クリスタと束の間の逢瀬を楽しんでいる。その間に掃除を任され、レックスが戻るまで部屋から出るな、と言われているのだ。
「……ん?」
床を水拭きしようとしていたら、レックスの寝室前に何かが落ちている。拾い上げるとそれは、大小様々な大きさのビーズで作られた、花がモチーフの飾りだった。端が紐のループになっており、手軽にどこにでも付けられるものだ。
「……これは、誰のだろう?」
作ったひとが誰なのかは安易に想像できた。似たようなものをヤンは、アンセルの髪飾りで見ていたからだ。では持ち主は、誰だろう?
「レックス様? ……はこんな可愛いの、使わないだろうし……」
それではアンセルかクリスタだろうか。落ちていたのが寝室前だから、出入りするのは……。
どちらもおかしいぞ、とヤンは思う。婚約者とはいえ、レックスが婚前にクリスタを寝室に誘うとは考えにくい。そして、アンセルは言わずもがなだ。
「……」
これは直接、レックスに落ちていたと言って返した方がいい、という結論に至る。彼なら確実に持ち主を知っているだろうし、もしかしたら持ち主も、失くして困っているかもしれない。
そう思って飾りを騎士服のポケットに入れた。主人はまだ戻らないだろうか、と窓から外を覗くと、丁度ルーフバルコニーでお茶を楽しむ二人が見えた。要塞である城に毎日通うクリスタは、男中心の生活に華を添えている。そう思うのは、レックスの表情が幾分か柔らかく見えたからだ。
するとそこへ、アンセルがやって来た。ここからでは会話は聞こえないけれど、少し話したあと三人はとても楽しそうに笑う。
「……」
いいな、とヤンは窓から離れた。自分はレックスに笑顔を向けられる程、まだ親しくはない。
――自分はまだ、レックスに笑いかけてもらっていない。
そう思ってハッとした。主人に心地よく過ごしてもらう為に自分はいるのに、逆に世話を焼かれてばかりだと。なのに、騎士に相応しくあろうと頑張るほど、全部裏目に出ている気がする。
少し、胸が痛んだ。自分はここにいるしかないのに、騎士なんて向いていない、と言われているような気がする。
「……」
ヤンは持っていた雑巾を床に落とす。そして黙々と床を水拭きし始めた。
ここを出ても行くあてがない。また猫に住む場所を襲われ、蛇に追いかけ回される日々はごめんだ、とここに留まる理由を改めて確認する。
「……っ!?」
すると嫌な予感がしてヤンは顔を上げた。肌がザワついて両腕で自分を抱きしめると、何かの気配を感じる。
反射的にヤンはシュラフに包 まり、その気配を探った。まとわりつくようなそれは間違いなく、ヤンたち『家族』を襲った、ベンガル猫のものだ。
(まさか、僕を追ってきた?)
奴の性格からして、見つけたおもちゃを簡単に手放すとは思えない。ヤンは携帯していたダガーを両手でしっかり持ち、気配を殺して奴が去るのを待つ。
それでも、遠くで奴がウロウロしている気配は消えない。すると、一瞬その気配が爆ぜたように大きくなって、何事もなかったかのようになくなった。
「……っ」
今のは何だったのだろう? いずれにせよ、奴がこの辺りにいるのは確かだ。
「――レックス様っ」
しまった、自分の身を守るばかりで、主人の無事を確認していない。そう思ってシュラフから出て、先程覗いた窓から外を見る。
すると彼らは先程と変わらず、談笑しながらお茶をしているではないか。
「僕の……気のせい……?」
元々臆病なのもあって、気配を察知する能力は高いと自分でも思う。けれど、自分がこれだけハッキリと感知できたのに、城の中の誰一人として気付かないのはどういう事だろう?
そう思って、ざあっと血の気が引いた。これはまるで、『家族』が襲われる前と、同じではないか、と。
「し、知らせないと……」
同じようなことになってはいけない。そう思ってヤンは部屋を出た。勝手に外へ出たことは咎められるかもしれないけれど、そんなことよりも城のひとたちの命の方が大事だ。
「あ、英雄様!」
そして部屋を出た途端声を掛けられる。見ると使用人たちがわらわらと集まってきた。
「噂通り、かわいらしいお方だ」
「是非蛇を倒した時の武勇伝を聞かせてくださいっ」
「どちらへ行かれるのです? ご案内しましょう!」
口々に言う使用人たちは、たちまちヤンの行く手を阻み、囲んでしまう。急いでいるのに、と愛想笑いで切り抜けようとしたら、その内の一人に腰を抱かれ尻を撫でられた。
「ひゃあ! な、ななななな何を!?」
「かわいらしい英雄様に、親愛のご挨拶ですよ」
「ズルい! 俺も触ってあやかりたいっ」
何をあやかるんだ、とヤンは思う。慕ってくれるのは嬉しいが、今はそれどころじゃないので先に行かせて欲しい。
「す、すみませんっ! あとで改めてご挨拶させて頂きますから、ひとまずレックス様のところに……!」
「その必要はない」
ヤンがまとわりついてくる人達を振りほどこうとした時、地の底を這うような声がして全員が固まった。
そこにいたのはやはり、怒気を隠そうともしない、レックスだった。
ともだちにシェアしよう!