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第30話 幸せの尻尾
こんこんと眠り続けている間に、どうやら城は大きく変わったらしい。ウメノによって、顔以外の殆どを冗談のように包帯だらけにされたティティアは、事後の蜜月にしてはあまりにも薬品臭い中で囲われていた。
「まず見たことのない寝具に変わってる……」
「事故現場もかくやと言わんばかりの凄惨さでしたからね。カエレス様がトラウマにならないようにと変えられました」
神妙そうな顔つきで宣う姿を前に、もしかしてロクも寝れていなかったんだろうかと思ってしまった。
ところどころ体に包帯を巻いている様子から、率先してカエレスから体を奪ってくれたのはロクなのかもしれないと思った。答えを求めるように目線をカエレスに向ければ、ぎこちなくそらされた。どうやら完全に黒らしい。
「あ、そう……ちなみに俺はいつ動けるの」
「すまないがまだ心配なんだ。だけど世話は私に任せてくれ」
「それはもう、部下の俺が引くくらい献身的でしたよ」
「ひぇ……」
ハニにも忙しくさせてしまったようだ。諸々の家具の手配などをしてくれたらしく、あれだけ白かった部屋には色付きの家具が置かれるようになっていた。
「俺、違う部屋に移動されたのかと思ったよ。だってもとの部屋めちゃくちゃ白いし」
「白くすれば、ティティアが怪我をした時にもすぐ気がつけるかと思ったんだ」
「今さらりとでっけえブーメラン放ちましたねえ……」
「シッ、ニル黙って。カエレス様が落ち込んだら面倒臭いの知ってるでしょ!」
ハニとニルの久しぶりのやり取りに、随分とアホらしい話が混ざっていたような気がしたが、ティティアは無言でロクに目を向けるだけに留めた。しっかりと頷かれたので、どうやら冗談ではなく本気の話であることは明白のようだ。
なんだか頭が痛くなってきた。体は治癒してもらったはずなので、単純にカエレスの過保護に対しての頭痛だろう。とは言っても、まだ数日は床上げを許されないだろうが。
「ゲンナリとしてんとこ悪いんだけどよ、起きたんなら仕事の話がしてえんですけど」
「はいニルさんどうぞ」
「ダメだ。その話は私が聞く。今は遠慮してくれ」
「あんたそれ絶対ですよ。こっちは許可待ちでずっとヤキモキしてんすから」
ポカンとするティティアを置いてけぼりにして、寝台から離れる二人の背中を見送る。ニルの様子から、どうやらティティアが絡んでいることらしい。なんとなく気にはなったが、必要ならカエレスが後から話してくれるだろう。
カエレスがいない間にウメノがこそりと耳打ちしてくれたのは、どうやら床上げ自体はいつでも大丈夫と言うことだった。
「一応、明日の朝に検査するよ。これでしっかり妊娠していたら、ますますカエレス様の執着が激しくなりそうだけど……まあがんばれ」
「待って、がんばれ以外のアドバイスってないの」
「…………」
「満場一致で無いみたいな顔しないでよ……!」
きっとこの場にニルがいても結果は同じなのだろう。頭は痛いは気恥ずかしいやらで、表情に困るというのはこういうことを言うのだなと思った。
結局、宣言通りカエレスによる甲斐甲斐しい介護を受けたティティアはその夜。獣に転化したカエレスを枕がわりにするという贅沢を味わっていた。
まだその頬は少しばかし赤みを帯びている。まさか己の世話が、食事の介助以外にも及んでいるとは思わなかったのだ。まあ、あらぬところをまざまざと見られているので、恥ずかしいからと言える退路はたたれていたのだが。
「魔力の放出は、止まったの」
天鵞絨の毛並みに埋もれたまま宣う。カエレスの静かな呼吸を背中で感じながら、ティティアは組んだ前足に顎を乗せるカエレスをくしくしと撫でる。
胸の上に回された、ふわふわで毛並みのいい立派な狼の尾がパタリと揺れる。金糸水晶の瞳にティティアの横顔を映したカエレスが、くるりと喉を鳴らした。
「ああ。私の魔力は、ティティアの中に落ち着いた。私の命は、君の手で救われたんだよ」
「そっか……、じゃあ、検査しなくてもきっといるね」
ティティアは、少しだけ気恥ずかしそうな声色で呟くと、そっとぺたんこの腹へと手を伸ばした。カエレスの魔力の放出が止まったということは、妊娠しているということだろう。まだ実感は湧かないが、カエレスの命を繋ぐのは子を孕むことだと聞いていたからだ。
穏やかな顔をして腹を撫でる。そんなティティアを前に、カエレスの尾っぽは勢いよく膨らんだ。
「うわっ、な、何」
「ティティアの治療ですっかり頭がいっぱいで……失念していた。そうだな……私の魔力の放出が止まったということは……そういうことなのか」
「わかんないけど、多分そうだと思う。俺、カエレスの魔力の色一回しか見てないけど、好きな色だったよ」
「そうか……、そうか……うぅん……」
どうやら照れているらしい。パタパタと忙しなく尾を振り回すものだから、先ほどからティティアの顔の上をもふもふが往復する。可愛いけど、少しだけ息苦しい。もしかしたらこういうのが幸せの苦しいに近いのだろうかと、少しだけ頭の悪いことを思った。
頭の背後で、嵐でもきそうなほど、カエレスのご機嫌の雷が鳴っている。前足で顔を隠すように静かに喜ぶ姿が愛おしくて、ティティアは思わずふかりとした尻尾を抱きしめるのであった。
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