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第4話・貴方の番候補にしてください

「ありがとうな杉野。お前は優しいから、きっと可愛い運命の番に出会えるぞー!」  意識的に明るい声を出しながら、髪の流れなど気にせずにぐしゃぐしゃと撫でる。  すると、すぐに杉野が纏う空気が緩んだ。  フッと息を吐くと、手をグラスから離して藤ヶ谷に真剣な目線を向けてくる。 「運命とかどうでもいいです。俺は」 「そんなこと言うなよー! ま、俺もそんなことより素敵なおじさまアルファと番になりたいけどな!」  杉野の言葉を遮ったことに気づかず、藤ヶ谷は酔いに任せてバシバシ背中を叩く。 「そーですか」  藤ヶ谷がおじさま愛を語りだすと、いつも通り無の表情で聞き流してくれる杉野に安心して調子に乗る。  テーブルに着地した杉野の手を人差し指でツンと突っついてから、控えめにその指を店内の奥に向けた。 「たとえばほら、あそこの人とか素敵だろ?」  指先が触れた部分に視線を落とした杉野の目が、その人の方へ向く。  緩む口元が隠せない藤ヶ谷の指の先にいるのは、緩やかなツーブロックの男性だ。  年のころは五十歳くらいだろうか。  カウンターで頬杖をついてバーテンダーと話す姿が優雅で目を引いた。  オメガの藤ヶ谷には分かる。  彼はアルファだ。 「ここまで良い香りが漂ってくる」 「加齢臭じゃないですか」  指を組んでうっとりと言う藤ヶ谷を、冷めきった杉野の声が一刀両断した。 「口を慎め。お前にはわかんねーんだよこの良さが」  水を差された藤ヶ谷はムッとして唇を尖らせる。  アルファの杉野が同じアルファを「良い香りだ」と思わないのは仕方ないが、それにしても辛辣すぎる。  たまには同意してくれたり応援してくれたりしてもいいのではないか。  藤ヶ谷の気持ちとは裏腹に、再び機嫌が急降下した杉野の毒舌は止まらない。 「だいたい、藤ヶ谷さんの好みの香のアルファっていつも番がいるじゃないですか。仮に番がいなかったり未婚だったとして、あの年のアルファがそれなら性格に難ありに違いないです」 「お前、アルファのくせにアルファに対する偏見が凄すぎ……っ」  周りに聞こえない音量ではあるが、万が一がある。咎めようと口を開きながら、おじさまアルファの様子を肩越しから盗み見た。  その時。  おじさまと視線があった。  垂れ気味の目元がフッと笑んだのを見て、藤ヶ谷は顔に熱が上り思わず俯いた。 (ダンディすぎるっ)  両手で顔を覆って悶絶する。  が、すぐに頭は冷静になった。 (あんなに素敵なおじさまアルファ、パートナーがいないわけないんだよ。知ってる)  だがそれならそれで、見るだけならタダだろうと再び彼に目を向けた。  バーテンダーに何か注文しているようだが、その仕草すらカッコいい。  おそらくベータであろうバーテンダーも惚れ惚れしてしまうのではないだろうか。  どんなものを注目したのだろうと、自分の空になったカクテルグラスの持ち手をいじりながらついつい見てしまう。  この時、隣にいる杉野の表情は無どころか絶対零度のオーラを放っていたのだが、藤ヶ谷は全く気がついていない。  そうしているうちに、バーテンダーが藤ヶ谷の前までやってきた。 「あちらのお客さまからです」  まるで映画のような台詞と共に差し出されたのは、赤い花びらが浮かんだ薄紅色のカクテルだった。 「わ……ありがとうございます」  ふわりと漂ってくる甘い香りに誘われて、なんの躊躇もなく受け取る。  今度こそはっきり顔を向けると、おじさまアルファは「どうぞ」というように手を動かした。  店内の大人っぽい内装もムーディーな音楽も、今この時のためにあるように感じて胸が高鳴る。 「いただきまー」 「待ってください」  夢見心地でカクテルに口をつけようとしたのに、またもや杉野の声で現実に戻され手を止める。 「それ、意味わかってます?」 「え、意味って……」  改めてカクテルグラスに視線を落とす。  浮かんでいる花びらはおそらく薔薇。薄紅色の液体は、数種類のアルコールやジュースを混ぜたものだ。  口当たりがよく度数も低く、でも飲み過ぎには要注意。  そしてアルファがオメガに対して送る時には特別な意味がある。 「貴方の番候補にしてください……だよな」  噂には聞いたことがあったが、まさかこのカクテルを送られることがあるなんて。  何か言いたげな杉野を放って、藤ヶ谷は気持ちの昂りのままに甘いアルコールを口内に含む。  控えめな薔薇の香りに包まれる心地に、顔を綻ばせた。  飲んだ、と言うことは「こちらにもその気がある」ということだ。  それを見て奥歯を噛んだ杉野は、声を低くして体を寄せてきた。 「藤ヶ谷さん、今日は俺と」 「失礼、お隣に座っても?」  いつの間にかすぐ近くまでやってきていたそのアルファは、杉野の言葉を遮って藤ヶ谷の隣の椅子に触れる。  藤ヶ谷はオメガにしてはしっかりした体を少女のようにすくめ、何度もコクコクと頷いた。 「は、はい」  口元に笑みを称えたおじさまアルファはカウンター席に腰を下ろすと、「蓮池(はすいけ)」と名乗った。 「突然申し訳ない。お邪魔とは思ったんですが、歯形が見えなかったもので横取りにきてしまいました」 「は?」  ライバルになりうるアルファを威嚇し、排除しようとする本能からだろう。  真っ直ぐに藤ヶ谷の方だけ見て話す蓮池は、杉野にとっては慇懃無礼と言っていい態度だった。  しかしアルファ同士の牽制になど気づかない藤ヶ谷は、表情を険しくした杉野を調子に乗って肘で突く。 「いやこいつは! ただの会社の同僚なので! お気になさらず! そろそろ帰りますし! な?」 「まだ帰りません」  この状況でキッパリと言い切る杉野を(はた)きたいのを我慢して、藤ヶ谷は蓮池に微笑みかける。 「まぁ、その……お気になさらず」 「君がそういうなら」  蓮池は余裕のある声で頷いた。

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