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第28話 ひよっ子、手当てされる

 手には無数の木片が刺さっている。壊れたドア付近の破片なので、素手で握ること自体危険な行為だ。それをナイルを傷付ける勢いで刺したのだから、当然のことだろう。  座ったヤンの正面に、レックスが膝をつく。彼は道具一式からピンセットを取り出し、一つ一つ、木片を取り除いていった。 「奴をどうにかできると思ったのか?」  冷えた声。レックスは怒っているらしい。  それも当然だ。易々と攫われ怪我を負い、こうして文字通り主人の手を煩わせているのだから。 「すみませ……」 「しかも騎士服はどうした?」  木片を丁寧に取りながら、レックスはこちらを見ずに言う。ああ、また迷惑を掛けてしまった、とヤンは肩を落とした。結果的にナイルを大人しくさせたとはいえ、大事になったのは間違いない。  ナイルや蛇から逃げて逃げて、やっと辿り着いたこの居場所は、やっぱりヤンに相応しい場所ではなかったのだ。ナイルへの報復心だけでは、剣など握ったことがない自分に騎士など勤まるはずもない。それは、当然のこと。  視界が滲んだ。やっぱりこのまま城を去ろう。住む場所を探すところから始めないとな、と思う。  想いが通じ合ったと感じたけれど、これ以上、レックスには……一番大切なひとには迷惑を掛けたくない。 「ご、ご迷惑おかけして……すみません……」  目から涙が落ちる。そっとレックスを見ると、彼は今までで一番、いや、それの比じゃないくらいに眉間の皺を深くしてこちらを睨んでいた。とても攻撃的な表情に見えて、思わず小さく悲鳴を上げる。  レックスはヤンの手当てをしていた手首をギュッと握った。痛くて顔を顰めると、木片を取りきった手に薬を塗られ、ガーゼを当てられ包帯を巻かれた。それはもう、指が動かせないほど幾重にも。 「れ、レックス様……?」  どうしてこんなに巻くのだろう、と主人を見るけれど、彼は無言で反対の手も手当を始めた。  顰め面で何も言わないレックスが怖くて、お辞儀もないので、余計に何を考えているのか分からない。 (……そうだ、お辞儀もない)  いつもなら、怖くてもお辞儀をされると、それで少し気持ちが和んでいた。それなのに今は、ヤンの手を睨みながら手当てをし、無言でいる。  もしかして、今回のことでお辞儀もしたくなくなるほど、呆れられたのだろうか。いや、呆れられるならまだしも、嫌われたのかもしれない。  ――それもそうだよな、と思う。自分が動けば面倒事が起き、何をやっても及第点にならず、レックスを怒らせる羽目になっている。今まではそれでも寛大な心で許してくれていたのだろう。ヤンは彼に感謝をした。  けれど同時に、嫌われたくないという不安がどっと押し寄せてきたのだ。『家族』を亡くし、職を失って、住む場所もなかったヤンに、居場所を与えてくれたレックス。呆れながらも、仕方がないなと言って欲しい。ヤンの心の穴を、埋めてくれるレックスにそう言って欲しいと。 「……っ」  ボロボロと目から水滴が落ちた。ここで泣いたらレックスは、もっと呆れてヤンを嫌うかもしれない。それは嫌なのに、堰を切ったように涙は止まらなかった。 「レックス様……っ」  嫌わないで、お願いですから。そう言ってヤンは言葉を紡ぐ。 「僕、レックス様が好きなんですっ。おそばに居させてくださいっ! 城を追い出されたら行くあてがありませんっ。何でもやりますから……!」  そう言うと、レックスは手当していたヤンの手を強い力で握った。ヤンは声を上げて顔を顰めると、レックスは手早く薬を塗って包帯を巻く。 「話は帰ってからだと言っただろう」  今は任務中だ、忘れたのか、と言われ、レックスはそのまま立ち上がって去ってしまった。 「……っ」  確かに今はナイル討伐の仕事中だ。けれど、だからと言って、ヤンの告白をスルーするとは、とヤンは大きなショックを受ける。 「……う……っ」  さらに涙が溢れてきた。ヤンは腕でそれを拭おうとして、大袈裟に巻かれた包帯を見た。手も握れないほど太く巻かれた包帯に、なぜかレックスの過保護な優しさを感じてしまい、こんなところで嬉しくなるなんて、とさらに泣ける。  思えば、今まで体調が悪くても、レンシスにはやんわり仕事をしろと促されてきた。あの村を出たから分かるレンシスの本性に、あれは優しさなんかじゃなかったのだと気付いてしまったのだ。 『そうだよね。やればできる子だものね、ヤンは』  そう言って差し伸べられた手を、拒否したらと考えるのが怖くて、従う以外の選択肢は持たなかったあの頃。上手くいけばレンシスは褒めてくれたし、その日の食事は少し豪華になった。  頼るのはこのひとしかいない、そう思わせておいて――実際、孤児なのだから行くあてもないのだが――上手くコントロールしていたレンシス。  彼が笑顔で、その日の売上が最下位だったひとの食事を下げていたのを思い出してしまった。そして、仲が良かったはずの『兄弟』がどんな顔をしていたのかを。  ――自分だけ生きているのが申し訳なくなった。あの村の中で、ヤンは間違いなくヒエラルキーの上層部にいた。だからこその待遇だったのかと、ようやくあの村の異常さに目を向けることができたのだ。 「だからハリア様は……」  レンシスはよくしてくれた、とヤンが言った意味を冷静に受け取って、複雑な顔をしたのだ。やはり彼は王に相応しい炯眼(けいがん)の持ち主だった。そしておそらく、ハリアはヤンを助けるために城に置いた……。 「……ごめんなさい……っ」  ヤンは自分のせいで亡くなった『家族』を思って、泣いた。

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