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第3話 二人の獣人

 ティティアは海を見たことがないが、きっとうねる波というのはこういうものなのだろうと思った。  横倒しの石柱が砂から引き摺り出されるように、太い腕が姿を表した。  ありえないものに驚愕する時間は与えられなかった。腰を下ろしていた場所は、腕の持ち主の手のひらの上だったらしい。砂の海から現れた化け物を前に、ティティアは声を忘れたように口を開けた。 「ウラドです、ティティア様」 「う、う、うら、」 「ウラド、です。ティティア様」  本当に同じものを見ているのだろうか。そう思うほど、同じ言葉を二度繰り返すロクは冷静であった。  ウラド、と呼ばれた化け物は、女性のように長い髪の隙間から丸い目を光らせて、ティティアを見つめ返している。こんにちはと挨拶を返せばいいのだろうか。  戸惑い、呆気に取られたように語彙力をなくしたティティアを前に、ウラドはゆっくりと口をもごつかせた。 「お迎えにあがりました。ロク、今までお疲れ様」 「お嫁様を寄越せ。迎えの準備はできている」  二つの声色がウラドから放たれる。こんなに大きな巨躯で、耳障りのいい人語を解すか。ティティアはウラドの口から出た、己を指すであろうお嫁様という言葉に、ぎこちなく頷いた。 「ハニ、ニル。その場からではティティア様には姿は見えない。きちんとご挨拶をしろ」 「ウラドって名前じゃないの……」 「喋っているやつは別の獣人二人です」 「じゅうじん」  ウラドの長い黒髪を避けるように、兎の特徴を持つ中性的な少年と、三角耳を長く伸ばした褐色の肌を持つ青年が姿を現した。見慣れぬ装束を纏っていることから、他国のものなのだろう。  緊張を顔に貼り付けたまま微動だにしないティティアを前に、三角耳を持つ獣人が困ったように見つめ返した。 「頭あたりていないのか」 「黙れ。この状況に追いついていないだけだ」 「そうか、ならば説明は道中させてもらう。道を開けハニ」 「くそ狐、俺に命令するな」  ロクの言葉を合図にするかのように、ウラドの体に変化がはじまった。ティティアがへたり込んでいた手のひらが、指を曲げるようにして視界を隔てる。砂から体を引き抜くかのような揺れを感じ取ったかと思うと、視界は瞬く間に真っ暗な闇へと変わった。  ニルの操る砂の化身であるウラドの姿は自在だ。その体を巨大な毒蛇に変えると、ハニが繋げた道へと潜りこむ。  ティティアの返事を待つまでもなく、ウラドは獣人の国へ向け砂の中に身を投じたのだ。  手のひらに守られるように包み込まれたティティアは、蒸し風呂のような暑さの中、尋常ではない速さで砂の中を移動していることだけは理解した。   「まさかここまで人間が弱い生き物だとは思わなかった」 「ニル、まずは俺も含めて反省をするべきだと思う」 「ああ、本当に。面倒くさくて敵わない」  ガラゴロと車輪の転がる音がする。ティティアは今、人間が使うよりもはるかに大きな馬車のコーチの中で、ロクに膝枕をされる形でぐったりと身を投げ出していた。  ウラドに運ばれるように砂の大海を泳ぎ抜けたのは、ほんの一刻ほどであった。  暑さから解放されたティティアは、夜空がかすかに白み始めていることを見届けると、それは綺麗に後ろへと倒れたのだ。  あの時のロクの慌てようは忘れられないかもしれない。人外三人が耐えれる移動をティティアが耐えられなかったことは、皮肉にも人だとお墨付きをもらうようではあったが。 「まだ熱が下がりませんね……。ハニ、城に着いたら部屋を用意してくれ。ティティア様を休ませたい」 「カエレス様もそうしろというだろうよ。俺とニルは……まあ、怒られるだろうが」 「うぅ……気持ち悪い……」 「加減がわからないな……人間って氷結にどこまで耐えられる?」 「ハニ……お前の思っている十倍くらいは優しく接してやってくれ」  ロクの硬い膝枕で首を痛めながら、ティティアはぼんやりする頭で思考を巡らせていた。  砂漠をどうやって抜けたのかはわからないが、最後に見た景色には緑が多かった。  アテルニクスも己の想像よりも緑があったと思ったが、考えを改めざる終えない程にこの国は緑が繁っている。倒れ込んだ草の上も、美しく青々としているほどだ。  豊かな自然に囲まれているからだろうか、ハニもニルもティティアよりも背が高く、魔力量も多いようだ。  ロクは鬼族だから納得できるとして、獣人もまた同じような捉え方でいいのだろうか。  熱った体がかったるくて、体を小さくしてうずくまりたい。横向きに寝返りを打とうとすれば、寝ている馬車の座席からティティアが落ちないようにか、ハニが背中に手を当ててくれた。 「人間って、少しでも環境が変わると死んじゃうかもしれないんだろ。ましてや、お嫁様はオメガだ……」 「おめが……?」 「まさかオメガも知らないのか。人間はお嫁様に何を教えてきたんだ」  オメガってなんだ。ティティアの疑問は、ニルの苛立った言葉を前に、飲み込むしか許されなかった。  苛立ちの矛先は、ロクだ。きっと、何も悪くないだろうに、ティティアのせいで責められている。  寡黙な侍従は、ニルの言葉に首を横に振ることしかしなかった。 「禊だ。ティティア様が供物として上出来な仕上がりになるように、人間の慣わしに乗っ取る形で、時を過ごされてきた」 「偏見じみた敬意を喜べって?ああ、なら説明はそこからか……」 「もうすぐ城につく。……不安は尽きないけど、不安なのは俺たちだけじゃないだろうから」  小さく丸まったまま話を静かに聞いている。ティティアの黒髪に指を通すように、ハニが触れる。冷たい指先が気持ちよくて、思わず吐息を漏らした。  悪い人たちではないのかもしれない。熱にぼやける足らない頭で、都合のいい方に思考を向ける。ハニの心根が滲む言葉は、打算的な優しさしか知らないティティアにとっては少しだけ面映いものに感じられた。

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