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前編

「なんでパンツなんて履いてるんだ」    八田徹(やた とおる)は、おおよそ日常生活では出てこないような台詞を吐いてしまった。    ◇    職場の時計の針は定時を指した。 (帰りてぇけど……これを終わらせてから……)  花の金曜日だというのに、デスクから立ち上がって帰ろうとする人間はひとりもいない。  寒いくらいにクーラーの効いたオフィスで夏の暑さを感じることはないが、気合を入れ直すためにヨレた白いワイシャツの袖を捲る。  ジムで鍛えられた腕を露わにした八田は、静かに息を吐いた。  デスクに置いた缶コーヒーに手を伸ばし、スマートフォンをカバンから取り出す。 『今日も残業だから、先に食べといてくれ』  そうするといつも、同棲している恋人から癒し画像が送られてくるので着信を待つ。  今日は猫だろうか犬だろうか、兎でも可愛いな。  どこから拾ってくるのか分からないが、いつもその画像と「お疲れ様」の文字に癒されてから仕事を再開するのだ。  だが、いつもならすぐ返信がくるのにまだ来ない。 (……休みだから出掛けてんのか?)  そんなことは一言も言っていなかったはずだが、買い物に行くくらいはするだろうと八田はひとりで納得した。  短い髪を軽く撫で付け、スマートフォンをデスクに置く。  仕方がないので、返信を待たずにパソコンのキーボードを叩き始めた。  すると10分ほどしてから音もなく長四角の画面が光り、着信を知らせた。  八田は思わず口元を緩ませてメッセージを開く。  そして、即座に画面を暗くした。  無表情で立ち上がると、同僚がチラ見してくるのを感じながらトイレへと向かう。    誰もいないトイレの2つだけある個室に入ってから、改めてスマートフォンの画面を開いた。  声を上げないように、息を詰め口元を手で覆う。 「がんばれ! 準備して待ってるから」  という文字と共に目に入ってきたのは、癒し画像ではなく恋人の写真だった。  女性モノであろうふんわりとした白いレースエプロンを着た恋人が、姿見鏡に映った姿。  恋人の二階堂羽空(にかいどう はく)は小柄で、女性モノでも膝上まで隠れていてサイズはピッタリなようだ。  裾を軽く摘んでポーズをとって笑っている姿は、普段のガサツさからは想像出来ない可愛らしさだった。  だが、一番の問題はそこではない。 (裸エプロン……!?)  エプロンから覗いている、日に焼けて健康的な色の腕や脚は何も纏っていない。    エプロンの下は、一体どうなっているのか。  文面上の「準備」とは。  想像するだけで胸が早鐘のように鳴る。  指を当てた唇から、熱い息が漏れる。  どうしようもなく、下半身が疼いた。  だがここは会社のトイレ。  どうすることもできない。  八田はスマートフォンをスラックスのポケットへと仕舞い、個室を出た。    何事もなかったかのような顔でデスクに戻る。  明日は週末。  八田も二階堂も休みだ。  何時に寝ても構わないだろう。  全く表情には出さずに、仕事をしながらも頭の中で妄想を膨らませる。  そして、過去最速で残業を終わらせて帰った。  

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