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第16話・憧れの具現化
「つっかれたー」
藤ヶ谷はデスクにだらんと突っ伏した。
窓の外は真っ暗で、周囲のビルの灯りも星も輝いている。
昼休みにでも杉野ときちんと話せていたらと思っていたのだが、出来なかった。
今日は社長を筆頭に重役たちが顔を連ねて参加する会議があり、ゆっくり食事をする時間をとることが不可能だったのだ。
会議後も片付けや電話対応で忙しく、ようやく一区切りついた。
(朝のも合わせて残業時間が大変なことになってそうだな)
ガランとした部屋でぼんやりと時計を眺めていると、後ろから肩を叩かれた。
「お疲れ様、藤ヶ谷」
「わ、部長!」
振り返るまでもなく相手は分かった。
自然と口角が上がった藤ヶ谷に笑いかけた八重樫は、緑の紙カップを差し出してくれる。
受け取るとじんわりと手のひらに熱が伝わってきて、藤ヶ谷は黒い水面から立ち上る香ばしい湯気を吸い込んだ。
「ありがとうございます!」
「いつもがんばってるな。今日はアルファが集まったからしんどかったろ」
隣の椅子を引いた八重樫は、長い足を組みコーヒーに口をつけた。
ただそれだけの仕草が恐ろしく絵になっている。
藤ヶ谷は自分の憧れが具現化したような存在を近くで見ることができて、うっとりだ。
確かに重役たちがいる新商品のプレゼン会議は緊張したが、藤ヶ谷は幸せな気持ちで首を横に振った。
「ぜんっぜん!アルファのおじ様がいっぱいで俺は幸せいっぱい……っ」
「無理するな。抑制剤、持ってるの見たぞ。ヒートか」
八重樫の全てを見透かすような目を見て、藤ヶ谷は息を飲む。
(それでわざわざ『アルファが』って言ったのか……)
実は朝、杉野たちが部屋を出て少し経ってから、ヒートに入ったのだ。
幸い事前に抑制剤を飲んでいたし、まだ部屋には藤ヶ谷しかいなかった。ひとまず強い薬を飲んで、誰にも気づかれずにすんだ。
だが、アルファの多い部屋でのプレゼン会議のせいだろうか。
薬の効果が薄れるのが早く、途中で即効性の抑制剤をつかんでトイレに駆け込むことになった。
オメガは抑制剤が上手く働けばヒート中でもベータのように過ごせる。倦怠感や火照る感じもない。
だがその分、薬が切れたときの反動があるため、飲み過ぎることは推奨されない。
仕事中ということで仕方なく使ったというのに、気付かれていたとは。
藤ヶ谷はしょんぼりとコーヒーに視線を落とす。
「すみません……皆さんにご迷惑でしたよね」
「いいや、無理をしないで相談して欲しいだけなんだ。偶然見かけなければ、気付けなかったからね」
「そう、ですか。よかった」
重役達に発情のフェロモンを振り撒いていたかと思ったので、ほっと胸を撫で下ろす。
いつも真っ先に杉野に気づかれてすぐに帰されるから、アルファの嗅覚はそんなものなのだと思っていた。
もしかしたら、ハイアルファは嗅覚も他とは違うのかもしれない。
安堵の表情を見せる藤ヶ谷の頭をわしゃわしゃと撫で、八重樫は立ち上がった。
「それを飲んだらすぐ帰りなさい。明日は休みにしとくから。しかし、ヒート中に1人だと大変だろうな……と、変な意味じゃないぞ。食事とかの普通の生活がな」
八重樫の言葉からは揶揄いの意味も邪な気持ちも感じられなかった。
自分の番を想像して、心から「大変だ」と心配してくれたのだろう。
それが分かっているので、藤ヶ谷は軽い口調で明るく返す。
「あはは、慣れてるんで! それに、今回は1人じゃないんです!」
「そうなのか?」
目を丸くする八重樫に、藤ヶ谷は小さく頷く。
今日この後のことを思っている藤ヶ谷は、抑制剤など関係ないほど匂い立つような表情になっていた。
「今、お付き合いしてるアルファの人がいて」
「それは初耳だな」
「思い切ってヒートになったことを伝えたら、『仕事が終わったらホテルにおいで』って」
「……仕事が終わったら?」
自分の若い頃を懐かしみながら藤ヶ谷の話を聞いてくれていた八重樫だったが、話の途中で整えられた眉が寄る。
更に、
「おいでって、なんですかそれ」
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