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第7話 ウメノの中庭
一度目の邂逅から三日がすぎ、十分すぎるほどの休養をとったティティアは、ようやく床上げが許された。カエレスはその間、一度も顔を見せていない。
ティティアはというと、あの時カエレスが口にした、気に食わない。の言葉の真意を気にして、身の振り方もわからぬ日々に頭を抱えていた。
「気に食わないなって何、やっぱり俺の見た目?装身具じゃなくて、本物の獣の特徴があれば良かったってこと?」
「過去にいた獣王の番いも人族です。そんなことはあるわけがありません。……今は何も、ただあの言葉の割には好意的に見えたんですがね……」
何せ表情の読めぬお方ですから。
ロクのお手上げな様子を前に、ティティアは途方に暮れた。
優しくしてほしいと言った言葉は過分に受け入れられ、元気になった翌日ですら動き回るのを禁止されたのだ。
カエレスから直接言われるのなら納得するが、安静にしておけとの言伝はニルのぶっきらぼうな言葉だけ。
人間の扱いに困っているのだろうなということしか分からない。ティティアはいまだ、子を孕むための役目を求められずに途方に暮れていた。
「産むためにここにいるのに、手も出されないなんて」
「腹をくくるのが早すぎやしませんか……俺は覚悟を決めさせる役割も担っていたんですがね」
「だって俺の存在価値ってそういうことでしょ?なら産むよ、だって死にたくないし」
それに、もともと捧げられる身だったし。
あっけらかんと言うティティアに、妙な男気を感じてしまう。からっとした性格であることは承知していたが、ここにきてそれは際立ちすぎて自己犠牲精神にも見えてくる。
「もう歩いていいんなら、探検したいな。俺が歩いていい範囲とか決まってんのかな?」
「いえ、この城の中ではあなたは自由を許されています。から……何も問題はないんですが……」
きっと、ティティア以外が見れば不機嫌なのかと思うほど、ロクは顔に影を落としている。言いづらい何かを抱えているのだろうなとわかるのは、ロクとは随分と長い付き合いだからだ。
細い足が、ぺたりと床につく。ハニに渡された室内履きに足を通せば、ティティアはよいせと立ち上がった。
ロクが考え事をすれば長いのを知っている。ならば、何がダメかは怒られてから知ればいい。ティティアは考え込むロクの前を通り過ぎると、外へと繋がる両開きの扉を開け放った。
「うわびっく……、誰?」
「ティティア様、勝手に……あ」
両開きの扉を開けたティティアの目の前には、小柄な少年が立っていた。
己よりも背が低く、獣人の特徴を身に宿さない。不思議そうに首を傾げるティティアを見つめ返した少年は、まるで鏡写しかのように首を傾げている。
左右の瞳の色が違う。赤と紫の水晶が嵌め込まれた整った顔立ちは、あどけなさを残しながらも落ち着いた雰囲気を放っていた。
「ハニに呼ばれてきたのか?」
「うん。相変わらず君は壁のように大きいね」
「え、知り合い?」
「ああ、こう見えてウメノは侍医を勤めているんですよ」
にこりと微笑みかけられる。ちょっとドギマギしてしまうのは、ウメノという少年が、女の子のような顔立ちだからだろう。小柄な体のわりに大きなチュニックを着たウメノは、ロクに自己紹介を任せてティティアの手のひらをきゅっと握った。
「えっ」
「おいで、君の話を聞かせて」
「ウメノ!」
「興味は満たさないと! 今の僕にはお嫁様との時間が必要だ」
「えええええ」
小柄なウメノに手を引かれるままに、ティティアは部屋から抜け出した。己の意思を持って起こそうとした行動に理由がついてしまった。ロクの尖った声を背後に、手を引かれるままに回廊を走る。
すぐ追いつかれるだろうなと思っていたが、不思議なことに足は驚くほど軽やかに動く。きちんとした運動を許されなかった足ではないようだ。
疑問を抱えたティティアの手を引くウメノは、そのまま回廊を走り抜け、おそらくエントランスであろう場所も真っ直ぐに走り抜け、どこの階段だかもわからない場所を駆け上がり、二階だろうどこぞの部屋の小窓を開け放ったかと思うと、そこを器用によじ登るようにして箱庭のような場所に出る。
「ここ二階なのに、お庭があるの!」
「ここは一階だよ。お嫁様がいた場所が地下一階。あそこにも庭はあるけど、こっちの方がお陽様は届くから」
「へええぇ……」
パカリとお口を開けたまま感心した。どうやらティティアが間借りしている部屋は地下という扱いらしい。その割には植物に囲まれた道を通ってきたなと思ったのだが、ウメノ曰く陽の光が苦手な魔法植物を植えていたらしい。
夜になると、そこが光って自然と回廊は照らされるようだ。何それ気になると言わんばかりに、ティティアは少しだけそわりとした。
「はい到着。ようこそ僕の庭へ」
「わあ……すごい、たくさん繁ってる……」
「繁ってるって」
ティティアの言葉に、ウメノが笑う。
そこは不思議な空間だった。ドーム状の天井は全てガラス張りで、陽の光が燦々差し込んでいる。随分と広い庭は所狭しと植物が植っており、背の高い木々の隙間から溢れる木漏れ日が、道標のように散らされている。
見たことはないが、森というものがあるのを知っている。たくさんの植物が生きる場所。
「森だ……」
「大袈裟だよ、森はこんなもんじゃない」
「もっと葉っぱがわさわさしてるの?」
「もっとどころじゃないよ。この城全体を植物にしても足りないくらい、たくさんの生命力に満ちている場所さ」
小さな手が持ち上げた植木鉢には、小花が葡萄のふさのように密集して赤い花を咲かせていた。
ウメノの指先が、花をプチンととる。そのまま口の中に放り込む姿を前に、ティティアはギョッとした。
「花食べるの!」
「魔力枯渇する前に食べるといいんだ、この花。ここまでくるのに身体強化使ったし」
「え、あ、さっきの?」
「そ、さっき手を握った時にちょちょっとね」
悪戯っぽく笑うウメノを前に、ティティアはポカンとした。魔法が使えなくてもわかる。詠唱なしで術を施すのは、並大抵の努力では不可能だ。
ティティアの唇に赤い花を押し付ける。ウメノの指先に戸惑いながらも口に含むと、ティティアの背後で唐突に炎が燃え上がった。
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