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第14話・もうすぐヒートなんだ

 秋も深まり肌寒くなってきた。  相変わらず忙しい蓮池とは数えるほどしか会えていないが、2人の関係は良好そのもの。  一緒に美術館に行ったりオーケストラの演奏会へ行ったりと、普段の趣味とは違うデートは新鮮だ。  藤ヶ谷は飽きることなく蓮池との時間を楽しみ、恋の沼に沈んでいっていた。 「すみません蓮池さん。俺、そろそろヒートになるかもしれなくて……」  風呂上がりの脱衣所で掛かってきた電話に、何も着ないまま急いで出た藤ヶ谷は、申し訳なさそうな声を出した。  青いタオルで首の雫を拭いながらスマートフォンを凝視する。  どんなに見つめても、スケジュール調整用のアプリに記録されている「ヒート予定日」は変わらない。  ずっとヒート中は一人で過ごしてきた藤ヶ谷としては、蓮池とその日を過ごせたら幸せだろうと妄想はしていたのだが。  ヒート中のオメガのフェロモンはアルファの理性を突き崩す。  妊娠しやすい期間でもある。  その上、藤ヶ谷はここ2年程ヒートの抑制剤の効きが悪い。  恋人と呼んでいいのか曖昧な関係の蓮池と、気軽に会おうというわけにもいかなかった。  事情を説明し、蓮池が「急だが明日会えないか」と連絡をくれたのを泣く泣く断ることにする。 「折角、予定を開けてくれたのに」 「陸君、そういう時は遠慮してはいけないよ」 「……え?」  電話の向こうから聞こえてきた柔和な声に、髪を拭いていた手を止める。  そして、続いた言葉に驚愕と歓喜の混ざった声を上げた。  ◆ 「杉野ー!」 「わっ」  朝一番、藤ヶ谷は杉野の背後から抱きついた。  すでに自席のパソコンを開こうとしていた杉野は、不意を突かれて声を上げる。  ガタンっと大きな音が鳴り、椅子が揺れて杉野の体が強張るのが伝わってきた。  テーブルの上に置いてあった空の小瓶が倒れててしまう。  それでも、藤ヶ谷は遠慮なく杉野の座る椅子の背に張り付いて無邪気にしゃべりだす。 「オレ、もうすぐヒートなんだけどな?」 「確かにそんな香りしてますが。あんたには羞恥心や警戒心ってものはないのか」  低く抑えた声で指摘され、藤ヶ谷はガランとした部屋を見渡す。  大きな会議の準備のために早く出勤した、藤ヶ谷と杉野しか今はいない。  自分たちしかいないから良いのではないかと思ったが、「そんな香りがする」という、つい先ほどの言葉を思い出す。  仕事が出来るということ以外ではつい忘れてしまいがちなのだ。  杉野もアルファであることを。  出来るだけ邪魔にならないように気を付けようと決めたばかりなのに、またやってしまった。  藤ヶ谷はそっと体を離すと、一歩下がってから改めて明るい声を出した。 「もしかしたら蓮池さんと番になれるかも!」 「……は……?」  パソコンに体を向け直していた杉野は、目を見開いて固まった。  藤ヶ谷はその様子を見て満足げに口角を上げると、端正な顔の目尻をだらしないほどに下げる。 「次にヒートが来たら、会ってくれるんだって」  頬を赤らめ幸せに満ち溢れた表情の藤ヶ谷とは正反対に、杉野の機嫌が急降下してしまった。  杉野は音もなく深呼吸し、自分の心をコントロールしようと試みている。  当然、藤ヶ谷はそんなことを知らずへらへらとしていた。 「遠慮しないで良いって言ってくれて」 「それで番になるとは限らないじゃないですか」 「お前はー! なんでそんなこと言うんだよ!」  冷静にツッコまれる普段のやり取りだが、杉野の声は常よりも冷たいと肌で感じる。  それでもいつも通り対応しようとしたが、杉野の態度は変わらない。 「ただの事実です。責任取らずにやり捨てるやつなんてアルファじゃなくたって」 「もう良いよ、お前には話さない」  藤ヶ谷の言葉にも棘がでる。  番い持ちのアルファについて語っている時ならともかく、本気で恋をしている時に何故こんなに水を差すようなことを言うのかと腹が立ってきた。  しかし、浮かれて惚気過ぎた自覚は藤ヶ谷にも有る。  口では文句を言いながらも、藤ヶ谷の話を上手く受け流してくれる杉野に甘えすぎていた。  だから話はこれで終わりにしようと、自分もカバンを足元に仕舞ってデスクにつく。

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